2021年3月12日(金)
生野の小人さんと出会ったところで、とうりゃんせの唄を自然と口ずさんでいた。
そして一気に忘れかけていたことを思い出した。
天神様を祀る地下神殿から天神山(岡山)までと桓武天皇の墓までは共に80㎞で三点は二等辺三角形を描いている。
ここにきて桓武天皇の亡霊がふたたび現れた!
2021年3月12日(金)
生野の小人さんと出会ったところで、とうりゃんせの唄を自然と口ずさんでいた。
そして一気に忘れかけていたことを思い出した。
天神様を祀る地下神殿から天神山(岡山)までと桓武天皇の墓までは共に80㎞で三点は二等辺三角形を描いている。
ここにきて桓武天皇の亡霊がふたたび現れた!
2021年3月12日(金)
天神様を祀る地下神殿は、兵庫県朝来市生野町の絶峯御林の地中に存在しています。
ここの絶峯御林から岡山県にある天神山と、神護寺(京都)の上に位置する高雄山(428,4m)に葬られた第五十代桓武天皇の墓までは共に80㎞と同距離です。
綺麗な二等辺三角形を描きます。
絶峯の地下にある天神を祀る地下神殿の関係を教えています。
2021年3月11日(木)
7日、モーセの地下神殿の調査を終えてから私は、奇妙な雲に促されるようにして生野へと向かった。
そして着いた場所は、山神宮だった。
そこから一人で特製の地中探査器を片手に持って宮の右手の小道を通って、「とうりゃんせ」の舞台への丸太橋を渡った。
そこから先は、想い出の異次元空間が10年前と変わらず存在していた。
そして・・、地中探査器の反応は!?
実に不思議です。
10年前に地震大津波の実にリアルな予知夢を三回も見せつけられて、「急がなくては・・」との思いで、宮司さんの許可を得て穴掘りをした場所と、何者かに指示された場所こそ天神を祀る地下神殿への入り口でした。
正にその場所で地中探査器は反応した。そして小人が出現して消えた見張り台の下も空間となっていた。
間違いなく祈りの地下神殿は、小人さんたちが守っていますねぇ。
そしてそこから姫宮神社へと向かいました。
私は、神社への橋を渡り切ってから地中探査器を両手に握りしめて歩き出しました。
私の身体は誰かに操られているように止まることなく歩き出しました。
そして思わぬところまで歩かされました。私の目線は常にロッドの先端を見つめていました。
な~~んとぉ、間違いなく誘導されましたねぇ。
とうりゃんせの天神様を祀る入口は、もう一つ在りました。
こちらが正式な入口と思われます。
凡そ2mの幅で絶峯御林へとそこから一直線に伸びていました。
この入口の場所こそ、絶峯御林の裾野を流れる川の中に遺されている重要な場所を教える方位石と、その切れ目が教える方角でした。
「かごめの唄」と「とうりゃんせの唄」はセットです。
いよいよ、かごめの唄から「とうりゃんせ」の舞台である天神様を祀る地下神殿へと迫ってきたようです。
天神様とは・・いったい誰でしょう・・!?
さぁ~これからどうなっていくのでしょう。
小人さんたちが久々にやってきた私を見ていたことでしょうし、正式な入り口も見つけてしまったことを知ったでしょうし・・。
小人さんたちが住む世界ではもう、ワイワイ、ガヤガヤの状態かもしれません。
小人さんたちは、私を迎え入れてくれるのでしょうかぁ・・、それとも・・。
2021年3月9日(火)
モーセの地下神殿があるホテルリラクシアから生野へと向かう途中で、空海さまのお袋さんのお墓の山が見えた。
車を停めてしばし眺めていた。
いつの日か訪れる機会があることを願って・・、生野へと車を走らせました。
2021年3月8日(月)
地下神殿への通路は2mほどの幅で長く一直線に伸びていました。
そして辿った先で切れていました。・・つまり入口です!
入口部を特定できました!!
そして、ホテルの中庭から離れようとすると・・、暁晴山の上に不思議な雲が現れました。
そして神殿の真上を見上げると龍神の雲が現れ、その雲は入口部の真上で垂直になりました。
んん~~ん、見られていましたねぇ。 龍神? 神様? 宇宙人?
