大学の卒業式も終わり、2019年日本取材チーム「新緑」第三代のメンバー2人も旅立った。学期末は18年参加の第二代と一緒に何枚も写真を撮った。
連載も今回を最終回とする。最後に、何度も名前をあげてきた大学時代の同級生を改めて紹介したい。学生時代の名前は石原多香子さん。卒業後は京都で英語教師をしていたが、お父さまが亡くなった後、実家の京都出町柳・正定院を継いで女性住職になった。結婚して改姓したため僧名は木村純香さんである。すでに社会人の息子さん2人がいて、都内の金融機関に勤める次男の武揚さんが跡を継ぐことになっている。
京都は保守的な町で、一元さんはなかなか入り込めないとよく言われる。一概には言えないだろうが、今回の取材で、彼女の助けがなければ、多くの重要な取材が実現しなかったことは確かだ。西陣織の座談会を企画してくれた福田陽子さん、「ひさご寿司」女将の宇治田恵子さん、「柊家」女将の西村明美さん、冷泉家当主の冷泉貴実子さん、みな純香さんの紹介によるものだ。あたかも自分が私たちメンバーの一員になったかのように、責任感と使命感をもって、一緒に取材相手を探してくれた。
平成最後の4月30日の夜には、私たち全員がお寺に招かれ、抹茶と精進料理をごちそうになった。檀家さんや近所の友人が手伝いに来てくださり、格別のもてなしを受けた。それだけではない。わざわざ中国の学生のために、地元の人を集め貴重な伝統芸能、六斎念仏まで披露してくれた。地元の田中村に伝わる六斎念仏は、応仁の乱の間に始まったとされ、戦後、一旦途絶えた後、1998年(平成10年)に再興された。東京で仕事をしている武揚さんも一時帰宅し、私のリクエストにこたえ、獅子舞を踊って見せてくれた。
新緑のメンバーから感謝状と記念の大学ペナント、メンバー用のバッジが贈られ、文字通り、新緑の名誉メンバーになった。
手厚いおもてなしに、学生たちはただただ感動するばかりだった。最終日の食事会にもわざわざ足を運び、渡し忘れたと言って、「一期一会」と書かれた書の絵葉書を学生たち全員にプレゼントしてくれた。一人の学生はその写真をウィーチャットの自分のアカウント写真に使っているほどだ。
宿舎を出発する直前の早朝にもちょっとしたハプニングがあった。
学生のカメラ用三脚が見つからない。4月30日の夜、正定院を出て、令和のカウントダウンを取材する準備のため向かいのカフェに入った。そこで忘れたようだ。ネットで電話番号を調べたが、早朝で店員がいるわけもない。頼みの綱として彼女にすがったところ、なんと彼女のご主人がカフェの店長と懇意で、すぐに携帯で連絡を取ってくれた。素早い対応で、三脚を入手でき、私たちのバスは正定院経由で関空に向かった。
忘れ難い最後の思い出となった。
すべての好意と厚意に対し、木村純香さん、正定院に深く感謝申し上げたい。どうもありがとうございました!
多くの方々の支えによって今年の日本取材ツアーを終えることができた。原稿や映像の作品はまだこれからも発表する予定である。と同時に、来年の開催向け準備も始まった。
(完)
連載も今回を最終回とする。最後に、何度も名前をあげてきた大学時代の同級生を改めて紹介したい。学生時代の名前は石原多香子さん。卒業後は京都で英語教師をしていたが、お父さまが亡くなった後、実家の京都出町柳・正定院を継いで女性住職になった。結婚して改姓したため僧名は木村純香さんである。すでに社会人の息子さん2人がいて、都内の金融機関に勤める次男の武揚さんが跡を継ぐことになっている。
京都は保守的な町で、一元さんはなかなか入り込めないとよく言われる。一概には言えないだろうが、今回の取材で、彼女の助けがなければ、多くの重要な取材が実現しなかったことは確かだ。西陣織の座談会を企画してくれた福田陽子さん、「ひさご寿司」女将の宇治田恵子さん、「柊家」女将の西村明美さん、冷泉家当主の冷泉貴実子さん、みな純香さんの紹介によるものだ。あたかも自分が私たちメンバーの一員になったかのように、責任感と使命感をもって、一緒に取材相手を探してくれた。
平成最後の4月30日の夜には、私たち全員がお寺に招かれ、抹茶と精進料理をごちそうになった。檀家さんや近所の友人が手伝いに来てくださり、格別のもてなしを受けた。それだけではない。わざわざ中国の学生のために、地元の人を集め貴重な伝統芸能、六斎念仏まで披露してくれた。地元の田中村に伝わる六斎念仏は、応仁の乱の間に始まったとされ、戦後、一旦途絶えた後、1998年(平成10年)に再興された。東京で仕事をしている武揚さんも一時帰宅し、私のリクエストにこたえ、獅子舞を踊って見せてくれた。
新緑のメンバーから感謝状と記念の大学ペナント、メンバー用のバッジが贈られ、文字通り、新緑の名誉メンバーになった。
手厚いおもてなしに、学生たちはただただ感動するばかりだった。最終日の食事会にもわざわざ足を運び、渡し忘れたと言って、「一期一会」と書かれた書の絵葉書を学生たち全員にプレゼントしてくれた。一人の学生はその写真をウィーチャットの自分のアカウント写真に使っているほどだ。
宿舎を出発する直前の早朝にもちょっとしたハプニングがあった。
学生のカメラ用三脚が見つからない。4月30日の夜、正定院を出て、令和のカウントダウンを取材する準備のため向かいのカフェに入った。そこで忘れたようだ。ネットで電話番号を調べたが、早朝で店員がいるわけもない。頼みの綱として彼女にすがったところ、なんと彼女のご主人がカフェの店長と懇意で、すぐに携帯で連絡を取ってくれた。素早い対応で、三脚を入手でき、私たちのバスは正定院経由で関空に向かった。
忘れ難い最後の思い出となった。
すべての好意と厚意に対し、木村純香さん、正定院に深く感謝申し上げたい。どうもありがとうございました!
多くの方々の支えによって今年の日本取材ツアーを終えることができた。原稿や映像の作品はまだこれからも発表する予定である。と同時に、来年の開催向け準備も始まった。
(完)