ブログ「かわやん」

森羅万象気の向くままに。

日曜新聞読者欄簡単レビュー

2010年10月03日 19時03分49秒 | Weblog
今週は読売、毎日、日経3紙から取り上げる。敬称略。

奈良康明ほか『仏教出現の背景』(佼成出版社、4000円)―読売―は、仏教研究の最新の成果を入れて刊行される『東アジア仏教史』全15巻の最初の刊行になる。旧版の全集のいくつかは目を通したことがあるが、すでに40年近く時が経過している。この間、仏教学の発展は目を見張るものがある。袴谷憲昭『本覚思想批判』では「悉有仏性」の本覚思想が仏教ではないとの解釈を読み衝撃を受けた経験があるし、また松本史朗『縁起と空』の如来蔵思想批判でも文献に裏付けられた論考に目を見張ったものだ。東アジア仏教史の展開もこの間新たな問題意識が生まれてきたわけで、今回の本ではインドでの現在の仏教の検証から歴史を遡上している。ヒンヅゥー教は生まれによるカーストを設けているのだが、仏教は否定したところに大きな意味をもつ。「法句経」の有名な文言である「人は行いにより貴賎が生まれる」と明確なヒンドゥー教否定はインド社会でどう展開したのか。この本で論じられているようだ。イスラムとの共存についても記述されている。評者は前田耕作。

 高橋秀実『おすもうさん』(草思社、1575円)―毎日―は、相撲の常識を覆す本だ。NHKの放送を聴いていると、相撲の精神、相撲道とか出てくるが、源を探ると、伝統的なものではない。第1、女性を土俵に上げないという今の風習はちゃんちゃらおかしいの。というのは最古の相撲取りは女性だったというのだ。女性を土俵に上げないというのはおかしな話だ。朝青龍の懸賞金の受け取り方が左手でよくないと解説がよく出たが、大関名寄岩が「心の字を書く」としたことが最初で、それまでは無造作に受け取っていたというのだ。本書でわかることだ。4本柱は「相撲していて危ないから」と思っていたが、これもウソでテレビ中継の都合で切り捨てたという。融通無碍に生き延びたのが大相撲という論なのだが、その融通無碍にはさせない今の管理社会の到来がある。「呑気」という言葉で大相撲の歴史を振り返っているが、「呑気」などではいまの社会は生きていけない。えらい時代になったものだと思う。「呑気」だからこそ茫漠として魅力を倍加させたのだが、昔を懐かしむしかないのか。

日経はカントの『純粋理性批判』解読の書を文化部の記者がいろいろ紹介していた。カントといえば早稲田大学の樫山さんの著作と決まっていたが、最近は竹田青嗣『カントの「純粋理性批判」』、中島義道『「純粋理性批判」を噛み解く』(いずれも講談社)が出て、ずいぶん身近に読み解くテキストになった。竹田が出たシンポを聞いたことが先月あったが、へーゲルを語り、そして実践批判としての具体例を韓国の弁護士朴元淳の営み(希望製作所)に刺激を受けていたが、カントの重みもそのシンポでわかった。後輩で哲学を目指す方に「哲学はひたすら書物を読むことだ」と語っていたのは印象的だった。中島はこの書で「アンチノミニー論」が6分の1占めるという。翻訳でも解説でもない格闘だという。
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