行雲流水の如く 日本語教師の独り言

30数年前、北京で中国語を学んだのが縁なのか、今度は自分が中国の若者に日本語を教える立場に。

自由とは何か・・・その問いかけからスタート!

2016-09-06 18:28:32 | 日記
中国ではイデオロギーに基づく厳しいメディア統制が敷かれており、メディア学界においても政治的に敏感なテーマがあることは事実だ。私が中国でメディアを論じる不自由を危惧する声も届いている。だが私が正式な招請を受けた事実をもってすれば、外から見るほど深刻ではない。私の肌感覚でも、不安は全くない。海外の文物に対する中国の旺盛な学習欲、吸収欲の現れだとみるのが正しい。メディアを語ることは社会を語ることであり、人生を語ることにつながっている。真理を追求し、人生の意義を語る場には、国境を超えた普遍的な価値が存在するはずだ。

まずは「自由」について若者たちと議論をしたい。中国では後漢書に「自由」の用例がある。日本にも中国の古典からその言葉が伝わったが、主として、「わがまま」「自分勝手」の意を帯びたマイナスイメージの用語だ。近代以降、西洋から伝わった「自由」が、権力、束縛からの自由を意味していたことを踏まえれば、イコールの概念とは言えない。だから中国の字典には、「自由」は日本から輸入された外来語として記載されている。

明治期、日本の知識人が西洋の概念を翻訳する際、最初に参照したのが中国で布教に努める西洋人宣教師がつくった英華(英中)字典である。最も古いモリソン辞書(1815-23)では、Libertyやfreedom は「自主の理」と訳されている。





ロブシャイド辞書(1866)も「自主のこと」「自らを治める権利」とあるだけだ。



福沢諭吉は『西洋事情 二編』(1868年)で、「LIBERTYとは自由という意味で、中国人の翻訳には自主、自専、自若、自主宰、任意、寛容、従容などの用語を使っているが、どれも原語の意味を表現し得ていない」と述べている。福沢が思い描いた西洋の「自由」は、何物にも束縛されない、万人が生まれながらにして持っている天性である。

加藤弘之の『立憲政体論』(1868年)は「自由」を「自在」と訳し、「行事自在の権利」「思、言、書自在の権利」「信法自在の権利」などの用例がみられる。まだliberty、freedom=自由とはなっていなかった。つまり日本には「自由」がなかったのである。

「自由」が定着するのは、中村正直がジョン・スチュアート・ミルの『ON LIUBERTY』を『自由之理』(1872年)と訳して出版して以来だ。中村はその後、「明六雑誌」の第12号(1874年)で、自由の翻訳について、「我が国と中国にはふさわしい訳語が見つかっていない。公の理、共同の益を実現する法律に従うほか、なにもの制制約も束縛も受けない人民の権利を“civil liberty”と呼ぶ。西洋国家はこの概念を開化治平の基礎とする」と書いている。「自由」の定着が困難であったことがうかがえる。

興味深いのは、商務書館(上海)発行の英華字典(1913年)がINDEPENDENCEの訳語として「独立,自主,自立」のほか「自由」をあてていることだ。束縛を脱した「自由」は、むしろ人格の「独立」に近いニュアンスを持っていることに注意すべきだ。



建前の自由とは裏腹に、現実は組織や空気、架空の世論に支配される従属的な内実を持つ。こうした現代社会の中で自由が嘘くさい響きを伴うのはやむを得ない。その嘘くささに気づかず、あるいは気づかないふりをして、偽善的な言説を振り舞うものがいかに多いことか。精神は奴隷に堕していながら、高らかと自由を語る者は、すでに良心がマヒしていると言わざるを得ない。

独立した思考、人格の独立があってこそ、自由を語り、享受することができる。求められるべきは独立の精神を背骨に持った堅固な自由なのだ。絶対的な尺度を拒否し、懐疑的精神を失わず、たゆまず人生の真理を探究するところに独立した思考が芽生え、自由を自分のものとすることができる。だとしたら、中国であれ、日本であれ、「自由」の訳語について正しい回答を求める営みは続いている。沈黙し、大勢に流される人々と、自由を求めて奮闘する人々と、どちらが尊いかを語るのに国境はない。

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上海に着いた。しばし、世話になった仲間と旧交を温めたい。



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