ここ2週間で欲しかったものが運よく手に入りました。
といってもたいしたものではないんですけどね、ただ、私的に密かに欲しかったもの。
それは、、、カレンダー。
毎年どこかからともなくキレイな風景のカレンダーを頂くことが通例だったのですが、今年は例外か?!と思っていました。
もうお付き合いのなくなってしまった某電気メーカーさんのものが欲しいな、なんて思っていたのですが、今更お願いできないし、、、福岡にいるそのグループ会社に勤める友達に頼むかなぁ。。。でも、この時期だともう手元に残ってないかぁ。。。なんて思ってました。
はたまたその前に使っていたかつてのグループ会社のものも、きっとお客様先などに配ってしまって今更余りないだろうなぁ。。。とか、かつての上司にお願いするかぁ。。。なんていろんな可能性を探っていたところ。
でも、行動には至らずだったのですが、今日会社メールに余ったカレンダーの引き取り手を捜しているとの一報が!
よしっ!とばかりに、行ってみると真っ先に見つけた某旅行会社のカレンダー。ちょうど見たい風景が載っていて、“まさにこれ!”とばかりに満足げに手にしたのでした。
早速お家の、カレンダーの所定位置に飾っております。なんだかなくてはならないものが、そこにふとそこにおさまるべきしておさまってる、そんな妙な安堵感を覚えております。
欲しいものって、単に買えば手に入るものとそうでないものがあって、カレンダーだって買ったらいいのかもしれないんですけど、なんだか季節的な風物詩として、どこかそこらへんに転がっているものを見つけたりする楽しさがあったりする気がします。
「あっ、これ使える!」とか、「これってもうちょっと大きかったらいいのに。。。」とか、そんな些細なことなんですけど、そこにあるものから選ぶという行為がなんだか妙に落ち着くというか、当たり前の感覚にいつしかなっている気がします。
こんな感覚、シェアしたところでどうってことないんでしょうけど、私にとっては、なんだか妙に満足感と安堵感を覚えてしまった出来事だったのです。
といってもたいしたものではないんですけどね、ただ、私的に密かに欲しかったもの。
それは、、、カレンダー。
毎年どこかからともなくキレイな風景のカレンダーを頂くことが通例だったのですが、今年は例外か?!と思っていました。
もうお付き合いのなくなってしまった某電気メーカーさんのものが欲しいな、なんて思っていたのですが、今更お願いできないし、、、福岡にいるそのグループ会社に勤める友達に頼むかなぁ。。。でも、この時期だともう手元に残ってないかぁ。。。なんて思ってました。
はたまたその前に使っていたかつてのグループ会社のものも、きっとお客様先などに配ってしまって今更余りないだろうなぁ。。。とか、かつての上司にお願いするかぁ。。。なんていろんな可能性を探っていたところ。
でも、行動には至らずだったのですが、今日会社メールに余ったカレンダーの引き取り手を捜しているとの一報が!
よしっ!とばかりに、行ってみると真っ先に見つけた某旅行会社のカレンダー。ちょうど見たい風景が載っていて、“まさにこれ!”とばかりに満足げに手にしたのでした。
早速お家の、カレンダーの所定位置に飾っております。なんだかなくてはならないものが、そこにふとそこにおさまるべきしておさまってる、そんな妙な安堵感を覚えております。
欲しいものって、単に買えば手に入るものとそうでないものがあって、カレンダーだって買ったらいいのかもしれないんですけど、なんだか季節的な風物詩として、どこかそこらへんに転がっているものを見つけたりする楽しさがあったりする気がします。
「あっ、これ使える!」とか、「これってもうちょっと大きかったらいいのに。。。」とか、そんな些細なことなんですけど、そこにあるものから選ぶという行為がなんだか妙に落ち着くというか、当たり前の感覚にいつしかなっている気がします。
こんな感覚、シェアしたところでどうってことないんでしょうけど、私にとっては、なんだか妙に満足感と安堵感を覚えてしまった出来事だったのです。