katsura's note

katsura's note 以下に移転するかも!
http://katsura06.blog20.fc2.com/

埋まらない溝

2005年05月18日 | Weblog
今日の会社帰りのこと。
久々に10時過ぎまで残業した帰宅途中。

友達にメールを打ちながらふと気が着いた。
そうだ、夕飯食べてない。。。

とはいえ、ちょっとお疲れモード&帰宅してもやることがあるので、できればぱぱっと手早く済ませたい。
さて、どうしよう?!

最寄駅まで着く寸前で思いついた。
そうだ、とんこつラーメン食べたい!と。

思い立ったら、むしょうに食べたくなってちょっと遠回りしながら帰宅することに。
途中、ふと目に留まった店が。

そのお店は一度行ったことがある、おうどんの美味しいお店。
もう閉店しているだろう。。。とたかをくくっていたのに開いている。

これは入らねば!とふと足を止めた私。

店内に入るとカウンターが空いていたのでカウンターに行こうとしたら店員のおばちゃんに止められた。
「もうすぐ閉店だから」と。
私としては、閉店だからこそテーブル席よりもカウンターを選んだつもりがあだとなってしまった。
まぁ、しゃーない。

テーブル席につくなり、おばちゃんは早くオーダー取りたくて仕方ない様子。
なんだかそわそわしていた。

なんだか落ち着かないなぁ。。。と思いつつも、以前食べた品がお品書きに見つからない。。。
迷う私に、しびれを切らしたおばちゃんが、「どれにしたいの?」と。
うーん、事情を話したけれど、「そんなのあったっけ?」とそ知らぬ顔。
仕方ないので「どれが人気ですか?」と聞くと、なんとなく答えてくれた。

そのなんとなくっていうのは、どう見てもあまり関心なさそうな態度がそう思わせるに十分だった。
疲れていた私は他の選択肢を選ぶ気力はあまりなかったし、まぁ、他にとりたててこれが良さそうということもなかったので、おばちゃんがすすめてくれたやつを頼んでみることに。

しばらくして、おうどんが出来てきた。

と、ここまでは良かったのだが。。。

お店に30代か40代かの落ち着いた感じの二人連れが入ってきた。
その時点でテーブルは埋まっていた、さておばちゃんどうする?と思いきや、「相席どうぞ」と言い放った。

しかも、私が座っているテーブルはまだ席に余裕があったのだが、よりによって隣にかけていた二人連れのところに誘導していた。
因みにその席は私のテーブルよりも手狭だった。

心の中で「お、おばちゃん、、、それはないんじゃない?」と叫んでいた私。

すると隣のお客さんも呆れ顔。
しかも、入ってきた二人連れも「人をどかしてまでねぇ、、、」と言い放ったのに、このデリカシーのかけらもないおばちゃんは引き下がるどころか、「いや、大丈夫ですよ。ほら、どうぞ!」と。

そのおばちゃんを除いたみんなは無言で「えっ?」って思っていたはず。

結局、後から入ってきた二人は怪訝そうな面持ちで店を後にした。
これで一見落着のはずだったが。。。

しばらくして隣の席のカップルがなんだか怪しい雰囲気に。
声も大きくなるし、しかも、口調がだんだんきつくなっていた。。。

これは、まっ、まずいのでは???と実しやかに恐れていた私の予感は的中。
けんかしていた。

どうやら、おばちゃんの態度に気分を悪くした彼女(後に奥さんと判明)があれこれ文句を言い出したのだ。

「私達がすぐに帰るとでも思ったのかしらね?」と。
「私達がお酒をもういっぱい頼んだら、どうなったのかしら?」等など。。。

それに対し、彼(後に旦那さんと判明)が「いーじゃん、もう終わったことだし、、、そういうこともあるよ。。。」と。

すると、奥さん「あなたってほんっと分かってない!この前だって、、、」と続ける。

対し、旦那さん「ねぇ、もういいじゃん、そんなこと。どうしてそんなにいつも“むかつく”“むかつく”って言う訳?○○ちゃんのこと好きだけど、だいたい100回位○○ちゃんが“むかつく”って言ううちの数回しか同感できないからね。だいたいさぁ~、世の中ってのは。。。」と続けた。

私だってこんな会話聞きたくないんだけど、どういう訳か私のテーブルの方に身体を向けて話す二人。しかも、声が興奮と共に大きくなるし、身の危険を感じなくもない為か、耳に入って仕方ない。当然私は彼らの会話をシャットダウンしたいし、耳にも入れたくないのに。。。

それと同時に旦那さんがうんちくを語りだし二言三言聞いた時点で、事態は益々悪化しそうな気配が漂っていたし、私の席までその気配は十分すぎるくらいに充満していた。

隣の隣のテーブルは私の周りをとりまく、そして隣のテーブルの雰囲気をよそに、平和に気持ちよく飲んでいた。。。羨ましい。

まさかラーメンを食べに行くつもりがおうどん屋さんに化けたことで、こんな思いをすることになるとは夢にも思わなかった。

まぁ、こんなこともあるかぁ。。。なんて思いつつ、早くおうどんを平らげることに集中した私。せっかくの美味しいはずのおうどんも気が利かないどころか、客の気分を害する気が付かないおばちゃんのせいで、こんなことになろうとはねぇ。

