行雲流水の如く 日本語教師の独り言

30数年前、北京で中国語を学んだのが縁なのか、今度は自分が中国の若者に日本語を教える立場に。

現地を知らずに中国を語る日本人たちにひと言③

2017-06-04 23:55:34 | 日記
1人の人間を評価するのに、ある一つの出来事、あるいはあるひと言、あるいはある特定の時期、場所に限って判断すれば、一面的であり、正しい人間理解ではない。このことは当然だと多くの人は頭で理解している。だが、ステレオタイプ、先入見に働きかけることで注目を引こうとするメディアはしばしば、手間を省いて、安易に環境を把握したいと願う人々のスキに付け入る。こうして誤解や偏見が永遠に拡大再生産されていく。被害者は、誤った世界観を押し付けられる情報の受け手である。

インターネット空間は、情報の送り手と受け手の境をあいまいにし、時には完全に取り払ってしまうので、拡大再生産のメカニズムはより複雑化せざるを得ない。

だが、個人であれば、名誉や地位、財産が法による保護を受けるので、報道には一定のデッドラインが引かれる。逆に、相手が権力や金力を握った者であれば、メディアは卑屈なほどに小心翼々とし、本来の責務を平気でないがしろにする。それはしばしば、現場の自己規制によって起こる。多くのケースを私は見てきた。戦中の検閲制度と全く同じ状況だ。メディアがいつの間にか、規制される側から、進んで規制に関与する立場に転換する。動機はあくまでも小役人的な自己保身に過ぎない。

特に、報道の対象が1人の人間でなく、つかみどころのない国家になると、メディアの無責任度は格段に増幅される。偏見や先入見の度合いも、底なし沼のように深まり、軌道修正が不能なほどにまで進んでいく。お決まりの鋳型に事実を押し込めておけば、リスクを負うこともない。無責任とは責任回避と同義である。しかも、メディアが権力と一体化した場合、政治家の利益と国益が混同され、報道は単なるプロパガンダの道具、民族主義、国家主義を煽るだけのマシーンと化す。

拙著でも取り上げた一例を示そう。

私が読売新聞に在籍中、「尖閣諸島を巡る領土問題」と書いたところ、「社説は領土問題を認めていないのでこの表現はまずい」と言うデスクがいた。政府の立場で「存在しない」ということと、実際に「存在している」ことは分けて考えるべきだと主張し、言い合いになった。結局、相手も「おれもそう思うけど、上の人間がうるさいから」と泣きついてくる始末だった。

ちなみに、読売新聞は1979年5月31日の社説「尖閣問題を紛争のタネにするな」で、次のように書いている。

「日中双方とも領土主権を主張し、現実に論争が“存在”することを認めながら、この問題を留保し、将来の解決に待つことで日中政府間の了解がついた。それは共同声明や条約上の文書になっていないが、政府対政府のれっきとした“約束ごと”であることは間違いない。約束した以上は、これを順守するのが筋道である」

過去の読売社説を調べてみると、中国が1992年に領海法を制定し、尖閣諸島を中国領土と明記した以降も、「日本の立場からは棚上げ論はあり得ないが、領土問題でいたずらに角突き合わせて日中、日台関係全体が悪化する事態になることはお互いにとって不利益だ」(1996年9月26日)と穏当だった。だが、国有化による関係悪化後は一変し、「尖閣諸島を巡る領土問題は存在しないというのが日本の立場だ」(2012年9月14日)から、さらに踏み込んで「尖閣諸島は日本固有の領土であり、棚上げすべき領土問題は存在しない」(2013年8月13日)と強硬な姿勢を明確にした。

従来の社論を軌道修正することは、恥ずべきことでない。不変の真理などそもそも存在しない。誤り気づいたとき、きちんと事情を説明し修正や訂正をすればいい。肝心なのは、説明責任である。トップの意向で変わったとは、言い逃れにもならない。それがないまま、時の風向きだけでコロコロと主張を変え、「空気」をもって議論を封殺するのであれば、もはや言論機関とは言えない。

それどころか権力と一体化し、本来、最も求められるべき権力のチェック機能を放棄してしまえば、社会に害悪をまき散らすだけである。機関紙と化した新聞には、報道の自由も、社会の正義も、語る資格はない。

残念ながら、新聞を「社会の木鐸」「社会の公器」と呼ぶ時代はとうに去った。人気就職先ランキングからも淘汰された。インターネットの出現だけにその理由を押し付けていては、再起は見込めない。隣人である大国の素顔を、じっくり腰を落ち着けて眺め、忍耐強く真実を見極めようとする覚悟はあるのかどうか。現状のままでは悲観するしかない。

現地を知らずに中国を語る日本人たちにひと言②

2017-06-04 20:39:53 | 日記
前回は、「OKY(お前が、来て、やってみろ)」について触れたが、その後、北京駐在時代、上海に立ち寄った際、「OKO」という言い方に変わっていることを聞かされた。「お前は、ここに、おったやろ」との略だという。この手の話は、現業部門の多い上海の方が早く広まる。しかも、上海は関西系が多いので、言葉遣いも影響を受けるのだろうか。

