あまでうす日記

あなたのために毎日お届けする映画、本、音楽、短歌、俳句、狂歌、美術、ふぁっちょん、詩とエッセイの花束です。

村上春樹著「一人称単数」を読んで

2020-10-07 17:25:41 | Weblog

照る日曇る日第1475回

人気作家による最新作には最後に置かれた書き下ろしの表題作のほかに「石のまくらに」「クリーム」「チャーリー・パーカー・プレイズ・ボサノヴァ」「ウイズ・ザ・ビートルズ」「ヤクルトスワローズ詩集」「謝肉祭」「品川猿の告白」の7つの短編が並んでいる。

「一人称単数」という名詞が暗示するように、著者のこれまでの作品に比べるとどことなく私小説的な趣が出張っているところにちょいと興味深いものがある。
たとえそれが空想的、夢想的な題材であっても、恐らく作者の個人的な体験に深く根差している物語なのだろう。

「石のまくらに」というのは、主人公が一夜を共にした女性が作成した私家版歌集のタイトルなのだが、「たち切るも/たち切られるも/石のまくら うなじつければ/ほら、塵となる」というような印象的な短歌が性的なエピソードを巧みに彩っている。

「クリーム」は、少女に招待されたコンサートに行った主人公が、少女やコンサートの代わりに出会った謎めいた老人から「中心がいくつもありながら外周を持たない円」が分れば人生のエッセンスが分かる、と講釈される話である。

「チャーリー・パーカー・プレイズ・ボサノヴァ」は、その非現実的で空想の産物たるLPが突如顕現し、34歳で死んだ偉大なミュージシャンが、カルロス・ジョビンの「コルコヴァッド」を演奏するという夢のような、されど猛烈にリアルなお話。

「ウイズ・ザ・ビートルズ」は、死んだサヨコ以上に彼女の兄のキャラクターが生きている。

「ヤクルトスワローズ詩集」は、この弱小球団の昔からのファンである作者の愛すべき「詩のようなもの」。

「謝肉祭」は、シューマンの同名のピアノ曲を愛する魅力的な醜女と主人公の浅からぬ交情を描破し、「品川猿の告白」は、「東京奇談集」の名作「品川猿」の再登場で、猿と人間の懸隔を平然と無視する作者の筆力と創造力が素晴らしい。

そして巻末の短編「一人称単数」では、その最後の言葉「『恥を知りなさい』とその女は言った。」の切れ味が鋭く、これは本来は長編に発展させるべき好個の素材だろう。

これを要するに、本書は相変わらず「音楽」と「比喩」と「固有名詞」と「青春の思い出」に満ち満ちた、ある初老作家の美しい抒情詩である。


 ノーベル賞を取れても取れなくても村上春樹は村上春樹 蝶人

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