で、旦那さんの話は続いていた。

旦那さんのうんちくが聞こえ始めた頃には油は注がれ始めたどころか、着火準備よし!と言わんばかりに、奥さんの顔はもの言いたげで紅潮していた。
私は心の中で旦那さんにこんなメッセージを送っていた。
「うん、あなたの言うことはもっともだし、わかる、わかるんだよ!だけど、今奥さんの顔を見てご覧よ!今あなたはうんちくを言うんじゃなくて、ここはぐっとこらえて、話を聞いてあげるべきだよ。相手が聞く耳を持つときにうんちくや理屈を話せばいいし、その方が双方の為だから。ねぇ。。。」と。

しばらくして私のシナリオどおりに事は運んだ様子。
そのシナリオとはもちろん私が恐れていた悪い方。

奥さん曰く、「あなたってほんっと分かってない!あのねぇ。。。」と始まった。
これは収集つかなくなってきたぞ。。。と思った私。

対し旦那さん「もう、分かった。分かったよ。もういい。どう考えたって理解できないものは理解できない。○○ちゃんのこと、き、きっ。。。」
(嫌いじゃないけどと言いたげだった。。。)

奥さん「今、嫌いって言おうとしたでしょ。良いのよ、別に好きでいて欲しいなんて思ってないから。。。」

対し旦那さん「そう、そうじゃなくって。だいたいさぁ~、○○ちゃんの家庭環境のせいもあるのかもしれないけど、世の中そんなに良いことばかりじゃないし、物事悲観的に見たってねぇ。しかもいつもいつも悲観的じゃん!それって良くないよ!」と。

あれあれ、家庭環境にまで話が及んでいる。。。これはやばいでしょ。。。と思わず旦那さんにテレパシーを送りたくなった。
が、そんなことできる訳もなく、そろそろおうどんが食べ終わりそうになり、ほっとした私。

その後、しばらく言い合いは続いていた様子だったが、私が席を立とうとした寸前。
こんな言葉が奥さんから言い放たれた。

「別れましょ、私達。」

えっ、え~~~???

なんで離婚にまで話が及ぶの?

奥さん「今までいろいろあったけど、価値観の違いの溝は埋められないわよね。私だって、家族のことまで引き合いに出されたんじゃ、たまらないわよ。うちの父の目の黒い間はねぇ、、、」と続く。

旦那さん「そうか、そうくるか。そう言われても分からないものは分からないしね。だいたい、飲食店ってのは。。。」と、理屈をやめない。

そんな中、何も知らないおばちゃんが「じゃ、お疲れ~」と何の気なく帰って行った。

おっ、おばちゃん!!!
あなたのせいで何人の人が気分を害したと思ってるの!
しかも、隣はあろうことか、元々あった埋まらない溝を埋めれないだけでなく、溝が広がっちゃってるよ!と心の中で叫んだ私。

おうどんを食し終わった私はレジに行き、お勘定。
前回このお店に来た時もいた感じのよい男の子が「ありがとうございました!」と笑顔で言い放つ。
その後の二人のことは知らない。
けど、気の良さそうな店員さんにはこのお店のことも考え、一言言い残してきた。

「あのー、さっき帰ったおばさんのせいで隣の席の人もめてます。
 確かに接客が良くなかったし、 私自身も気分があまり良くなかったんですよ。
 ただ、せっかく美味しいおうどん出してあっても、もったいないと思うんです。
 それまで気分良く食事してらした隣の方がとても気の毒で。。。」と。

私も接客業に長いこと働いた経験があるし、気が利かないタイプの店員がいることも、業務上仕方ないこともあるのは重々分かっている。
だけど、せっかくお客さんとして訪れたからには、多くを望まないけど、少なくとも失礼のない程度には接客して欲しいし、気分を害されるのなんて持っての外。

いくら美味しいお店でも、店員の態度が悪いとやはり足を止めてしまうことすらある。

帰り道、福岡にあるお肉料理の美味しいお店を思い出した。
そこの出す料理はどれも美味しく、たまに「××のお肉が食べたい!」とか、「××のサラダが食べたい!」って思ったりすることもある。
しかし、今日行ったお店のように接客がなってないおばさんがいるのが難点。
何度か行って、私の家族全員が揃って気分を害したことのあるそのおばさんには、いくら料理が美味しくても出会いたくないと心に強く誓っている我が家。

それ故、そのお店に行く時には電話で予約して、そのおばさんがいないことを確認しなくては、安心して行けない。

そんなお店もある。

今日行ったお店はそこまでこだわりがある訳じゃないので、それこそそこ一軒しかお店が開いてないと言うような究極な選択でもない限り、足を運ばないであろう。

おばちゃん、そしておばちゃんの接客・態度を除く全てにおいて、そのお店はなかなかなのに。
店主であろうお兄さんも、そのお弟子さんも、店の大きさ・雰囲気も。。。
それ故、おうどん屋さんにしてはこじゃれた居酒屋風で、いつも温かい雰囲気を醸しだす良い具合に酔ったお客さんが楽しそうにしているのに。

