手づくり漆器 ~うるし うるおい うるわし~

鳥取の漆職人がお届けします。

鳥取と佐治と青谷の漆と和紙の歴史

2009-02-17 09:51:43 | Weblog
鳥取県の漆産業は、江戸時代鳥取藩において奨励発展してきました。
鳥取城下では久松塗りとして存在しました。

佐治は、漆を生産する場所でした。前述したように、幕末には300貫目(約1100kg)の漆を生産しました。その後、戦争を境に掻き子の減少と輸入漆の増加、プラスチックの普及や杉山に様変わりしたことなどの原因で、昭和40年前半には、掻き子の姿が消えていきました。

漆の生えていた山は、こうぞや三椏の山になり、その後梨の山に変化していきました。

青谷は、漆を掻き、木地を作り、そこに漆を塗って製品にしていました。いわゆる、分業による生産地として存在していたわけです。

当時は(江戸時代~昭和戦後まで)和紙と漆は、産業としては共存していました。夏場に漆を掻き、冬場に和紙を作るといったサイクルがなされていたわけです。

時代の流れの中で、鳥取も佐治も青谷も漆のことを誰も言わなくなってしまいました。


写真は 昭和初期 鳥取 塗師 木村泰之介作 朱塗り布張 丸膳














青谷上寺地遺跡に見る漆器

2009-02-17 08:16:27 | Weblog
鳥取市青谷町の弥生時代遺跡の中から、様々な道具や器、建築物の破片そして圧巻は弥生人の脳みそが発見されました。弥生人の脳みそです。泥の中に埋まっていたので新鮮度は高かったようです。

そして、見逃してはならないのが赤漆の文様のある器が発見されました。当時、漆を使った器などをつくる技術はなかったはずです。発見された器を見ると、一見楽浪漆器(紀元前108年前漢武帝時代の植民地、今の北朝鮮チョンピョン郊外)に似ていました。当時の交易の様子が伺えます。

 昨年(NHKで放映された)日本の人間国宝の3人の方に、発掘された弥生時代の器を再現してもらうという番組がありました。当時の木地や指物の技術が卓越していたことに驚きました。

写真は 青谷上寺地遺跡の資料館です。


人間国宝の川北良造さんは、弥生の人の技術はすばらしいと絶賛されていました。

青谷の当時の姿が徐々に明らかになっていくのが楽しみです。


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