続 写真は心

お気に入りの写真に気ままな独り言を書き込んでいるブログです。

江戸城・北桔橋門

2015-03-23 | お城・史跡

今回は本丸の北口にあたる「北桔橋門(きたはねばしもん)」の2回目です。
上の写真は、下の明治4年頃に撮られた古写真とほぼ同じ位置(もう少し右側に行きたいのですが木々が生い茂っていて入って行けません)から撮った現在の姿です。

古写真では、門の右側の石垣上に「乾二重櫓(いぬいにじゅうやぐら)」がまだ建っています。
橋も木橋のままで、高麗門の中には石垣と櫓が桝形にガッチリ囲ってあり、現在のように高麗門をくぐったら正面に天守の石垣がまる見えと言う事はありませんでした。
写真でも見えているように、高麗門の左側には「北桔橋櫓門(きたはねばしやぐらもん)」が入城者を見張っていました。

それでは、現在の「北桔橋(きたはねばし)」を渡ってみましょう。

現在の橋は、おそらく鉄筋コンクリート造りになっていると思いますが、橋の向こうにある「高麗門」に行ったら門の下から梁を仰ぎ見てください。

江戸時代、木橋だった頃に敵が攻めよせて来た時、滑車で橋の途中から吊りあげて渡れないように橋を留めた金具が今もそのまま装備されています。
行った時には必ず見てくださいね!

それから本丸内に入りますが、古写真では・・・

写真の左側は「渡櫓門(わたりやぐらもん)」で、右側の侍達がいる建物は「岩岐多聞(がんぎたもん)」と言い、地下から水を汲み上げていたそうで、二本の木樋(もくひ)装置が斜めに櫓に掛けられています。

明治になったばかりの時に、この様な荒れ方なのは、幕末の江戸幕府には金銭的にも精神的にも、まったく余裕などなかった事が分かりますね!

古写真とほぼ同じ角度で現在の位置から撮ってみると

櫓どころか石垣さえも完全に撤去されてしまっていて、古写真が残っていなければ初めから此処には何もなかったと思ってしまいます。
この右には、何時見てもりっぱな天守台の石垣があります。

今度は、天守台から渡櫓門があった方角を見ます。

此処にあった石垣や櫓を思い描きながら、逆に高麗門を出ます。
出てすぐの橋の上から、左側の来た方角(乾門)の乾濠(いぬいぼり)を撮ってみました。

それから、橋の反対側の「平河濠」も撮ってみました。

此処からの石垣と平河濠の景色は、クーのお気に入りの一ヶ所になっています。
濠の正面奥の飛び出た石垣は、平河門の脇にある「不浄門」から竹橋門へつづいていた門のあった石垣です。

桔橋(はねばし)からつづく土橋を渡り、平河濠に沿って竹橋門跡方面へと歩いて行くと

こんな風に北桔橋門が見えます。
この場所の正面にある石垣が下写真で、これまたクーのお気に入りの景色なのです。

この台形のカーブを描いた高石垣は、何度見ても立ち止まって眺めてしまうのです。
この石垣上には五十三間多聞と右端に二重櫓も建っていました。

もう少し竹橋門跡近くに行った処からの、此の高石垣もまた良い景色なのですよ!

ね!お城してるでしょ!!

今回の地図はこれです。

江戸時代の空気を感じにお散歩がてら歩いてみませんか?
クーは、行くと1万歩前後歩くので、同じ門でも何度でも行ってしまいます。

また行こうっと!


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