残念でならない。

追伸:

今日はついつい、特にとりたてて私にそんなに関係もないことについてうだうだと書いてしまいました。

まぁ、おばちゃんの気が利かない接客→隣の口喧嘩→隣の離婚問題にまで発展しようとは思っても見ない展開にびっくりしつつも、些細なことがきっかけで、物事っていろんな方向に進んでしまうのね。。。と痛感したり。

今日はすっごく疲れている+もしかすると風邪気味?+いわば他人のモメゴトに巻き込まれ、なんなの?って感じがしてもおかしくないのだけど、なんだか世の中の縮図を垣間見ているようで、昼メロみたいな大袈裟な展開ありで、なんだかふむふむと感心してしまった。

また、渦中にふと思ったのが、旦那さんがうんちくを語り出す前にできることなら私がここで一発笑いをとることができれば!なんて思ったりもしました(笑。
それか、以下の本を差し出したいとさえ思った。

「話を聞かない男、地図が読めない女―男脳・女脳が「謎」を解く」
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4072352179/qid=1116432307/sr=1-1/ref=sr_1_10_1/249-7502081-4765963

何が不幸って、原因を作ったおばちゃんはその場にいたお客さん数人の気分を害しながら、本人はその事実に対して責任を持つことも、省みることも、気付くことも、謝罪することもなしに帰って行き、残された人はおばちゃんの接客によって事件勃発→事件解決することなく、事件は益々被害を増すばかり。。。

いわばdisaster。

力が抜ける…

2005年05月17日 | Weblog
今日、試験を受けてきました。
合否は明後日判明するらしい。

早速会社のメールに、“手ごたえは”とのメールが。
うーん、あるようなないような。。。微妙。
勉強してなかった訳でもないから、落ちてたら運が少し悪かったかなぁ…って思えばいいし、また頑張ればいいじゃん!ぐらいの気の持ちようです。

ふ~、午後から力が少しづつ、風船から空気が抜けていくように、力が抜けていく~。
それと共に、ここんとこ無視し続けていた自分の身体が疲れを訴えはじめてます。
もう限界に近いんじゃないかと。。。

と言うことで、ちょっとしたご褒美を自分に与えてみました。

それは、、、

①ランチ&デザート
東京駅付近で試験会場が一緒だった同期2名+私でふかひれ料理を。
そして、デザートは杏仁豆腐。
ここの杏仁豆腐は私のオススメNO.1なのです。。。

ランチにしては少々値がはるかしら?なんてちょっと思っていた私の懸念をよそに
お連れした0氏&S氏も喜んで頂けた様子。
試験の後、思い思いに話しながらリラックスできてよい気分転換になりました。

②マッサージ
以前の職場で過労で慢性疲労のたまっている方からご紹介頂いた先生にお願いすることに。
紹介&指名がないとなかなかお目にかかれない気功の先生に施してもらったのですが、“睡眠不足”、“コリ”、“目の疲れ”、“座っている時間が長い”と指摘されました。
さすがだぁ~~~。
なんて思いながら、確かに気功の先生ともあって、なんとなく“気”の流れを感じた気がしました。

緊張の糸が一気に切れるとなんだか脱力感&だるさが一気に押し寄せますね~。
とはいえ、明日からもやることは沢山あるのです。

ご褒美&マッサージの力を得、明日からも頑張ります!!! 

どうしちゃったの?

2005年05月16日 | Weblog
最近、どうしちゃったの?
と言いたくなるような怪事件。

1:価格.com 一時休止。
 確かに先日見に行った時、見れなかったものね。。。
 サイバーテロですかぁ。。。

2:goo 背景が。。。
 なぜ、急に背景が付いちゃってるのでしょ?
 レゾナントさんに聞かなくては。。。
 ホームページをgooにしている私にはとってもとっても違和感が。。。
 今更、yahooには戻せない。
 だって、gooの方が便利なのですもの。。。

最近、ウェブ業界から離れていますが、保守の大変さをお察し申し上げます。。。

追伸:

最近、音楽ネタが多いですが、今日も一つ。

仕事帰りにちょっと疲れを感じつつ帰る途中。
携帯に入れている音楽を聴くことに。
選曲はシャッフル(ランダム)にしているので、どれが選ばれるのかな?と思っていたら、それは、、、

Des'reeの"It's OK"という曲。
そうか、タイトルどおりどうしちゃったの?ということも、
今日みたいに疲れた日も、It's OKって思っちゃえばいっかー!ってふと力が抜けました。
和みます。。。

Isn't She Lovely...

