2015年6月30日(火)
下記記事はモーセの直系である武部さんのブログからの転載です。 前回のツアーでの出来事も書かれています。
5月30日、上森三郎さんが主宰する「かごめかごめをつたえる会」の主催するイベントに参加した。「高御位山」から下山して次に向かったのは、高御位山のすぐ北側にある不思議な形をした山の麓にある「大歳神社」だった。
この不思議な形をした山を上森さんは「イエス・キリストの墓」といっている。
世間の常識ではとんでもない意見だが、上森さんの話を聞いたり、一緒に山を探索していると、「それも有り得るか」と思ってしまう。
僕はこの山に二度登った。 「聖なる山と磐座」と題してその模様を等ブログにエントリーしている。
この勾玉あるいは胎児のような形をした山(僕はこの山を「志方勾玉山」と勝手に名付けている)の麓には二つの神社(厳密には四つ)がある 。中央の山麓には「白髭神社」、東側の山麓には「大歳神社」がある。今回のイベントでは大型バスを乗りつけて、「大歳神社」の参拝をした。
「高御位山」と「志方勾玉山」の位置関係を「地理院地図」と、ほぼ南北関係にある。
気に掛かるのは、志方周辺には溜池がずいぶん多いこと。「志方勾玉山」のすぐ南側にも「大池」という池がある。実際に地図を見るといたる所に立明かがあるのが分かる。
地図からも水田が多く溜池を必要であることが分かる。溜池を掘ると当然土砂が多く出て来る。窪地を埋め立てて、田畑にしたとも考えられるが、僕はこれらの土を使って古墳を造ったのではないかと考えている。
実際に「志方八幡宮」周辺には古墳が多く見られる。
「志方勾玉山」の不思議な形もあるいは盛り土によって造られてはいまいか。発掘調査をすれば、解明されるだろうが・・・・・・。
「大歳神社」に到着して、上森さんがまず案内したのは本殿でも拝殿でもなく、その左手の斜面の下にある「天端の平らな石」だった。
「祭壇石」のような天端の平らな石とその傍らに立つ上森さん。お供え物を置いて、しばし祈り。
帰りがけに撮った写真でこの場所を確認してみる。
手前の天端の平らな石が「祭壇石」といえる石。ゆるやかな斜面が上方に延び、草刈などの手入もされていて、桜が数本植えられている。この「祭壇石」の所に立つと、何となく心地が良い。
気功師の天野先生が突然斜面を登り、桜の木の側で、祈り舞い始めた。
祈り舞う天野先生。
この写真を見ていて、桜だろうか、ひょろりと生え二股に成っている苗木が何となく僕のは気がかり。
戻って来た天野先生は「大晦日から正月、神様が中央の真っ直ぐな木に神様が降りてきて、この広場が愛に満ちた平和な場所になる。」というようなことを言われた。(曖昧な記憶なので間違っているかもしれないが。)
すると一人の女性がその場所まで行って、木に向かって祈り始めた。
ほぼ全員が後を追った。
その木はおそらく植林されたと思われる「檜」で、真っ直ぐで枝打ちもされていない。まだ細いが不思議な生命力を感じる木であった。
その檜の上方に、石の繋がりがあり、上方を示しているようにも思われる。
僕にはまだ「神さま」を感じることは全く出来ない。ただ何となくその雰囲気を楽しんでいる。
この檜の右手に「大歳神社」の拝殿と本殿があり、ほぼ全員がそちらに移動して、各々祈っていた。
祭神は「大歳神」。神社についての貴重なインターネット上の情報源である「玄松子の記憶」の「大年神」の解説には、
大年神は、須佐之男神と大山津見神の娘・神大市比売命との間の御子神で宇迦之御魂神の兄弟神。
とある。
「宇迦之御魂神」は「稲荷神」。
さらに解説には、
また、大年神と天知迦流美豆比売神が婚姻して以下の十人の御子神が生まれた。
奥津日子神、奥津比売命(大戸比売神)、大山咋神(山末之大主神・鳴鏑神)、庭津日神、阿須波神、波比岐神、香山戸臣神、羽山戸神、庭高津日神、大土神(土之御祖神)。
これらの神々は、竃や屋敷、庭、農地など、農業生活(稲作)のための神々だと思う。
とある。
「大年神」から 興味深い神々が生まれている。
「大歳神社」は兵庫県中央部に多くあるのも不思議に思う。
今回のイベントの時、上森さんは「志方町の勾玉山は、公のイエス・キリストの墓で、遺体を埋葬された墓は他にある。」と言い出した。
またまた混乱が始まった。
・・・
女王卑弥呼は、山頂に眠る大王の御霊をいつでも拝めるように麓に移しました。
これが我が国の神社の造りの始まりです。
神社は卑弥呼さんの指示のもとに造られ始めました。
そのことを全て知っていた空海様は、私を我が国で一番最初に造られた福岡県朝倉市の大己貴神社へと行かせました。
どうしてそこへ行くか、前日には地図も私に描かせて教えました。
第一番目の神社が大己貴神社で、稲荷神社の第一号が和歌山県有田市の糸賀稲荷神社で、
その糸賀稲荷を意識して卑弥呼さんの陵墓は造営されています。
(国土地理院の等高線地図から推測する卑弥呼の陵墓の向きと、現場での測量による方位には約25度のずれがあります)
稲荷神社はイエス・キリストを祀った神社であり、女王卑弥呼はイエス・キリストから五代目の直系であり、
我が国の初代大王イエス・キリストがAD99年11月17日に現在の備前市で亡くなり(享年102歳)二日かかって、
