佐治は、佐治川を挟んで南北に山があります。旧佐治役場の裏の山(加瀬木の山と呼んでいる)は、水はけが良く漆が育つには最適なのです。現在は、杉の山になっています。 北側の山は、20世紀梨の梨畑になっています。
どちらかと言うと、南側の山の斜面のほうが、日当たりや水はけの具合が大変良い条件になっています。良質の佐治漆は、加瀬木山で取れました。漆畑のように、植栽されて管理されていた木から採取したというより、自然に生えた木から採取したようです。
掻き子は、余戸(よど佐治川の上流の村)とか尾際(おわせ 余戸より更に上流の村)から来ていたようです。 幕末には300貫目(約1100kg)の漆が取れたと言うのですから、漆の木も相当あったのですね。山全体が、漆の木の山だったのでしょうか。
それにしても、かつて佐治の暮らしを支えてきた漆の歴史が、今は語られていません。ほんのわずかの人が漆の話をしてくれますが、ほとんどの人がこの歴史を知っていないと言うことに残念さを覚えました。
佐治小学校に5しの歌というのがあります。和紙のし、梨のし、佐治石のし、佐治谷話のし、星のしです。漆のしが欠けています。今は衰退したものでも、きちんと歴史を教えてもらいたいものですね。
有志が立ち上がって、伝統の復興なんてやって欲しいものですね。
どちらかと言うと、南側の山の斜面のほうが、日当たりや水はけの具合が大変良い条件になっています。良質の佐治漆は、加瀬木山で取れました。漆畑のように、植栽されて管理されていた木から採取したというより、自然に生えた木から採取したようです。
掻き子は、余戸(よど佐治川の上流の村)とか尾際(おわせ 余戸より更に上流の村)から来ていたようです。 幕末には300貫目(約1100kg)の漆が取れたと言うのですから、漆の木も相当あったのですね。山全体が、漆の木の山だったのでしょうか。
それにしても、かつて佐治の暮らしを支えてきた漆の歴史が、今は語られていません。ほんのわずかの人が漆の話をしてくれますが、ほとんどの人がこの歴史を知っていないと言うことに残念さを覚えました。
佐治小学校に5しの歌というのがあります。和紙のし、梨のし、佐治石のし、佐治谷話のし、星のしです。漆のしが欠けています。今は衰退したものでも、きちんと歴史を教えてもらいたいものですね。
有志が立ち上がって、伝統の復興なんてやって欲しいものですね。