2005年05月16日 | Weblog
機種変してからというもの、携帯で音楽聴けて、ラジオも聴ける。
そんな便利なW31Sのお陰で、いろんな音楽に出会います。

ラジオを聴いていると、妙に懐かしい曲だとか、笑える曲とか、いろんな曲やトーク&エピソードに出会いませんか?
そんな影響もあってか、最近いろんな曲が頭をよぎるのですが、その中でも今日のタイトルでもある"Isn't She Lovely" by Stevie Wonderが頭から離れません。

曲名もそうだけど、(Stevie のイメージや茶目っ気も手伝ってか?!)この曲なんともカワイイ曲です。

私はかれこれ約10年前にStevie Wonderのコンサートin福岡マリンメッセに行ったことがあるのですが(この件は以前にこのブログで触れた気もしますので、既読の方はとばしてください)、Stevieってとてつもなく優しくそしてハッピーなエネルギーを発する人という印象を強く受けたことを鮮明に覚えています。
寛容でどこか神々しい雰囲気さえ持ち合わせていて、なんだか超越した人みたい。それに加えて曲も素晴らしいですし、またライブに行きたい!と思わせるアーティストです。

あー、CDを引っ張り出して今すぐ他の曲も聴きたいのだけど、CDは今福岡に。。。
く、くやしい。。。

とりあえずは、今あるMP3ではBabyfaceと共演した"How Come, How Long"が手元にあるので聴いてみようと思います。

それでは。。。

最近の動向

2005年05月15日 | Weblog
最近の動向。
いろんなことが気になります。

世の中。
世界。
経済。
(ひいては、交通事情や政治等々きりがないかな…
 隣国が核を大量に製造しようとしている動向なんかは、
 気にしない訳にはいかないのかなぁ…)

趣味とかで言えば、本や音楽等など。

その中で今日のテーマはSNS(ソーシャルネットワークサイト)。
私も某有名SNSであるGやM(あえて頭文字だけにしておきます)に登録しているのですが、数年前に登録した頃よりもはるかに今、熱いのです!
(私の周囲だけですかね???)

ユーザーの増加+年月が流れ、かなり使い勝手や機能も↑(UP)しているのは間違いないし、かつてに比べ、知名度もにわかに上がってきていて、今や経済紙(日経等)でもユーザー数の推移なんかが表で出てきたり。

その動向たるや、気になりますね。
私も、活用させてもらったおかげで、高校卒業以来音信不通だった友人と連絡を取ることが出来、10年ぶりの再会を昨年果たしたり、恩恵をこうむっている一人。
これがなかったら、再会はあり得なかったと言っても過言ではありません。
(そういった意味では、最初にGを紹介してくれたBKさんにも感謝!)

とはいえ、情報の開示には個人情報保護法が取りざたされている昨今、ちょっとナイーブになる人も多いはず。私も例に漏れず、開示できるギリギリの情報までを最大限に開示することによって、コミュニケーションの円滑化をはかっています。

その活用例の一つでもあるのが、このブログでもあります。

最近、ふと思うのは、初対面の人にどう自分を説明すべきかということ。
短時間で自分を分かってもらうというのは難しいですよね。

ただ、“短時間で自分を分かってもらえる”かは分かりませんが、その方法の一つとして、ブログやSNSはとっても有効に働くことがあり得るなと思っていたりします。

ブログに関しては、
私が今何を感じ、何を考えているか
を知ってもらうことができるし、

SNSに関しては、
自分の側面、これまでの経歴の他、趣味なんかも知ってもらうことができます。
また、どんな繋がりがあって、どんな友人・知人がいるのか。
そして、何より、友人・知人からどう見られているかを知ることができます。
(これは私も自分自身がどう見られているかを知る、貴重な機会として、実は楽しみだったりします。コメントくれた皆さん、有難うございます<(_ _)>。)

この世の中、客観的意見の方が本人の口から自分について語られるよりも、特に初対面の場合は有効だったりしますよね。

ビジネスシーンでは、
1.「△△と申します」と挨拶するより、
2.「○○さんの知り合いの△△さん」と言う方が効果的で、
3.「○○さんから評判の良い△△さん」の方が最初から評価が高い訳です。

私の場合は、別にSNSを客観的評価を得ようと思って参加しているのではなく、友人・知人を繋ぐことができたらなぁ~という淡い希望を持っていたりします。

だって、人って良い人や良いコト・モノに出会うと、嬉しくなってその人のこと、そのコト・モノを広めたくなりませんか?
少なくとも私はこんな良い人がいるんだよ~って話したくなりますし、何か面白いものを見つけたら、こんなものがあったよ~!って話したくなります。(なんせ感動しいなもので…(^^ゞ。)
そして、それを体験・実感してもらうことによって、みんなが少しでも喜んでくれたり、ハッピーになってくれたら、それで私は倍以上のハッピーを貰える気がするからです。

別に見返りを期待している訳でもないけど、楽しいことは多くの人と分かち合いたいじゃないですかぁ~。
それも、価値の分かる方にはなおのこと。。。

英語の表現で、"The more, the merrilier." という表現があります。
(人数)多い方がより楽しいという意です。
 ※綴り間違ってたらごめんなさい<(_ _)>。

金曜日のトークショーでも痛感したのですが、人と人って不思議な縁で繋がっていたりするんじゃないかなーと思う今日この頃。
そして、いろんな方から感動を頂けることを素直に感謝しているのでした。。。

追伸1:

SNSもIT&グローバル化が進み、お隣韓国の「JOCOSO」も日本進出果たしております。
早速友人からお誘いが来ています。
ご興味のある方はお知らせください。
ご紹介メールお送りしますので。
ではでは。