そしてその雲は東北東の方へと導いているように流れて行きました。
それでその方角に何があるのかを思うと・・、とっさに生野の地下神殿が閃きました。
それで、生野へと行くことにしました。
前日夕方は小雨が降っていて調査は出来ませんでした。
それで翌朝6時過ぎから調査をしました。
地表面はバリバリに凍てついていましたが、寒くても身も引き締まる思いで、ワクワク、ドキドキで歩みました。
2021年2月24日(水)
先日の関西サイ科学界での講演は、阿倍王子神社でありました。
その阿倍王子神社の北隣には安倍晴明神社がありました。
阿倍王子神社の御神体は、南に位置する土塔とその先にある槇尾山を見つめ守っています。
そして人々が北に手を合わす先は、泰澄が開いた京都府南丹市にある成就院です。
また、すぐ北隣に位置する安部晴明神社で手を合わす先は、奈良の伊那佐山であり御神体が見つめ守る先は、イエスの公的陵墓です。
そして、阿倍王子神社で手を合わせる先にある成就院との三点は、直角三角形を描いています。
これはもう計画的配置としか思えません。
成就院の西に位置するイエスを祀る生野の地下神殿と成就院と槇尾山とでケプラー三角形を描きます。
これらはもう計画的に配置されたもので、全ての場所から祈り願うことは二文字、『成就』です。
空海さまの空白年間、社会人としてのスタートは、槇尾山施福寺でした。
槇尾山からは、イエスの墓、卑弥呼の墓、モーセの地下神殿などなど、重要な墓やベンチマークとなる山々と光通信ができる修験僧たちの重要な秘密拠点でした。
2020年8月19日(水)
今日は特別な日です。
イエス・キリストの誕生日です。
イエスはBC3年 キルギス生まれ。
血液型はB型。
身長174㎝メートル。
かれは22才で初めて日本に来た。
日本海側から現在の兵庫県の円山川から生野、神河へとやってきた。
28才で日本を離れる。その間、兵庫以外にも行った。伊勢にも行った。
彼は、船でインドまで行って、キルギスに帰った。
キルギスに帰ったのは29才であった。
そしてイスラエルに着いたのは31才。イスラエルには2年間滞在した。
33才で十字架にかけられた。 その時、合計3人が十字架にかけられた。
しかし、死ぬことなく四国、徳島にもどってきた。33才であった。
イエス35才、AD32年2月10日 小春日和の晴れの日、高御位山で即位宣言をした。
イエスは、AD99年11月17日 岡山県備前市穂波で亡くなる。 享年102才。
亡くなって2日目に神河町南小田山頂のイエス・キリストの墓に埋葬。
妻は3人。 男の子4人 女の子4人 8人の子供が居た。
イエスはモーセの直系である。
イエス・キリストが今日、生まれてなければ・・。
今日は、特別な日です!
2020年7月15日(水)
栄山寺の精巧な龍頭の梵鐘は、国宝ということです。
その斜め前には、重要文化財になっている七重石塔婆があり、その東隣に塔之堂があります。
その塔之堂の案内板には、(大日堂)と書かれています。
『大日』と言えば空海様です。
それで、大日堂はどこに向かって手を合わせるのかをコンパスグラスで計測すると、100度です。
100度の方角には、竜頭山(りゅうとうざん・三重県大台町 676m)があります。
龍頭と竜頭山。 ・・偶然でしょうか!?
栄山寺塔之堂(大日堂)と竜頭山と貴船山は綺麗な基本形に近い直角三角形を描きます。
そして、塔之堂(大日堂)と貴船山とを結んで正五角形の一部をなす直角三角形を描く場所に、竜岩(兵庫県宝塚市)があります。 ・・偶然でしょうか!?
そしてそして、竜頭山と竜岩を結んでそのラインを延長した地点に、山を使って龍の地上絵が造形された段ヶ峰(兵庫県朝来市生野町)に行きつきます。
ここまでくれば、偶然ではなく計画的なものと言えるでしょう。
そして、段ヶ峰から塔之堂(大日堂)までの129.8㎞と同距離にある地点に、神野山(奈良県山添村)と高野山(岡山県新見市)があります。
段ヶ峰と高野山と神野山は二等辺三角形を描きます。
太古の隠された設計図が浮かび上がってくるようです。
でも・・地上絵はグーグルマップからは見えないように改ざんされてしまいました。
2020年6月10日(水)
武部さんが蛇岩のことを書いています。
