あまでうす日記

あなたのために毎日お届けする映画、本、音楽、短歌、俳句、狂歌、美術、ふぁっちょん、詩とエッセイの花束です。

2018年版聖書協会共同訳で「旧約聖書続編トビト記」を読んで

2019-03-08 11:32:43 | Weblog

照る日曇る日 第1210回



新旧教会が協力して2010年から17年まで7年間の歳月と労苦を経て遂に誕生したこの最新版の日本語聖書。外展の冒頭を読んだだけだが、ななかか読みやすく、訳文も簡潔でほとんど美しいので、すっかり気に入ってしまった。

「トビト記」は、アッシリアに捕囚となってニネベに連れてこられた善人父トビトと息子トビア親子のものがたり。貧者や恵まれない人々に施しをする善人トビトを嘉下した神は、天使ラファエルを遣わして父親の盲をひらいたのみならず、息子に良縁を与え、すぐ背中まで迫っていたバビロン捕囚から一家を救いだす。

世界中にある善悪因果応報の昔話、といえばそれまでだが、一読後のさわやかな幸福感は凡俗のおとぎ話の域をはるかに超え、入信へと自然にいざなう完成度の高い清話といえるだろう。

トビアの新婦サラは、悪魔につけ狙われ、これまで7度も新郎を迎え入れようとする都度殺されていたが、今回はトビアが大河で捕まえた大魚の肝臓と心臓が役立った。
香に焚かれた魚の臭いが悪魔を砂漠に追いやったのである。

またトビアが、同じ魚の胆嚢を父トビトの両眼に塗ってから、白い膜を両手で剝すと、ほむべきかな! 長年閉ざされてきた目が見えるようになる。

この2つの事象は、キリスト教の信者からみれば奇跡なのだろうが、宗教や信仰を離れても、ある種の医学的合理性があったのではなかろうか、などと思わず考えこんでしまった。


   なにゆえに赤の他人に頭を垂れるその来歴も定かならぬに 蝶人

コメント (2)    この記事についてブログを書く
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2 コメント

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Unknown (Unknown)
2020-10-11 17:55:34
善人トビトを嘉下した神は
とありますが、
嘉下する、とはどういう意味のことばなのですか。
辞書にも見当たらないので、質問しました。
返信する
Unknown (Unknown)
2020-10-12 14:37:07
失礼しました。「嘉した」の間違いでした。
返信する

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