追伸2:

今日は“自分”について書いたせいか、
頭の中のBGMはBeyonceの"Me, Myself and I"です(笑。
この曲、Beyonceのソロアルバムからのフォースシングルだったかと思いますが、しっとりとしていていい感じですよぉ~♪

危うし。。。

2005年05月15日 | Weblog
もうすぐ使い捨てコンタクトレンズがなくなるので、眼科に行ってきました。
そこで、ちょっと気になることが。

前回購入したのは約半年前。
新宿にある某コンタクトレンズ屋さんに併設されたO眼科の処方箋を持って別のお店で購入。
(調べたら某コンタクトレンズ屋さんは値段的に良心的ではなかったので…)

今日は前回購入した別のお店Aコンタクトへ。
Aコンタクトで診察を受けるのは初だったのですが、そこで驚愕の事実が!!!
(って、大袈裟ですね(笑。)

その事実とは、O眼科で処方された処方によると私の乱視をカバーしていなかったらしいのです。
しかも、N眼科医曰く「前回はどこで診察受けたの?(処方箋を見て、)あー、O眼科ねぇ。O先生って実は眼科医じゃない(=資格持ってない)んだよ。」と。

えー??? 

確かに前回購入してからコンタクトレンズ(の度数やメーカー)を変えたはずなのに、見え方や調子あまり良くないなーと思いつつも、診察結果をなんとなく信じ込んでしまうじゃないですか~。
処方箋の見方分からないし、診察してくれたお医者さんやコンタクトレンズ屋さんで「これって間違ってないですよね?」なんて根拠もなく聞けないし。

皆さんも気をつけてくださいね。

以前とある番組の特集で、コンタクトレンズ屋さんでの診察は資格を持っていない人が対応していることが多いし、気をつけた方が良いと言っていたのを知っていましたが、まさか自分が。。。って思ってたので。

いやはや、この世の中、消費者がしっかりせねばならないご時勢なのですねぇ~~~。
痛感!

追伸:

目の保養というわけでもないですが、写真は日比谷公園。
都会のど真ん中にありながら、まったりとした時の流れを感じることができます。
癒されますよ~♪

ご恩

2005年05月14日 | Weblog
ご恩。

この言葉がふいに浮かんだ、今朝。

それはきっと、昨日坂本さんの話を聞いたからだと思う。

坂本さんのお話(経験談)にあった、鶏の話。
坂本さんがアフリカのギニアでマラリアを赤痢を併発した時、現地の病院でたった一つしかない、最後の薬を処方してもらったことがあったのだとか。

もちろん日本とは違い、医療品は貴重かつ稀少であることは言うまでもなく、その稀少さを省みずそこで病気の人がいるからというただ単純な理由で惜しむことなく、相手から何らかのみかえりを期待することなく、施すということ。

そして、それだけでなく、弱った身体のためにということで、現地でも滅多に口にすることのできない鶏を差し出してくれたのだとか。

なぜにこんなに与えることができるのでしょうね。
豊かな日本にいながら、この高い精神性には豊かさを持ってしても、何をもって豊かさと言えるだろう。。。と考えさせられます。
豊かさって何なのだろう?

ここでの価値観はお金でもなければ、みかえりでもない。
その人の人間性そのものなんでしょうね。
坂本さんという人間性、そして、現地の方の人間性。
とても“リアル”で“シンプル”な、人間性のぶつかり合い。

上記の話とは次元が違うかもしれませんが、私の旅での経験においても、ご恩を感じること・出会いが沢山ありました。
坂本さんのお話を聞いて、いろいろ考える機会があったので、これを契機にこのブログにもその経験について私なりに書いてみたいと思います。

思い返すと、元々私が東京に来るきっかけとなったことは複数の要因からなのですが、その要因の一つでもあるカナダでのワーキングホリデーの経験では、本当に沢山の方と出会いました。

その中でも、印象深いのは約半年ほど一緒にシェアしたDebra(デビー)とデビーの友達のDella(デラ)。

私がカナダに渡航していたのは97年~98年なので、かれこれ7年前。
帰国した当初はたまに連絡を取り合っていたけれど、なんだかんだと連絡を取る機会も減ってしまったことを私自身、とても反省していたりするのだけど、彼らは会うたびにその寛大さで私を包んでくれます。

デビーは今、アメリカに住んでいる為、私がバンクーバーに行っても会うことができないのですが、デラはデビーとデラの共通の友人であるThia(シィア)とシェアしています。それも、私とデビーが住んでいたアパートに。

私は2年に1回はバンクーバーに行くのですが、行く時には必ずデラに連絡しています。そして、デラは「うちに泊まる?」と必ず聞いてくれます。
私は別に「泊めてくれる」ことを期待して連絡しているのではなく、単にデラと会いたいからで、私がろくに連絡取っていなかったことで恐縮していると話すと、「You're more than welcome.」と言ってくれます。

