行雲流水の如く 日本語教師の独り言

30数年前、北京で中国語を学んだのが縁なのか、今度は自分が中国の若者に日本語を教える立場に。

【日中独創メディア】中国文学から学んできた日本、今は?

2016-01-26 23:08:45 | 日記
森鴎外の短編小説『魚玄機』は、唐代の著名女流詩人が、嫉妬ゆえに破滅する不運を描いたものだ。短い文章の中に、愛情に翻弄される女の悲哀が引き締まった漢語で凝縮されている。それを読んでいたら、期せずして白居易に出会った。『魚玄機』にはこうある。

「詩が唐の時代に最も隆盛であったことは言を待たない。隴西(ろうせい)の李白、襄陽(じょうよう)の杜甫が出て、天下の能事を尽した後に太原の白居易が踵(つ)いで起って、古今の人情を曲尽し、長恨歌や琵琶行は戸ごとに誦んぜられた」

「古今の人情を曲尽し」とは、人の感情をあますところなく言い表したということだ。詩人に対する最高の賛辞である。白居易は日本人に最も親しまれてきた詩人の一人であり、『源氏物語』にもしばしば引用され、清少納言は『枕草子』で「文(ふみ)は文集(もんじょう)」とまで言った。文集とは白居易の詩文全集『白氏文集』である。「文集」とはすなわち『白氏文集』を意味したほど親しまれたのである。

白居易は、『長恨歌』ばかりがもてはやされることに不満で、作詩は政治に奉仕すべきとの持論を語ったが、国境を越え、時間を越え愛唱されているその事実が、政治を越えた普遍的な価値を有していることを証明している。それは弱者への優しいまなざし、愛ではなかろうか。本人は栄達を極め、余りあるほどの名声に浴したが、決して恵まれた家庭でなかった生い立ちも影響しているだろう。

杜甫の詩に「朱門朱肉臭し 路に凍死の骨あり」がある。権力者の腐敗と兵役と課税に泣く老百姓の苦境を凝視した有名な一首だ。官途に恵まれず、貧困にあえぎながら諸国を放浪した杜甫は、各地で社会の不条理を目にし、「路に凍死の骨あり」と言い放った。同句を収めた詩『自京赴奉先県詠懐五百字』の中には、愛児を餓死させ「人の父として恥じとなす」と悲嘆に暮れる父親の心情も詠われている。杜甫自身は士族で、老百姓に課せられる兵役や税は免れているが、老百姓の置かれた苦境を思い、悲嘆は収まるところを知らなかった。有徳の士を意識した儒者の気負いを思わせる。

だが、白居易は平易な言葉で、徹底して庶民の心に寄り添うおうとする愛が感じられる。有名なのは『売炭翁(ばいたんおう)』だ。以前、拙著『中国社会の見えない掟 潜規則とは何か』(講談社現代新書)で全文を引用したことがある。「魚肉百姓」という言葉が象徴するように、権力がほしいままに無防備な庶民を食い物にする圧政はやまない。

顔をススだらけにした翁が牛車を引き、飢えをしのぐため炭を売り歩いている。雪が降り、路面は凍り付いているが、身につけているのは単衣だけだ。皇帝の使者だという役人が通りかかり、引っ立てられる。炭を持って行かれるが、代わりにわずかな布を与えられただけで、不平を漏らすこともできない。

 炭を売る翁、薪を伐り炭を焼く 南山の中。
 満面の塵灰 煙火の色、両鬢蒼蒼 十指黒し。
 炭を売り銭を得て 何の営む所ぞ、身上の衣装 口中の食。
 憐れむ可し 身上 衣 正に単なり
 心に炭のやす賤きを憂え 天の寒からんことを願う。
 夜来 城外 一尺の雪、暁に炭車に駕して氷轍をひきにじ輾る。
 牛はつか困れ人は飢えて 日已に高く、市の南門の外 泥中にやす歇む。
 へんぺん翩翩たる両騎 来るは是れ誰ぞ、黄衣の使者 白衫の児。
 手に文書を把り 口に勅と称し、車をめぐ回らし牛を叱り 牽いて北に向わしむ。
 一車 炭の重さ 千余斤、宮使 駆りも将て惜しみ得ず。
 半匹の紅紗 一丈の綾、牛頭に向かって繋け 炭のあたい直に充つ。

 〈訳〉
  売炭翁は、終南山と呼ばれる山の中で、薪を伐り、炭を焼く。満面はホコリだらけで 炭がすすけたような色だ。髪には白いものが混じり、手も真っ黒だ。炭を売って小銭を 稼ぎ、一体何をしようというのか。身を覆う服と飢えをしのぐ食べ物が必要なのだ。か わいそうに、着ているのは単衣だけだ。心配なのは炭の売値が安いことで、値が上がる ように天候が寒くなることを願っている。長安城の外は、昨夜からの雪が三十センチほ ど積もり、朝方、炭を載せた牛車に乗って、凍結した路面を走ってきた。牛は疲れて、 翁も空腹だ。日はとうに高くなっている。南門の外の泥道で休んでいると、さっそうと 二人が馬に乗って現れた。だれかと思っていると、黄色の官服を着た宦官と白の服を着 た若者だった。手に文書を持ち、皇帝の命令だと称し、牛車を引き返させて、北の方へ 引っ立てられた。牛車に積んだ炭の重さは六百キロ以上、役人が持ち去ったとしても、 翁が文句を言うことはできない。受け取った六メートルの紅の薄衣に三メートルの綾絹 を牛の頭にかけて、炭の代金にするしかないのだ。(松枝茂夫訳)

詩はその担い手である科挙選抜のエリート官僚を失い、大衆化への道を歩んできた。その意味で、政治講話として詩を取り込んだ毛沢東は特異だったと言える。だが中国にはその後、匹敵するほどの文芸を持ち得たであろうか。日本もまた白居易の残したものを継承、発展し続けてきた熱意は、冷めてしまっていないだろうか。今夜、仲間内の新年会で、日中出版物の翻訳事情について語り合いながら、新たな道を模索しようと意気投合したところである。

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