駐在員のころは本社に対しさんざん「OKY」と言っていたくせに、日本に帰任した途端、本社の意向を代弁し始める。立場が変わると、コロリと態度まで変わる。機械の歯車である以上、やむを得ない面もある。だが現場には、現地状況を熟知しているのだから、むしろ本社との橋渡し役になってほしい、との期待があるだけに、苛立たしさも募る。それが「OKO」には込められている。

「OKY」にせよ、「OKO」にせよ、共通しているのは、外国に出ても、金魚のフンみたいにまとわりついてくる日本の内向き志向だ。書店でも、中韓を袋叩きにし、日本も捨てたものではないと自らを慰めるような、お粗末な本が目立つ。最近、ネットで読む日本のニュースを見ても、霞が関の中で起きている村社会の騒動にしか映らない。メディアはいつものように目先の現象を追うことにしか関心がないから、大きなスケールで事象をとらえる視点が感じられない。外国人に説明しようのない内輪話が多すぎる。

中国近代の民主化運動をリードした胡適は「自由独立の人格がない国家は決して改良進歩の希望がない」「社会を改良するためには、まず今の社会がまともな社会ではないということを認めなくてはならない」」(『イプセン主義』)と自己反省を求めた。内向きの日本社会は今、まさにこの自省を欠くため、相手のあらを探して殻に閉じこもるしかない。目まぐるしく変化する中国の現状を見定める知力も忍耐も勇気もないため、お決まりのステレオタイプを持ち出し、目を覆って防御するしかない。

2か月前、汕頭大学新聞学院の学生を引率して九州の環境保護取材ツアーを行った。学生たちの記事は新華社などを通じてすでに報じられているが、私が取材に同行し、最も驚いたのは、北九州市の食品リサイクル会社「楽しい」を訪れたときのことだ。
(学生原稿参照 http://blog.goo.ne.jp/kato-takanori2015/e/ffc66c33d625f94be3afe9a0bcc82f1c)

取材した環境保護関連企業の多くは先端技術を備えた大企業で、「楽しい」は最も規模の小さい工場だった。だが2016年には清華大学EMBAコースが視察に来て、参加した中国の地方企業がすでに合同プロジェクトに着手している。狭い事務所には、その会社から送られた「相照肝胆(肝胆相照らす)」の力強い書が掲げられていた。

日本でもおそらく「楽しい」を知る人は多くないだろう。だが、もう中国人は将来の膨大な食品リサイクル市場に目をつけ、一歩進んだ日本の企業に接触している。これが実際の姿だ。「爆買い」ツアーを奇異の目を持って見ているだけでは、とうてい理解できない。

今はどうかわからないが、以前、上海の日本企業は11月に入ると、急に本社の幹部を招いた会議が増えた。上海ガニのシーズンになるので、みながそれを楽しみに来るのだ。現地スタッフは接待業務に追われる。そうすると私のところには、今まで全く付き合いもない企業の広報担当者から連絡が来て、「担当役員が日本のメディアにあいさつ回りをしたいので、少しでもいいから時間をとってほしい」という。

現地の事情を深く教えてほしい、というのではない。効率よく、できるだけ多くの新聞、テレビを巡回するため、分刻みのスケジュールが組まれる。記者の名刺を多く集めれば、それで出張の名目が立つというだけだ。ことさら名刺を求める態度から、その意図ははっきりとうかがえる。その場限りの、全く意味のない面会である。

他の国には見られない、極めて特殊な文化だ。外国人にはどう説明しても、理解してもらえないだろう。私でさえ理解できなかった。宴会の上海ガニを思い浮かべながら、早く野暮用を済ませたいと思っているような出張者に、何を言っても意味がない。「現地の説明をするのなら1時間以上はかかる」と返事をして、それでも足を運んでくれた企業だけしっかり応対をした。記憶に残っているのは1社だけである。もう10年近く前の昔話だが、昨今、日本から伝え聞く話から想像するに、今もそう変わっていないと思う。

「少しだけでいいので時間をください」というのは、時に、相手への敬意を欠いた表現になる。当時の体験をもとに、授業ではこう学生に話している。「30分で済むので、先生の記者経験を聞かせてください」というのは、先生の経験を尊重していないことになる、と。ネットの検索で真実を探すことはできない。時間と手間をかけなければ、相手を知ることはできない。知っている世界が狭ければ、だれも探しに来てくれない。

(続)