そして、実際に泊まることとなっても、いつもと変わらぬ笑顔で迎えてくれ、どんなに忙しくてもちゃんと時間を作ってくれます。

それに、以前のように(英語での)会話がスムーズに出来なくなった私と会話する時も、(きっともどかしいはずなのに)私がちゃんと話せるまで待っててくれるんです。もし単語が出てこなくても、連想ゲームのように「You mean...(ケーコが言いたいのは...)」と確認を取りながら、話を進めてくれるんですね。

その寛容さにはいつも驚かされるのですが、デラと話すのはとても楽しく、仕事で疲れて帰ってきていても、テレビを観たりしながら、なんだかんだと深夜までおしゃべりは続いて。。。

そして、おしゃべりの他にも共通の楽しみが。
それは食事。
デビーもデラも美味しいもの好きという共通点があり、どこのお店の○○が美味しいと聞きつけては教えてくれるし、実際に作ってくれたり、食べに行ったりもします。

前回は、シィアと私の(カナダにワーキングホリデー中だった)友達も一緒に、夕日がとてもキレイに見えるお店で食事をしました。
店が混んでいたので少し待たされたりしたのですが、シィアが気を利かせてウェイターに“眺めの良い席”をお願いしてくれていました。

せっかくケーコ達が来たのだからと。。。
しかも、その日はご馳走してくれました(ToT)/~~~

お世話になった上に、ご馳走までしてくれて。。。
彼らのホスピタリティーにはホントに圧巻&感動させられます。

朝なんかも、出かける前にいつもフルーツを剥いてくれていたり、
ケーコはヨーグルトを毎朝食べるんだよね?と言って、買って来てくれていたり。。。
(よく昔のことまで覚えているよなぁ。。。)

何年経っても、彼らは以前と変わらず、さも私がちょっと留守をしていただけ…と言わんばかりにフツーに接してくれる。
別れ際には、「Take care. See you!」と言って、Hugしてさくっと別れる。
そんな優しさ・温かさに触れ、私はとても温かくなった心を持って帰国するのです。

デラの他、私には旅先で出会った多くの友達や貴重な経験があります。
本当に幸運なんだな。。。と痛感させられること度々。

今はあまり余裕もなく、ただ日々を過ごしていたりするのですが、私も坂本さんのように、いつかなんらかの形で恩返しできることを願ってやみません。

さて、私には何ができるだろう?
今まで何も考えていなかった訳ではないですが、アイデアを温めつつ、何ができるかを探っていけたらと思っています。

追伸1:

今晩、「世界がもし100人の村だったら」と言う番組がありますね。
著書を読んだことがある一人なのですが、本のタイトルのように世界を意識することの大切さを痛感しています。。。

追伸2:

noosphereって言葉、聞かれたことありますか?
私は昨夜たまたま隣り合わせた方にご説明頂いたのですが、私の概念にはなかった未知の発想でした。
世の中には、いろいろな概念があるのですね~。
知ることが出来て、とても嬉しく思います。
佳子さん、有難うございました!

得るもの

2005年05月13日 | Weblog
最近、得るものが多いなぁ~と実感すること度々。
そんな最中、今日はとある方のトークショーに参加させてもらいました。

とある交流会でお会いした方(Iさん)からお誘い頂いたのがきっかけで、私の友人も数人に声をかけて仕事帰りに会場へ。

会場に着くなり、奇遇にも見覚えのある知り合いの顔ぶれもあり、とてもリラックスできただけでなく、会場となったお店も雰囲気・お料理も良くて、良いことずくめだなーなんて、会場に着くなり思っちゃいました。
(きっとそれも何かの要因で繋がっていることなんだろうなぁ、、、と後々思うこととなるのですが。。。)

さてさて、今日の坂本達さんをお迎えしてのトークショー。
とても良いお話(貴重な経験談+ご本人の解説&映像付き!)を聞けて、とても良い刺激を受けて、興奮冷めやらぬ状態で帰ってまいりました。

ご本人とも少しお話することができたのですが、そこで話したのが“モーターサイクルダイアリーズ”のこと。キューバ革命に多大なる影響を与えたと言われる、チェ・ゲバラの自伝的映画でもあるのですが、私は昨年、この映画を見てすごく考えさせられたんですね。

仕事が忙しくてとても窮屈に、視野が極端に狭くなり、そして、かなり精神的に追い詰められていた時に近所にある小さな映画館で見た、この映画。
いつか機会があったら見て見てください。爽快なロードムービーっぽい印象のポスターに惹かれて映画館に入った私はある意味見事に裏切られたというか、爽快というよりはことのほか重い内容の印象が強く、また、“道”について考えさせられたんですね。

旅をしているとよく考えさせられるんですね、“道”って。

見ず知らずの土地で道に迷いました。
目の前には右に進む道と、左に進む道があります。
さて、あなたはどちらに進みますか?

(ここで、前提条件やもっと詳しい情報がないと答えられないよぉ~という人がいたら、そんな貴方はとてもアナリティカルと言えるでしょう♪)

果たしてどちらの方が正解なのか、
目的地により近いのか、、、
その答えは、貴方が求めている「解」にもよると思うのですね。

今日の達さん(あえて、こう呼ばせてもらいましょう♪)のお話にも、同じようなシチュエーションがありました。

そして、映画にもこのようなシチュエーションがありました。

さて、貴方ならどんな道に進み、どんな解を期待・想像しますか?
それは、何故ですか?

