2020年3月10日(火)
隠岐の島、島前の焼火山(たくひやま)は、邪馬台国の時代、特別な島の特別な山だと教えている気がする。
その山の近くに焼火神社があることもそのことを教えている。
重要な山には、低くても高くても必ず神社が古代より存在する。
神社は重要な光通信基地であるからである。
又、この島の配置からすれば、大きな火を灯火できる条件が整っている。
火は情報を伝える役割を果たすが、その光を効果的に受け取る場所が必ず存在する。
例えば、仁徳天皇が国見をした山もその一つだ。
国見をした山からは、 阿波志摩 淤能碁呂志摩 阿遲摩佐 佐氣都志摩を見渡すことができる。
もっと日本全土を見ることができる山が大江山の東に存在する。北にも存在する。
その場所にも仁徳天皇は行ったのだろうか・・。
いえいえ、その場所こそが、天皇が歌った場所なのかもしれない。
邪馬台国の時代、急ぎの場合は、対馬、壱岐、呼子、福吉・・と正規ルートを通らずに、隠岐の島から兵庫県の丸山川遡って、粟鹿から生野を通って女王が住む宮がある栗へと行く。
その時に、焼火山で、夜通し火を焼いたことだろう。
異変を女王に伝えたことだろうことが伺える山の名前と地理的条件を満たしている。
いつか、行ってみたい山と神社である。