長年に渡って造営されていた埴丘の里の陵墓に埋葬されましたが、その後倭国大乱が7,80年続いた後に、
卑弥呼を共立して、邪馬壹国の再興をスタートさせました。
イエス様の陵墓は短期的に造ったものではありませんから、表土には粘土質の赤土で丁寧に造営されています。
卑弥呼は、聖地を守っていたということです。
しかし、第九代開化天皇が247年2月8日に死亡(享年100歳)し、崇神天皇がその10日後、2月18日に天皇になり、
卑弥呼はその決定により、自ずから入る墓を標高764mの岩山の上に、15mもの土石を盛り上げて、
ご先祖様イエス・キリストの命日を入定の日と決め、造営を急ぎました。
陵墓は2年足らずで造営されましたから、表土が流れ出さないように、栗石で覆われました。
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そして翌年248年11月17日に入定されました。
どこまでも隠し続けられるものではありません。
神様達は、「速やかに真実を表に上げよ!」と言って居られます。 速やかに・・速やかに・・と。
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2013年9月14日(土)
朝からワクワクドキドキ感で8:30にはホテルを出発。
先ずは朝倉市の甘木歴史資料館へ。
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開館9:00を待って館内を見学し、そこでいただいたマップを見ると、「須賀神社」の4文字が目に飛び込んできました。行く途中に「安長寺」というお寺さんも気になるので先に立ち寄ると、なんと見事な巨木が・・・。
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そして・・須賀神社の壮大さを残す大鳥居を通って神社境内へ。
そこへ今回の講演会を企画した江藤さんから電話が入り、「ホテルへお迎えに行きましょうか」「今、須賀神社です」「じゃ~私もそちらへ行きます」と言うことで、江藤さんを待って、3人で正式参拝をお願いいたしました。参拝が始まると、背中の方から清々しい風が吹き始めてきました。 なんとも気持ちの良い爽やかな風でしたねぇ![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/bz/gawk.gif)
今年の初めから、「賀茂族の御霊に会いに行きなさい」「蘇我氏の御霊を鎮めなさい」と言うことで走り続けていた私でしたから、「正に呼ばれた!」という感じでしたね。
大己貴命のDNA,本家本流の王家の血筋が蘇我氏だと教えられている私としましては、その御魂にやっと朝倉市で出合った、呼ばれたとの思いでした。
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そこから江藤さんが、「王子神社へもお願いします」と言うことになりその神社へと・・。
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そしてそれから・・
「先に挨拶に行きましょうか」と江藤さん。
「んん~~、皆さんが揃ってからにします」と私。
「じゃ~私だけ行ってきます」と江藤さん。
そして助手席に居た私の目に空海様の後ろ姿が飛び込んできたのにはもうビックリの私でした。
「ここらで真言宗のお寺さんはありませんかね」と、須賀神社でも訪ねていた私でしたから、 もう嬉しくて嬉しくてすぐに車を下りて境内へと飛んでいました。
空海様は興徳院さんに居られましたね。
そしてご住職様に会うと、ご住職様も空海様との不思議な縁を語られていました。
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そうしてご住職様が用意してくださった近くの公民館で講演会が始まりましたが、始まって2時間ほどは、完全にいつもの説明会とは全く違っていました。
私が前日から朝倉市に来て、大己貴神社へ間違いなく呼ばれて来たことを、書かされた図形を写しだして説明し出すと数人の方の身体が動きだしました。 それからご住職様が、「ここに御集りの方々は、ほとんどが大己貴神社の行事を中心にして生活が成り立っています・・」と、かみしめるように話される言葉に胸が締め付けられる思いでした。
「よくぞここまで長期に亘ってお守りくださいました」と私は心の奥底から、そしてそれは、集まられた多くのお御魂様方がそこに沢山居てるような不思議な感覚でした。
そこには、間違いなく世にも不思議な感動のドラマの世界が用意されていました。
![Img_2812 Img_2812](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0a/4d/0b2fb75f791c4ae1f8acd2198187e18f.jpg)
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