行雲流水の如く 日本語教師の独り言

30数年前、北京で中国語を学んだのが縁なのか、今度は自分が中国の若者に日本語を教える立場に。

野村萬の狂言『木六駄』は圧巻!86歳の円熟と衰えぬ体力

2016-01-24 22:52:27 | 日記
今日は元日本さくら女王の工藤園子さんに誘われ、国立能楽堂で狂言を見に行った。中国に狂言を紹介する長期プロジェクトがあり、我々のNPO日中独創メディアも支援協力に加わろうという準備を兼ねたものだった。これまで数えるほどしか見たことがなかったが、圧巻だった。門外漢ながら、素朴な庶民の人情と笑い、形式美を備えた表現力は、間違いなく国境を越えると実感した。

演目は12歳の野村眞之介がシテを演じる「二人袴(ふたりばかま)」、和泉流の野村万蔵と大蔵流の山本則孝の共演による「節分」、最後は人間国宝の野村萬(和泉流)と善竹十郎(大蔵流)の大御所による「木六駄(きろくだ)」。

「木六駄」の筋書きはこうだ。主人の言い付けで、薪六駄、炭六駄を牛12頭を率いて伯父に届けるよう使用人の太郎冠者が命じられる。大雪の峠を越えて行くのだが、吹雪の中、牛12頭を従えるのは容易でない。主人から一緒に預かった贈呈用の酒があったが、峠の茶屋でその店のおやじにそそのかされ、寒さをしのぐためと2人で酒を空けてしまう。いい気持になった太郎冠者は、おまけに薪も茶屋に置いて行ってしまう。千鳥足になった太郎冠者が伯父の家にたどり着いて、伯父が怒り、
「やるまいぞ、やるまいぞ」と追いかけ、太郎冠者が「ゆるせられい、ゆるせられい」と逃げていく。

他愛ないストーリーだが、太郎冠者扮する野村萬が、舞台をいっぱいに使って飛び回り、雪山をのらりくらり歩く12頭の牛を現出させる渾身の演技を見せる。荒い息づかいが観客席まで伝わり、あたかも吹雪の中にいるかのような錯覚をする。茶屋で2人が酒を飲みかわす場面では、こちらも一緒に酔いが回ってきそうなほど迫真の演技だ。86歳の年は全く感じない。その年輪の円熟さのみが伝わってくる。終演後、「やっぱりすごいね」「見事だ」と周囲からも声が上がった。

親子を対象にしたファミリー狂言や、お笑い芸人の南原清隆(ウッチャンナンチャン)とのコラボによる「現代狂言X」もすでに10年を迎えた。伝統文化が時代の波に洗われてさらに磨きをかけ、国を越えて新たな光が当たるよう願っている。

私が以前、拙著「『反日』中国の真実」(講談社現代新書)で書いた一節を以下に再録しておく。


日中関係が悪化していた一九二六年、上海を訪れた谷崎潤一郎が興味深い体験談を書き残している。谷崎は、魯迅と親交の深かった書店主、内山完造が主催した招宴で、日本滞在経験のある郭沫若(かく・まつ・じゃく)や田漢(でん・かん)、欧陽予倩(おうよう・よせん)ら文人たちの知遇を得る。中国側から盛大な答礼の宴に招かれた時の様子を、『きのふけふ』に記している。

「あの時分にも日貨排斥の声は頻々と聞こえてゐたのであるし、そして恐らくは、所謂抗日教育なるものも、もうあの頃から彼の国の為政者に依って暗々裡に実施されつゝあつたのであろう。にも拘わらず、その歓迎会の空気は実に和気藹々たるものであつた」(『上海交遊記』)

 酒席の盛り上がりようは、谷崎が「しまひには私が胴上げをされ、頬擦りをされ、抱き着かれ、ダンスの相手をさせられた」と書いており、十分伝わってくる。谷崎が同作品を著したのは、日中戦争中の一九四二年だ。次の言葉は、今なお読み返すべきものである。

 「これは今云ってももう追い着かないことではあるが、せめてあの時分から日支双方の文壇人の間にあゝ云ふ会合がもつと頻繁に催され、又相互の作品の翻訳紹介がもつと盛に行はれてゐたならば、それが両国民全般の融和と諒解とを促進する上に何程か役立ちもし、引いては不幸なる事端の発生に対しても幾分の防壁になつたことであろう。われわれ文芸家は、両国の政治上の衝突とか、経済界の不和とか、一般大衆の日貨排斥とか云ふことゝは無関係に、これを行はうと思へば行ふことが出来る立場にゐた」

 谷崎は中国の文人との交流を通じ、共有できる価値観と東洋人としての親近感を感じ取り、「今こそ余儀なく交際を絶つてはゐるが、将来又もとの親密さに戻れるやうに思はれる」「国と国との間もさうだが、個人と個人との間にしても、斯様な不自然なる絶交状態が、そんなにいつ迄も続き得るものとは、私には信じられないのである」と書き残した。文化の交流を絶つ愚行は繰り返してはならない。








    


  
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