行雲流水の如く 日本語教師の独り言

30数年前、北京で中国語を学んだのが縁なのか、今度は自分が中国の若者に日本語を教える立場に。

ミラーニューロンとEQの関係は?忖度とは無関係

2018-08-20 10:13:12 | 日記
他人への思いやりを持つこと、相手の立場に立ってものを考えること、その心の働きをEQという。この感覚が鈍ければ、中国では「情商(EQ)低!」とマイナス評価を受ける。推し量ることに注目すれば、忖度もまたEQにつながるのかと思えるが、その動機がもっぱら個の利害、利己心にある点において、全体の利益にかかわるEQとは対極にあると言ってよい。なぜ全体の利益と言えるのか。

サルや人間の脳内にミラーニューロンと呼ばれる特殊な神経細胞が、生ハムの産地で知られるイタリア・パルマの大学で確認されたのは1990年代のことだ。仲間の行動を目で追いながら、脳の中ではあたかも自分で同じ行動をとっているかのように活性化する。鏡で映したような反応が起きるのだ。未解明な部分が多いものの、模倣による言語習得や、人が生まれながらに持っている共感、コミュニケーションの社会性を読み解くうえで極めて貴重な科学的根拠を提供してくれる。

進化心理学によれば、こうしたミラーニューロンも、個体が生命を維持し、子孫を繁栄させるために発達させてきた機能の一つだと言える。自然界において個体としては劣勢出るホモサピエンスが、相互の共感によって集団を拡大・強化してきた歩みを考えれば、ミラーニューロンが進化のたまものであることもうなずける。ミラーニューロンの発見を、ノーベル賞を得たDNAの二重らせん構造に匹敵する、世紀の事件だとする評価も誇張ではない。

相手が言葉にも、行動にも表していないことを推し量る忖度では、そもそも模倣の対象がない以上、ミラーニューロンは原理的に発火し得ない。しかも動機が自己保身であり、集団の全体利益とはかけ離れている。それどころか、長い目で見れば集団の存続に不利益をもたらすことがしばしばであり、進化どころか、退化につながる自滅行為である。

思えば、偉大な古人たちはミラーニューロンの存在を知らないまま、人間が本来持っている同情や共感について繰り返し語ってきた。

孟子は、「人はみな善なる性を持って生まれる」と性善説を説き、そのあらわれの一つとして、仲間に同情を寄せる「惻隠の心」を挙げた。人にはみな忍びざるの心というものがある。もし、井戸に落ちようとしている幼子を見たら、だれしも惻隠の情が湧き、救いの手を差し伸べようとする。そうした心が動くのは、幼子の親から礼を受けたいとか、英雄になりたいとか、見て見ぬふりをして非難されることを恐れるからではない。生まれながら備わったミラーニューロンが生命の危機を察知するのだ。

西洋においては、道徳観念における理性の働きを排除し、情念を重んじたヒュームを受け継いだアダム・スミスの『道徳感情論』が知られている。スミスは同書の冒頭を次のように書き始めている。

「人間がどんなに利己的なものと想定され得るにしても、明らかに人間の本性の中には、何か別の原理があり、それによって、人間は他人の運不運に関心を持ち、他人の幸福を--それを見る喜びの他には何も引き出さないにもかかわらず--自分にとって必要なものだと感じるのである。この種類に属するのは、哀れみまたは共感であり、それはわれわれが他の人々の悲惨な様子を見たり、生々しく心に描いたりしたときに感じる情動である」

スミスはさらに続けて、我々が他人の悲しみを想像して悲しくなることがあることを指摘し、「証明するのに例を挙げる必要はない」と言い切っている。ミラーニューロンの存在を先取りしたかのような発言である。スミスは『国富論』で徹底した自由競争を主張し、利己的な個人を想定したかのように思われがちだが、実は、共感を通じた道徳人を思い描いていたことがわかる。

前学期の授業中、人工知能と人の関係について議論していたとき、ある女子学生が「人間は本来善良なものだ。機械とは根本的に異なる」と発言し、私が「さすが孟子の国だね」と応じたのを思い出した。彼女のEQは確かに高かったと言える。

日本の官僚社会にはびこる忖度は、個人が巧みに世渡りをするうえで身につけた自己保身の出世術ではあっても、集団を維持するための共感とはほど遠い。出世術の忖度を、庶民が暮らしの中で無意識に獲得した処世術と一緒くたにし、自己弁護したところで、ミラーニューロンは発火していないことに留意する必要がある。

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