現地を知らずに中国を語る日本人たちにひと言①

2017-06-04 13:38:32 | 日記
かつて上海に駐在していた2000年の後半、中国国内の労働コストは急上昇していたが、まだ製造業は活況で、日系企業には多数の日本人駐在員がいた。当時、企業や業種にかかわらず駐在員の間で流行った言葉は「OKY」、つまり、頭の文字をとって、「お前が、来て、やってみろ」だった。本社が現場の状況を理解せず、無理難題を吹っかけてくることを愚痴ったのである。それはそのまま、日本メディアへの批判にもつながっていた。

日本企業の本社は、日本にいて、日本の新聞やテレビが伝える中国に接し、それを鵜呑みにする。現地の駐在員が、その報道とは異なることを報告しようものなら、「日経にはこう書いてあった」「テレビのニュースでは・・・」と一蹴されてしまう。メディアへの信仰が強く、ガラパゴス化の進む日本社会においては特に、本社は駐在員の言葉を信用せず、「権威ある報道」に左右される。

そこで駐在員の不満は、現地にいる日本メディアの特派員に直接向けられる。「なんで正しいことを伝えないのか」「一面しか見ていないではないか」と。すると特派員はどう答えるか。理路整然と、説得力をもって反論できる記者はまずいない。同じことを繰り返すのだ。

「自分が正しいと思う記事を送っても、東京のデスクがボツにしちゃうんですよ」
「ああいうふうに書かないと、デスクが納得してくれないので」

私には責任逃れにしか聞こえない。信念がないのである。以前、拙著『習近平暗殺計画 スクープはなぜ潰されたか 』(文藝春秋)で以下のように書いた。同著のタイトルはおどろおどろしいが、主として現在の大新聞社のあり方を問いただした内容である。

「むしろ東京のデスクから指示がなければ、どう書いていいかわからない記者も少なくない。原稿の書き方や切り口、トーンについて、東京からどんな無茶な注文が来ても、喜々として従って器用に原稿を書き上げる記者がいる。それが責任を負わずに済む手っ取り早い生き方だ。責任を逃れるために、自由を犠牲にしてもよいと考えている。自由を守るのには強い覚悟と、継続した努力が必要だ。これが責任重視の心構えである。だが責任を負いたくない者は、体裁のよいリスク重視に走ろうとする。事なかれ主義、官僚主義の横行は、もう限界まで達していると言える」

だから特派員の間では、「OKY」の言葉が流行らない。上司の言うことを聞いていれば、苦労はないからだ。

だがメディアには興味深い現象がある。事なかれ主義による横並び体質が強いため、東京のデスクが、「NHKが7時のニュースで流したけど、どうなってんだ」「朝日に書いてあったのとはニュアンスが違うんじゃないか」などと、わかったようなふりをして注文をつけてくる。他社との差異を極度に恐れる。その日の記事メニューは、通信社が事前に流す出稿予定を下敷きにしながらつくっている。何よりも気にするのは、スクープがないことではなく、他紙にある記事が自分の新聞に載っていない、そのことだけだ。これが国際報道部門における後ろ向き体質の現状である。

日米、日中関係や北朝鮮問題など、政権の政治的立場がかかわるテーマになると、デスク個人は思考停止状態に陥り、社論や上司の指示がないと何の判断もできない。下手をすると編集トップの意向を「忖度」したり、社内の「空気」を読んだりするような編集作業も行われる。そのあさましい小役人根性には、しばしば辟易とさせられてきた。大半の記者は羊の群れのように、沈黙しながら流れに従っている。

スクープ競争をしている報道機関がどうして、と不思議に思うかもしれない。だが、抗うことのできない部数凋落傾向にあって、新聞社の部数競争は、同業他社の敵失に頼るしかない。こうして、極度に失敗を恐れる事なかれ主義がはびこる。「間違えるぐらいなら、特ダネは書かなくてもいい」と平気で口にする編集幹部までいる。もう記者の魂はない。これが偽らざる現状である。

中国で外国メディアを管理する公安担当者に「日本人記者は視野が狭い」と言われたことがある。たとえば、政府への抗議デモや反日デモの呼びかけがある。場所が指定されているので、公安当局は「外国人記者の安全確保」を任務として現場に行き、取材を排除しようとする。これは上部機関の命令なので、彼らと議論してもしょうがないのだが、欧米記者の中には現場で抗議し、時に衝突事件を起こすケースもある。取材妨害自体をニュースにする記者もいる。

この点、日本人記者は一般的に「物わかりがいい」とほめられるが、決まって「ほかの社は来ましたか」と尋ねるそうだ。常に他社の動きを気にする横並び文化である。本社のデスクが「他社はいるのか」と聞いてくるため、現場の記者が習い性になっているのだ。真実を伝えることが目的ではなく、大過なく無難にやり過ごすことが習慣になっている。公安担当者からこの話を聞かされ、私は同胞として大いに恥ずかしい思いをさせられた。


最近、日本の各方面とやり取りをし、現地でますます痛感する日中の情報ギャップについて、「ひと言」コメントするつもりだったが、とてもひと言では終わらない。回を分けて書き続ける。

(続)