・・ので、下の図形を描いてみました。
二か所の『蛇岩』と地下神殿がある生野の古城山御林の三点は、2:1:√3の基本形となる直角三角形を描きます。
そして、和歌山の蛇岩からモーセを祀る古城山御林までの距離と、伊勢の豊受大神宮(外宮)までの距離は、共に128㎞と同距離の二等辺三角形を描きます。
「豊受大神」・・の『豊受』は、ホウジュ=『宝珠』であって、モーセ。
モーセは、ひょうたんが付いた蛇の杖をもったお爺さんでしたねぇ。
2020年4月2日(木)
私は住宅建設に携わった経験が30年ほどありましたが、「鬼門・裏鬼門」という言葉にかなり振り回された経験があります。
住宅建築にあたり、プランから施主と打ち合わせをして設計図が出来上がり、着工寸前で親や親せきの方が登場して、「玄関が・・トイレが・・台所が・・、鬼門に当たっています。 裏鬼門にも・・」となって、着工間際になって全て一からやり直しという経験も何度となくありました。
少なくとも、部分的に間取りの変更などは沢山ありました。
この 鬼門 裏鬼門 とはいったい何なのでしょう。
私は方位に関して、良い方角、悪い方角などもともと無いと思っています。
その地域、地域の気象の特性などは当然としてありますが、日本列島一律に 鬼門 裏鬼門の方角が悪いものとすることは、そろそろ止めるべき重大な偏見と思っています。
ちょっと違いますが、菌でも 「良い菌、悪い菌」とはもともと存在しないと思っています。
全てはバランスだという認識をしています。
コロナウイルスの問題も全く同じで、騒ぎ立てる話ではありません。
人間社会が・・、特に先進国と言われるリーダーの想念が自分中心で、嘘を平気で押し通している様に現人神たちがNOとレッドカードを出しているのです。
今、世界のトップが何を密かに進めているかを誰も知りません。神様はちゃんと見ているのです。
日本のリーダーも他の国の愚かな行動に引きずられるようなことをすれば、
確実にコロナウイルスでの死者の何十倍、何百倍と自殺者が出ます。
コロナウイルスで死ぬ人はまだ幸せです。自殺で死ぬ人とその家族は永遠に苦しみから逃れられません。
自分で自分の命を絶つということは、輪廻のレールに永遠に乗れません。
話は戻しますが、
鬼門(きもん)とは、北東(艮=うしとら:丑と寅の間)の方位のことであり、鬼門とは反対の、南西(坤、ひつじさる)の方角を裏鬼門(うらきもん)と言い、この方角も鬼門同様、忌み嫌われます。
この鬼門思想がもし中国から伝来した考え方であるとすれば、中国と日本の古代史においての関りがありそうですが、中国にはその思想はないようです。
又、陰陽道では、これらの方角を鬼が出入りする方角であるとして、万事に忌むべき方角としているようですが、陰陽道が盛んだったころの時代背景にその謎を解く鍵がありそうです。
そのようなことで、鬼門・裏鬼門が現代まで語られる由縁とは何なのか、先人達は何を現代の私たちに語り継いでいるのかに耳を澄ましてみたいと思います。
陰陽道とは何か。その起源は紀元前二千年の古代中国にまでさかのぼると言われたりしていますが、私には起源は日本であり、その発祥の地は兵庫県の中央部に位置する播磨国風土記に記された埴岡の里と聞こえてくる。
卑弥呼は鬼道を操り・・と、魏志倭人伝に記された『鬼道』こそ道教のことであり、その発祥の地は、埴岡の里であり現在の生野、神河町を中心とした中播磨地域で、その中でも神崎郡福崎町にある七種山(なぐさやま)の、南麓一帯は重要な拠点であったと思っています。
ところで・・、雷さんや鬼のパンツはなぜトラ柄?それは、この国の歴史を教えているようです。
鬼にさせられた人たちの歴史こそ、御霊こそ、今崇め祀らなければなりません。
この方々の御霊が今、お怒りなのです。
国の長が、国民を代表して鬼門・裏鬼門を開放しおごそかに迎え入れ、そのためにこの国の建国者であるイエス・キリストや、その墓守をしていた卑弥呼の墓に早急に墓参しなければならない。
まだあります。この真実を知っていた、蘇我入鹿(皇極天皇) 、天武天皇、藤原不比等公、桓武天皇、空海らの墓参を急がなければなりません。
かれら現人神たちはそれを望んでいます。
その仕事は三権の長と、天皇陛下の司です!
