塾、スポーツに続く第3の習い事としての将棋。
立ち位置は、こんなところだろうか、国際化が進んでいる、お隣の囲碁界は五輪競技としての道をJOCが承認した。
将棋はチェスと同じ母を有しながらも、まだ国際的には成熟してない事もありエントリーは、されませんが脳内スポーツとしての内容は同じで反射神経だけのTVゲームしてるより、自分で思考して行く将棋の方が良いと判断され教室に通わせている親御さんも多い事だと思います。
自分の立ち位置としては、若い頃少しだけ将棋を齧った事がある単なる小市民で、ウッキー先生のサポータ役をしてる用務員のオジサンで居るつもりだが、多少は世間の動向を学ぼうと思ってたら、小林信也著『子どもにスポーツをさせるな』なる本と出合ったので読んでみた。
>いま、子どものスポーツの大半は、「大人たちの楽しみのために行われているんじゃないか」と泉さんは疑問を投げかける。大人が指示をするために試合が行われる。大人が教え、大人が怒り、大人が自己満足するための試合。子どもは主役のようで主体性を失っている。
(一部抜粋)
あまりにも指導者が熱心なあまり起こる現象なのだろうが、指導者の自己満足パラダイスにだけはならない様に、起し太鼓の時の水は常に準備する必要があると思う次第。
先崎学八段が、ある雑誌のコラムで元女流名人の林葉直子さんが日レスの招待選手で参加する事のコメントに「将棋は敗北者にとって優しいゲームである。」と著されていましたが、意味がまったく判らない。(涙)
ただ、歌手の松山千春さんの「北海道は敗北者に優しい土地」の意味は何気に分かる気がする。