J OKAYAMA ~岡山スポーツの桃源郷へ

岡山トップスポーツファミリー(ファジアーノ等)、スポーツ文化情報リスペクトブログ(共同運営)。

選手等による復興支援活動

2016-03-13 00:00:02 | 災害復興支援(東日本・コロナ等)

 事例紹介コラムです。
 ここ最近の報道ではこの1週間くらい東日本大震災復興で埋まっています。TVを観てもそうです。今朝のウェークアップで辛坊さんが言っていましたが、「今は被災地にマスコミが多く来ていますが、来週になったらみんないなくなってしまう」と。また、J1川崎では「支援はブームではない」というのがキャッチフレーズ。当ブログでも全く同じ思いです。「節目」、復興支援では余り好きな言葉ではありません。節目だから今年やるのではなく、常時やるべきだし、これからも変わらずやるべきです。大体何で5年でくくろうとするのかよくわかりません。年が明けたらあとの4年間は何もやらないのかと、首をかしげます。そういう面で、この5年間ずっと変わらず、継続事業としてされてきたJクラブは100年残るし、こう言ってはなんですが適当にやってきたところは難しいのではないかと思います。どこかで聞いたセリフで、当ブログで何度も口にした言葉「人はモノでは動かない。人は心で動くもの」が当てはまると思います。商業主義では一時的に動いても、長続きしませんよ。
 当ブログの左カテゴリの下の方に「災害復興支援(東日本震災等)」があり、この5年間の記録があります。また、ブックマークには「Jリーグ・震災関連各クラブ情報」(リンク先が消えています)と「JFA:震災関連情報共有サイト」があります。今回、「災害復興支援(東日本震災等)」を最初から観ながら、読者の方に観て欲しい部分をピックアップして紹介したいと思います。

【当ブログ記事(サッカー)にみる東日本大震災の記録】
 発生(当日の記事)を受けて、まず翌3月12日(土)と13日(日)のJリーグ、JFLの開催中止を決定。その後、J1仙台とJ2山形の公式HPが閲覧できない状態になりました。J1大宮、J1鹿島、J2水戸の各ホームスタジアムが被災。その後すぐに、日本協会が予定していたACL、代表戦の中止を決定。なでしこのマリーゼ(当時)は宮崎合宿中で、被災せず。一番最初に募金活動を表明したのはJ1磐田とJ1神戸。岡山県で最初に募金活動を始めたのは湯郷ベル。
 続いてJリーグは3月開催分の試合の中止を発表。15日はJ1仙台で被災のため、事務所営業およびチーム活動などができない状態でした。J2岡山ではクラブはすぐには特に動きは無かったですが、サポーター有志ではすぐに「被災地激励のためのコール練習と、募金活動」が、Cスタ近辺で開催されました。
   
 15日には他のJクラブ(中四国では愛媛さんが最初)が続々と募金活動を表明。16日にJ2岡山も岡山駅東口で募金活動を実施し、義援金箱を設置。17日に、J2山形でトップチームの活動を一時休止し、選手は待機に入る。18日にJ1神戸が8日間にかけて神戸市内各所で、全選手による募金活動の実施を発表。19日の時点で募金活動を2回から3回実施するクラブがいくつも表明。
 19日には当ブログで、神戸さんと鳥取さんのチャリティーTMを観に行っています。試合後神戸さんの選手達による募金活動が市内各所で実施され、募金してきました。
   
 
22日夕方(24日の記事
に表町商店街、奉還町商店街、岡山駅東口、西口で、県内7クラブ(呼びかけは湯郷ベルと記憶しています)合同の募金活動が実施されました。24日にはJ2水戸で、サッカーではなく、被災市民と一緒になって、災害支援物資の搬入・搬出の手伝いを実施されています。J1仙台では、サポーターと協力して、支援物資を全国から集めてサポーターと共に避難所に届ける活動を開始。この頃、中断を決定したJリーグの再開日時が発表になっていますが、東北地方のJクラブは練習もできず、地元の方々と復興支援作業を実施されている状態でした。4月に入って、1日頃にユアスタに大宮、浦和、名古屋、横浜Mのサポーターらが救援物資を届ける第1便が走っています。
   
 そして、驚くべき事例です。6日の記事で、練習着姿のJリーガーが被災地でスコップを振るっている写真を目の当たりにしました。当時、「このページを見てください。すごいです」と書いています。それくらい、ものすごいシーンでした。この写真は5年経っても、当ブログの記憶の中では全く色あせていません。7日の記事には「スタジアムグルメ、被災地へ行く」という、スタグルが被災地に駆けつけて無償提供するという「湘南ベルマーレ復興支援出張フードパーク」を実施されています。どこのスタグルがどうと耳にしますが、湘南さんのこの時の行動を見れば、根本的な部分でどうなんだろと改めて実感しますね。

 そして13日の記事で、J1川崎で独自継続事業として「東日本大震災復興支援活動 『Mind-1ニッポンプロジェクト』」を立ち上げています。5年間全く色あせていません。いかに川崎さんが付加価値の高いクラブかよくわかります。20日の記事では、Jサポーターによる復興支援ボランティアの弾丸バスツアーが開催されています。Jリーグサポーターは素晴らしいと思うし、サポーター不在で強行した、2ステージ制などのJリーグの愚行は何なのかと思いました。
 このカテゴリでの記事はそんなところです。この時期、各クラブでチャリティーTシャツを作って販売しているのをあちこちで見かけました。どのカテゴリのどのクラブだったか忘れましたが、若手スタッフからチャリティーTシャツの提案があったのに、幹部の意見で実現せず、結局チャリティーグッズを何も作らなかった事例が確かあったように記憶しています。そういうところが本当にあって、今もその価値観が存在していたら、地域の宝になれるはずもなく、今後もしんどいですね。と思ったら、チャリティーグッズ関係の記事が出てきました。
   
 2011年4月23日にJリーグが再開しています。今日、NHKでJリーグ中継(仙台対鹿島)がありましたが、その中で当時の模様が流れていました。赤嶺選手の姿がありましたね。5年経った今日のユアスタでは鹿島さんと仙台さんの選手が並んで募金活動していました。いいですね。そして最後は東日本大震災復興支援Jリーグスペシャルマッチです。2012年7月21日(土)この頃はJリーグオールスター戦がまだ行われていた時期で、この年に復興SPマッチとなりました。なぜJリーグもJPFAもこういう試合(オールスター戦も含めて)をやらなくなったのでしょうか。どなたか教えてください。
 この当時、「鳥取さんが中四国№1だと思いますが、愛媛さんは№2かな」と書いています。鳥取さんはともかく、愛媛さんは今回「東日本大震災復興支援映画の完成試写会」を開催されます。復興支援クラブとしては、中四国№1かもしれませんね。さて、明日が来ます。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 選手等による復興支援活動 | トップ | カリスマの存在201 »

コメントを投稿