このような“道”の選択って、
実は日常で些細と思っていることが実は大きなことに繋がっていたり、
実は大きなことと思っていることが逆に大したことなかったり。。。

その時々によって、
事情によって、
状況(情勢)によって、
環境によって、
違いますし、また、正解もないんです。

そう書いていると、「スライディングドア」というグィネス・パルトロウ主演の映画をも思い出してしまいました。

あの時、TUBE(イギリスの地下鉄)に乗り遅れていたら…というシチュエーションと乗り遅れずにいたら…という2つのシチュエーションを取り入れた映画。
1つの電車に乗れる、乗り遅れるかで状況だけでなく、人生をも変えてしまったとしたら。。。
という仮定も考えられますよね。

前述の映画に出てきたチェ・ゲバラは、旅先で出会う人々、そして人々の生活を通して、旅に出る前には予想をもつかなかった人生を歩み始めることになります。
これって、チェ・ゲバラの場合は、その人の軸ともなり得る部分までもがガラっと変わってしまった訳です。
これが、旅に出なかったとしたら、、、?!

話戻って、達さんの話。
達さんの“道”の話は、ちょっと上記の話とは違うのだけど、
達さんの場合は、とりあえず様子を見たそうです。
しばらく時間の経過を見て、誰かが通るのを見て進もうとされたそうです。

そういう慎重さも大事ですし、
その考えは経験値、その時の状況にもよるのでしょうが、、、
(因みにここでは、達さんの経験談は割愛させて頂きます。
 良かったら著書に書かれてあるかもしれませんので、ご参考までに♪
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4895888029/ref=ase_greereview-22/249-7502081-4765963)

要は何を言いたいのかというと、
皆さんもいろんなシチュエーションの中でどういった形・方法であれ、
“道”を選んで来たわけで、
その到達点が“今”ということ。

そして、“今後”を良くしていく為に
“今”そして、“道”の選択を真剣に取り組むことが大事なんじゃないかと。

つい数ヶ月前、私は就職で悩んでいたことがあります。
幾つかの選択肢がある中で、どこに進むべきかと。

私の場合、とても慎重かつ悩んでも悩みきれない程にすごく考え込んでしまうことがあるのですが、今回も例に漏れず悩みに悩んで出した結果は。。。

いつも決断に至る時、判断が遅いだとか、すぱっと決断できない自分に嫌気がさしたりもしますが、悩みに悩みぬいて出した結論というのは、得てして納得いくものであることを後で痛感させられることが往々にしてあります。
目の前にある“道”をしっかりと見据え、
(第三者から)頂けるアドバイスがあるのであれば、その力を借り、
その時その時で最良の方法はないか?を探る。

これが大事じゃないかなーと思います。

坂本達さん ウェブサイトは↓
http://www.kikimimi.net/tatsu/index.html

落語ブーム?

2005年05月12日 | Weblog
最近、にわか落語ブームだってことご存知でした?
私はつい最近知ったのですが。。。

オトナには、ドラマ“タイガー&ドラゴン”の影響、
子供には、子供向け番組で取り上げられたことからが起因なのだとか。

20年~30年ぶりとも言われるブームなのだとか。
すごいですね。

実は私、落語に詳しくはないものの、それこそ物心ついた時から“間”が悪いということに気付き、どうにかならないかと考え、落語を学ぶのも良さそうだなーと気になりつつも、きっかけがなく、今に至ってます。。。

一昨年だったか、前の前の職場に落語家の方がお見えになって、なぜか私も仕事中にも関わらず拝見させて頂くことに。

その時にお弟子さんも含め、落語家の苦労話等もお聞きすることがあり、芸を極める厳しさだけでなく、その道を続け・進む厳しさをもあることを知ったのでした。

いやー、恐れ入ります。

このブームどの位のものなのか、一過性のものなのか分かりませんが、日本の伝統文化に目を向ける良い機会かもしれませんね。

因みに今週土曜日に神楽坂の会という、友人が主催する会(今回第6回かな?)が開催予定。
この会、江戸の文化を楽しむ会という別名も。
今のところ、江戸の食文化を楽しんでいるという感もありますが、主催するAさんは自ら和服で訪れることも。
いなせだね~♪

そういえば、今週末は三社祭もあるとのこと。
私は行けないですが、会社の同期のSちゃんが行くとの事。自らちゃきちゃきの江戸っ子というSちゃんに感想等も含め、いろいろ教わりたいと思います。

プロであると言うこと

2005年05月10日 | Weblog
プロであるということ。
これって、どういう“ものさし”ではかるのか?ってふと考えることがありました。

私の場合、以前IT業界にいた時に心がけていたのが、エンドユーザー(※)の立場に立ったという考え方。
(※ エンドユーザーとは、末端の利用者。一般使用者。コンピューターでは自分ではプログラムは組まず、アプリケーション-プログラムだけを利用するユーザーをさす。)