2020年3月10日(火)
隠岐の島、島前の焼火山(たくひやま)は、邪馬台国の時代、特別な島の特別な山だと教えている気がする。
その山の近くに焼火神社があることもそのことを教えている。
重要な山には、低くても高くても必ず神社が古代より存在する。
神社は重要な光通信基地であるからである。
又、この島の配置からすれば、大きな火を灯火できる条件が整っている。
火は情報を伝える役割を果たすが、その光を効果的に受け取る場所が必ず存在する。
例えば、仁徳天皇が国見をした山もその一つだ。
国見をした山からは、 阿波志摩 淤能碁呂志摩 阿遲摩佐 佐氣都志摩を見渡すことができる。
もっと日本全土を見ることができる山が大江山の東に存在する。北にも存在する。
その場所にも仁徳天皇は行ったのだろうか・・。
いえいえ、その場所こそが、天皇が歌った場所なのかもしれない。
邪馬台国の時代、急ぎの場合は、対馬、壱岐、呼子、福吉・・と正規ルートを通らずに、隠岐の島から兵庫県の丸山川遡って、粟鹿から生野を通って女王が住む宮がある栗へと行く。
その時に、焼火山で、夜通し火を焼いたことだろう。
異変を女王に伝えたことだろうことが伺える山の名前と地理的条件を満たしている。
いつか、行ってみたい山と神社である。
2020年3月9日(月)
撮影で姫路から神河~生野へと行った。
生野の姫宮神社で異様な赤色が目に飛び込んできた。
私には異様に映る赤色の警報器。
綺麗な情景を損なうほどに違和感を覚える。身震いが襲ってくるようでもある。
生野で今、何かが密かに進められている。
2020年2月22日(土)
3月14日(土) 大阪梅田スカイビル 36Rで、
午前の部
10時受付 10:30~11:45
オリオン座の山々の磐座 イワクラ学会理事 武部正俊
午後の部
12:30受付 13:00~14:00
播磨国風土記から邪馬台国を読み解く
古代史研究家 市川 慎
14:00~15:00
邪馬台国オリオン座説 上森三郎
休憩
15:20~16:20
質疑
終了 16:30
テラファイトを開発してから宗像大社へと行き、不思議な声を聴いて物語の幕は開いたようでした。
それからいろいろな場所へと、いろいろな人に連れて行かれた後、六甲道の前の事務所で又、不思議な声を聴いて契約を迫られて・・。
不思議な不思議な物語です。
契約した後に、十字架を三つ地図上に描かされて、ほとんどの場所に行かされ、「地下神殿の扉を開け」と生野で穴掘りして・・。
それからほどなくして、八幡山ピラミッドを紹介されていた古代史研究家の市川慎さんとの出会いがありました。
それから数年経って、武部さんを契約の主は私に使わしました。
そして、武部さんとともに誰も知らない行かない山々へと同行してもらいました。
それは、忘れ去られた古代大王たちの墓参りでした。
卑弥呼の墓、天児屋命の墓 モーセの墓、テラの墓 アブラハムの墓、そしてイエス・キリストの墓、マリアの墓。
懿徳天皇の墓、懿徳天皇の曾孫の墓 卑弥呼の親族の墓。
桓武天皇の墓 空海様の墓 蘇我入鹿の墓 藤原鎌足の移し替えられた墓 天武天皇の墓、斉明天皇の墓 藤原不比等の墓。
誰も知らない山の中へと行かされました。・・登らされました。
これらのお墓参りをし終わってやっと、ここに来て、意図的に隠されていた邪馬台国の謎を全て教えられたようです。
凡そ10年が経とうとしています。
そして・・、『邪馬台国オリオン座説』を3月14日に語りたいと思います。
その日には、本も出来上っていることでしょう。
この物語の扉が開かれた場所、宗像大社に今日、報告に参ります。
宗像大社で「よう来たの~~」と待っていたのは、空海様でしたね。
今日は卑弥呼さんと共に、お供の福神様たちが待って居られる御様子です。
私が今まで行けてない、壱岐から呼子、福吉、福岡、香椎、福津と七福神様たちが往来した九州ルートを私に案内してくれるとのことであります。
そして、テラファイトを創るきっかけになった弟の13回忌と、テラファイトコアを創るきっかけになった母の一周忌に手を合わせに故郷、熊本へと参ります。
空海様と共に・・旅をします。
さぁ~身支度して・・と。
2020年1月23日(木)
空海は、大学を中退して、人生のスタートは間違いなく槇尾山施福寺である。
槇尾山施福寺が、どのような重要な場所であるかを得々と聞かされたはずである。
その証拠は、下の図形の数々を見れば納得いただけると私は思う。
そしてこの設計計画を成し遂げる為に選ばれし一員となった空海は隠密行動をとったと推測できる。
槇尾山施福寺とイエス・キリストの墓とイエス終焉の地は2:1:√3の直角三角形を描く。
槇尾山とイエス・キリストの墓とイエス終焉の地とは光通信ができる位置にある。
イエス・キリストの墓と槇尾山施福寺と金蔵寺は、正五角形の一部をなす直角三角形を描く。
槇尾山施福寺と丹生山と藤原不比等の墓は、1:1:√2の二等辺三角形を描く。
丹生山と卑弥呼の墓と藤原不比等の墓は40度50度90度の直角三角形を描く。
槇尾山施福寺と丹生山と卑弥呼の墓は一直線に並ぶ。
桓武天皇の陵墓と桓武天皇の墓と丹後国分寺はケプラー三角形を描く位置にある。
そして地下神殿入口から丹後国分寺跡までと、桓武天皇陵までの距離は同距離で、二等辺三角形を描く。
槇尾山施福寺と桓武天皇陵と桓武天皇の墓は直角三角形を描く。
生野の地下神殿入口と桓武天皇陵と槇尾山施福寺は一直線に並ぶ。