行雲流水の如く 日本語教師の独り言

30数年前、北京で中国語を学んだのが縁なのか、今度は自分が中国の若者に日本語を教える立場に。

「辛苦了!(お疲れさまでした)」のひと声が持つ重み

2016-11-29 16:36:12 | 日記
先週末、日本への取材ツアー参加希望者を対象にした面接をしたことはすでに書いた。その後の反響が相次ぎ私の耳に届いている。SNSによる情報発信の時代、学生たちはすぐ意見や感想を書き送るのが習慣となっている。いわばどこにいても学生たちの澄んだ、正直な目にさらされ、値踏みされているわけである。教師が学生を面接をしていると思ったら大間違いだ。教師は面接を通じ学生に見られてもいる。

反響の中で印象的だったのが、ある学生が「ウィーチャットのサークルで、先生のことが話題になっていますよ」と転送してくれた一文だ。



日本語に訳すると次の通りになる。

「学院プログラムの面接があった日は雨が降ってすごく寒かったでしょ。面接が終わった後、加藤先生がウィーチャットで、『今日はお疲れさまでした!』と送ってくれた。私はちょっと反省した。先生は2時間以上も面接をしてくれたのに、私は『お疲れさまでした』のひとことを言えなかった。それなのに先生は私に『お疲れさま』と言ってくれた。ただすごく温かい言葉だと感じた。こうした先生たち触れ合っていて、強く感じることがある。ただ当たり前のようにこの生活に甘んじていてはいけないのだ」

私は、よく知っている担当科目の学生には全員、同じようにねぎらいの言葉を送った。バタバタとした流れ作業のような面接で、学生たちが落胆しているような気がしたからだ。自分でも十分に学生の能力ややる気を把握できたとは言えなかった。ほんのひとことが時として大きな意味を持つことを教えてくれた。特に異文化が触れ合う場では、しばしばこのひとことが決定的な印象を残すことがある。

もう一つの反響は、ある学生が自分のウィーチャットに、仲間だけで共有する日記として書き込んだ内容だ。そこにはこう書かれていた。

「面接中、ある学生が、日本の環境問題について取材したい点について、日本の環境保護理念を学んで中国の環境意識向上に生かしたい、と答えた。すると日本の加藤先生がこう言った。『日本の環境保護理念の中には、もともと中国から伝わってきている思想もある。みんなはを知ってますか?』と。短いひとことだったけれど、非常に印象に残った。西側の思想が圧倒的な地位を占めている時代に、私たちは、表面的な制度から深層の文化に至るまで、多くのものを西洋に求めているけれど、、、」

私は、「天人合一」「無為自然」「知足安分」など中国の古代思想は、人間が自然と一体となり、共生する知恵を教えていると伝えたかった。その第一歩として、学生たちの反応をみたのだ。日本では明治以降、「nature」の訳語として中国語の「自然」があてられたが、前者が人と対立する概念であったのに対し、後者は不可分であった。翻訳上の齟齬が自然と人間の関係にまで混乱を招いたのではないか。そんなことを中国の学生たちと探求したいという思いがあった。

池に石を投げ、水面に輪が広がっていくさまを思い浮かべる。まだ芽をのぞかせたばかりの初々しい心は、わずかな空気の揺れにも奏でを響かせる。教師のひとことは岩のような重みと責任を持っている。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