例えば、誰かにコンピューターの操作等を説明する際、エンドユーザーの立場に立って、エンドユーザーやコンピューターに不慣れな方でも分かるように説明することを心がけていました。
一般的に専門用語が多い業界ではありますが、以前の上司が「普段から略語を使わないように心がけよう!普段から癖をつけていないと、いざという時に対応できないからね。」と一緒に働き始めることになった時、そう教えてくれました。
それ以来、少なくとも私が所属していたグループでは、その心がけを徹底していたし、また、誰かが分かりにくい説明をしていたら、「○○とは、どういうことなのでしょうか?」と聞くことにより、相手に対してそれとなく“わかりにくいですよ”という意思表示+どんな説明をするのか参考にさせてもらっていたこともありました。

ちょっとストイックに見えるようですが、これはプロ意識を育てる意味でも、また普段からの“意識付け”、“気付き”を養う良い経験となりました。
また、これが徹底してできる、続けるということ=高いモチベーションや意識が必要となります。
短期的に何かをすることは容易でも、長く働くうちにモチベーションが下がること、知らず知らずのうちになぁなぁになり、継続できていないことというのはよくあることですから。

とは言え、どうしても専門用語ってどの業界にもありますし、あって当然、あって然るべきとも思うのです。
ただ、その業界の垣根を越えてしまうと、ちょっとズレや違和感があったりもしますよね。。。

話がちょっと片道にそれそうなので本道に戻ることにします。

さて、冒頭で書いたプロであるということ。
これを考えるきかっけとなったのはとある方からのメールから。
その方曰く、「難しい言葉で説明されても頭がパニックになりそう」という言葉がありました。

これってきっとその方が抱く、某業界の側面であり、その業界のイメージなんでしょうね。
その方が以前どのような経験をされたのか、その背景に何があるのか、メディアのイメージなのか、それは分かりませんが、得てして、その方からそのイメージを取り除く方法が概ね2つしかないかなと思います。

一つは、そのイメージを払拭させるべく、あえてお会いしてお話してみる。
これはある意味ショック療法にも近いのかもしれません。
ただ、誰かが誤解を解いてあげないことには、その方は偏りなく物事を見るきっかけを失ってしまいます。

もう一つは、その方が自分で殻を破る、もしくは何らかの形で殻を破るきっかけを身近な人や第3者からもらうという手です。
これは、なかなか縁遠い気もしますし、よっぽどの偶然が重ならない限り難しいでしょうね。

さて、いろいろ考えてみるもののこれという解決策はないのが現状じゃないかと思います(もし他に良い策があれば、是非とも教えてください<(_ _)>)。
作戦は立てられても、相手が個人であり、その個人にあった処方・やり方でないと、その壁は崩すことが不可能なのではないかと。

まぁ、それも運命なのかな。
(そこまで大きく言う必要はないかも。。。)

ところで、今日、また一つ“プロ(意識)”を感じることがありました。
それは親友のMと話をしていた時のこと。

Mが「ケーコは最近週末とかどうしてるの?」という問いに対し、
思いっきり素で「うん、試験前だから試験勉強とか?」と、色気のない答えをしてしまった私。
(まぁ、それはさておき。。。)

すると、Mが「私も実は今月、訓練なんだー。訓練が終わったら、またゆっくり話そー!」っと。

そうか、Mは訓練なのか。。。
帰り道、一人考えてみた。

そう、Mは就職して以来、高嶺の花と言われる皆が憧れる職業でいながら、ただそこに留まるだけでなく、常に一歩先を目指して、向上心を忘れることなく歩んできた尊敬すべき友でもあります。

業務に直結する勉強+αで常にいろんな勉強しているし、何かを吸収し、何かを学ぼうとしている姿は本当にステキで、こつこつ着実に積み重ねが出来ていて尊敬に値します。
身近に尊敬すべき人がいることで、私自身も良い刺激を受けてきたし、こんなステキな友に恵まれた私は本当に幸せだと思ってしまうほど。
(彼女の気配りしにしても、優しさにしても、とても見習うべきところが多い人なのです!)

そんな彼女は就職してかれこれもう10年経とうかとしているけれど、以前と変わりなく勉強しているし、ステップアップしているし、また訓練を受けている。

この訓練や日々の積み重ねが、彼ら・彼女らの“プロ”としての威厳であり、その厳しさゆえに、皆が憧れる職業たる所以でもあるのではないでしょうか?

私自身、旅好きでよくお世話になっている飛行機。
そのフライトや旅、ひいては沢山の夢や希望をのせて皆さんを運んでいるということ。
なくてはならない存在ですね。
そのなくてはならない存在であるということ。
そして、その存在を支えているということ。
これこそがプロなのかもしれないと思うのです。

どの職業にもそれぞれ専門性があって、それぞれ威厳があります。
その誇りを忘れずに進んでいくこと、そしてそれぞれを尊重しながら生きていくことができたらいいな、素敵だなと思うのです。

追伸:

今日はなんだか生真面目に語ってしまいました…^^;

Mさん、今日は貴女のことを書かせてもらっちゃいました。
何かご意見あったらコメントでもくださいね!