したのやムラ便りG

東京の片隅に眠る下野谷遺跡。「したのやムラ」と呼ばれる縄文のムラがありました… (non official site)

「第4回 縄文の森の秋まつりのこと」④ 『火おこしに挑戦!』

2010年10月30日 00時53分01秒 | したのや情景

一昨日の木曜日、したのやムラは冷たい雨だとういうのににぎやかでした。

その理由は・・・

ハンカチ王子こと斎藤祐樹君。

日ハムが交渉権を得たドラフト会議の日。

彼の姿を捉えようと多くのマスコミが寮を囲みました。

                                                              そうなんです。

早稲田大学野球部の寮は、したのやムラの上に建っているのです。

その隣には、やはり早稲田大学のテニスコートやクラブハウスがあり、

その建設時には150軒以上の縄文時代の家の跡が見つかっています。

したのやムラのうち、「東ムラ」の中心地です。

                                                                 ということで、

早稲田大学に関係の深い、したのやムラ

お祭りでも、早稲田大学の学生さんたちが大活躍でした。

毎回大人気の『火おこしに挑戦』コーナーを

早稲田大学考古学研究室のみなさんが担当してくれました。

                                                                                        

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途絶えることのない挑戦者たちに、

学生さんたちの若いパワーもいつまで対抗できる?

                                                                                                

Imgp6360 ほんとにつくのかなあ・・

縄文時代には、「きりもみ法」や「弓ぎり法」

と呼ばれる方法で火をつけたと考えられていますが、

ちょっと大変なので、今でも、神社などで神様に供える火をつけるときに使う、

「舞いぎり法」でチャレンジです。

                                                                                               

Imgp6382 火種ができた!

おにいさんの顔はまっか・・。苦労のあとがしみじみ。

がんばれ!火よ、ついてくれ!

                                                                                              

Photo_4 ついた!!

みんなの顔が載せられなくて残念!

眼がまんまる and  にっこにこです。

                                                                  それにしても火をつけるのは今と違って一苦労・・・。

したのやムラの火を護る「ひーお」の苦労がわかりました。

早稲田大学考古学研究室の皆さんも、お疲れ様でした!

J 「弓ぎり」使用中。

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2 コメント

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『舞いぎり法』は火おこしのスタイル…としては人気... (凧男)
2010-10-30 05:37:40
『舞いぎり法』は火おこしのスタイル…としては人気がありますね…。学校などで『舞いぎり法』で火おこしをしてもうまく火がつかないことが多いのですが、さすが早稲田大学考古学研究室の学生さんです。みごとに『舞いぎり法』で子供に火おこしをさせていました。実際の縄文人は『舞いぎり法』ではなく「きりもみ法」や「弓ぎり法」で火をおこしていたのではないでしょうか?「ひーお」が「弓ぎり法」で火おこしをしているのは考古学的にも正しいのかもしれません。(舞い錐は「火おこし」よりも「勾玉」などの「穴あけ」が本当の使用法だと…どこかで読んだ記憶があります)
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凧男さん そうなんです。摩擦を利用した火のつけ... (かめしーた)
2010-10-30 10:09:53
凧男さん そうなんです。摩擦を利用した火のつけ方にもいろいろあって、縄文時代にはまだ「舞いぎり法」は無かったと考えられています。穴あけも、縄文時代には「きりもみ」か「弓きり」です。
で、「舞いぎり法」も、他より火がつきやすいとはいえ、やはり大変。若い学生たちも最後はへろへろでした(一緒に社会教育課係長も大活躍。お疲れさまでした)。
学生諸氏は、打ち上げのビール、しみじみ美味しかったと思いますよ。ほんとにご苦労様!
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