行雲流水の如く 日本語教師の独り言

30数年前、北京で中国語を学んだのが縁なのか、今度は自分が中国の若者に日本語を教える立場に。

【期末雑感⑧】香港一の富豪が卒業式に語った「to be」

2017-06-28 13:28:46 | 日記
昨日27日は汕頭大学の卒業式だった。博士、院生を含め卒業生約2200人とその家族らが参加した。毎年の目玉は香港一の富豪として知られる同大創設者で名誉主席の李嘉誠氏による記念スピーチと、来賓の著名人だ。今年のゲストはノーベル文学賞作家の莫言(モー・イェン)だった。

莫言の祝辞は「ハーバード大学を出たからといって優秀なわけじゃない。ビル・ゲイツも最初からすごかったわけじゃない」とあまりにも通俗的で、学生たちからの評判は悪かった。私も大いに落胆させられたが、知人に聞くと「もともと俗人なんだよ」とあっさりスルーされた。わざわざ卒業式の権威づけのため、体制べったりの莫言を呼んだことに対し、自由を愛する汕頭大学らしくないとの批判もあった。









その反面、学生だけではなく、ネットでも称賛されたのが李嘉誠氏のスピーチだった。李嘉誠氏は毎年、同大の卒業式に出席している。だが、もう90歳になる彼は、移動も、演説も重い負担がかかるので、おそらく今回が最後になるのではないかとささやかれている。今回、特別に次男を同行したのも憶測を強めた。2017年卒業式は、それだけに大きな意義を持っている。





スピーチのテーマには彼独特の人生観が反映されていた。愚かな者は目先の利益にとらわれ、時代の大きな流れを知らない。だから、あくせく働くしかない。だが、賢い者は、何かをしようと考えるのではなく、いかにあるべきかと発願する。仏教の教えを取り入れた処世訓である。

意味の取りにくい難解な個所もあるが、以下、主要部分を日本語に訳する。

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私は来年90歳になる。高い志は持っているが、時間のはかなさも知っている。若いころは多くの苦難を経験し、成長の過程が容易でないことを知っている。大きな成長を遂げるチャンスの大波の中で、

「愚人見石、智者見泉」(愚かな者は目の前にある石しか見ないが、賢い者は、その奥隠れているより重要な泉を見る)。



しきたりにこだわって逡巡していては、頭も働かず、何も感じられず、人工知能の時代に取り残される。この大波を乗りこなす基本的な姿勢には、時々刻々、状況に機敏に対応し、即座に理解し、判断することが求められる。さらに、独立した思考と悟りの力を持ち、想像、データ、情報を運用し、組み合わせて新たなものを生み出さなければならない。

愚かな者は”ため(to do)”を知っているだけだが、賢い者は”ため(to do)”を”かくある(to be)”に変える。この”発願”はいかにして身につけ、世の中でどのように用いるべきなのか?

愚かな者はしばしば恨みやつらみを抱え、”ルールでがんじがらめになっているのは、やむを得なくそうなったのだ”と言い訳し、世俗に縛られ、息もできない。彼らは、”スタートラインで勝つ”ことを渇望し、金持ちの父親がいて、天から授かった優位があればよいと願う。”人が道を切り開く”、つまり複雑な社会の仕組みや、どうすることもできないゆがみを変えようとするのは荷が重すぎると考え、”道が人を切り開く”という生き方の方が、より気楽だと考える。

こうした気持ちの人は、すでに”スタートラインで負けている”のである。伝統的な中国人の知恵では、命と運は相互にかかわり、すべてのものを有し、同時に無一物でもある。”よき選択”を理解して初めて、自分の運命の保証を作り出すことができる。運命の勝者が思い描くDNAの組み合わせは、科学の知恵と芸術の精神の組み合わせであり、他者から抜きん出るためには隠れた才能を磨く必要がある。性格の基礎は意志の力であり、自律の堅持と創造の潜在的な力がバランスよく合わさり、喧騒から心を放つ処世術を身につけることができる。

自律は、たゆまぬ努力を堅持する意志の働きだ。偉大な舞踏家は毎日鏡に向かい、それでいて自分にうぬぼれることがない。疲れを厭わず、苦痛を恐れず、何度も何度も完璧な身のこなしの美を追い求め、テクニックを自分のものとする。舞台に上がるや、体が自然に動いて、思い通りの表現が実現されるのである。





私は今日、どうして舞踏のスクリーンを背景に選んだのか?。アイルランドの劇作家、ウィリアム・バトラー・イェイツが、絶妙な問いを発している。“踊っている者の中からどうやって真のバレリーナを探し出すか?”。舞踏家は個性や魅力によって観衆を魅了し、一瞬の中に永遠を凝縮する。芸術は人生を映し出し、人々は芸術の啓発、感化を受けて、困難や極限を乗り越え、さらに高い水準を追求し、無限の可能性を切り開くことができる。

最後に、私はみなさんに、去年、汕頭大学のある教師と対話した内容を紹介したい。私が、長年にわたりたゆまず学生を育ててくれたことに感謝すると、その教師は、王陽明の言葉を引用し、“千人の聖人もやがてはみな去っていく。良知こそ私の師である”と述べた。良知は尊厳をもたらし、存在意義を照らし出す明かりである。

学生諸君、これからの道を、君たちは発願によって突破しなければならない。私は知っている。君たちが謙虚で、恩を感じながら、自信と想像力をもって開放的な、さらに進歩した世界を追い求め、思いやりに満ちた社会を築き、本当の舞踏家になることができる、と。今日、君たちは汕頭大学のために誇りを感じ、明日は汕頭大学が君たちによって栄誉を受ける。卒業おめでとう!みなさん、ありがとう!

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2017年6月27日