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遊心逍遙記その2

ブログ「遊心逍遙記」から心機一転して、「遊心逍遙記その2」を開設します。主に読後印象記をまとめていきます。

『じんかん』    今村翔吾   講談社

2024-12-15 15:32:57 | 今村翔吾
 この歴史時代小説を読もうと思ったのは、先月(11月)著者の『戦国武将を推理する』(NHK出版新書)を読んだのがきっかけ。『戦国武将を推理する』の読後印象はご紹介済み。この新書の最後に取り上げられていたのが、松永久秀。
 本書は、「小説現代」2020年4月号に掲載後、大幅に加筆・修正され、2020年5月に単行本が、2024年4月に文庫本が刊行されている。

   文庫表紙

 この『じんかん』はその松永久秀を主人公にして、松永久秀像のコペルニクス的展開を試みた小説と言える。

 松永久秀は若い頃、九兵衛と称した。天台宗の本山寺に世話になっていた時、寺の住職宗慶和尚から三好元長のことを聞く。そして、三好元長様に合ってみたいと宗慶に乞う。このときに、少し端折るが次の会話が交わされる。
 「お主は何を知りたい」
 「人は何故生まれ、何故死ぬかを」
 「それは途方も無いことよ・・・・未だかって誰一人として辿り着いた者はいないだろう。そもその答えなど無く、人は死にたくないから生きているだけやも知れない」
 「三好様の夢が叶えば、死は有り触れたものではなくなるはずです。その先に人は何たるかの答えがあるのではないか。そう思うのです」
 「お主のその性質は、僧にむいていると思うのだがな・・・」
 「和尚に申し上げるのは憚れますが・・・・私は福聚金剛より、遍照金剛の生き方に心惹かれます」
 「実践・・・・か」
 「この目で確かめとうございます」
 「人間(じんかん)の何たるかを知る・・・・か」
 この会話の続きに、”人間。同じ字でも「にんげん」と読めば一個の人を指す。今、宗慶が言った「じんかん」とあh人と人とが織りなす間。つまりはこの世という意味である”と本文がつづく。(p113-114)

 本書のタイトル「じんかん」はここに由来する。三好元長に会い、元長の宿願を聞いた九兵衛は、その宿願に共鳴して、戦国の世において己もその宿願の実現に協力しようと決意し行動する。久兵衛は松永久秀と名乗り、徐々に戦国大名に成り上がっていく。

 織田信長は、徳川家康に松永久秀を評して、人がなせぬ大悪を一生の内に三つもやってのけた男だと説明した。著者はこの小説の導入部でこう記す。一つは、三好元長の死後、嫡子長慶に取り立てられて重臣となったが、長慶の死後三好家への謀反により、権勢を高めるに至った。二つ目は子の久通に指示し室町十三代将軍足利義輝を殺害した。三つめは、三好三人衆との戦いの折に東大寺大仏殿他を焼き払った。天下の悪人。特に大仏殿を焼き払った悪人として世間に流布している。
 だが、このストーリー、それは久秀を貶めるための虚像だという風に久秀の生涯を語りあかしていく。実に興味深い進展となるところが読ませどころ。松永久秀のイメージをポジティブな方向に推し広げていく。松永久秀のイメージ形成に一石を投ずる小説である。

 本作は7章で構成される。第1章 松籟の孤児/ 第2章 交錯する町/ 第3章 流浪の聲/ 第4章 修羅の城塞/ 第5章 夢追い人/ 第6章 血の碑/ 第7章 人間へ告ぐ
導入部は、小姓頭の一人である狩野又九郎が安土城の天守に居る織田信長に松永久秀謀叛の知らせを伝えに行く場面。信長の気性を熟知する又九郎は信長の怒りを諸にぶつけられることを恐れ緊迫感を抱きつつ、久秀からの二通の書状を伝える。
 傍に控える又九郎の前で、楼下を見下ろしつつ、嘆息交じりに「奴は進めようとしているのだ」と発するところからこのストーリーが具体的に始まっていく。

 ストーリー構成として面白い点がある。松永久秀が信長に降伏、恭順した後、信長は直接、久秀の過去・来歴を語られた機会があると又九郎に言う。そして、又九郎を壁として、信長は松永久秀のこれまでの人生を語り始める。上記の7章構成は、信長が語る久秀の来歴であり、久秀の立場に立って語る内容となっている。そのため、各章の冒頭には、天守に居る信長が又九郎に対して久秀について語る様子がまず描かれる。その後に久秀の来歴が語り続けられる。二重構造という設定は勿論意図的である。

 このストーリー、久秀が語る己の火鴉壺・来歴を、聞き取った信長が己の内に受け止めた松永久秀像を、信長の視点というフィルターを介在させて久秀を語るという形になっている点のおもしろさにある。
 松永久秀を3つの悪を成した大悪人と建前では語りつつ、久秀の思考と信条、スタンスを基本的に信長は是とし、ポジティブに受け止め共感すら抱いている側面がああると、私は感じた。そこが、いい。

 信長の語りを聞き終えた又九郎は、信貴山城の久秀の謀叛に対して、信長の使者となるように命じられる。この時、又九郎は久秀に是非とも会ってみたいという高揚した状態に至っている。久秀と面談し、己の使命に尽力していく。

 このストーリー、出自不明とされる久秀の少年期から始まり、三悪を働くに至った経緯や信長に二度謀叛を働くに至る経緯などが、久秀の人生の時間軸に沿って進展していく。 三大悪を重ねた松永久秀像という一般的なイメージが、次々に覆されていく進展が興味深く、惹きつけられるところとなっていく。
 例えば、堺が堺商人「会合衆」によって自主的に運営される自治都市になるにあたって、三好元長の信念・宿願が起点となり、それに久兵衛改め松永久秀が協力していくというっストーリー展開は実に興味深い。我々は、堺が会合衆の運営により、高い自衛力と経済力を持った自治都市であり、環濠都市であったことを史実として学んでいる。だが、自治都市への転換がどのようにして実現したのかは不詳。このストーリーでの語りに裏付けがあるのかどうか、私は知らないが、そこにフィクションが織り込まれているとしても、自然な流れてであり、楽しめる。さらに、この自治都市への転換という理念が、松永久秀の信念・宿願につながっていくのだから、おもしろいのだ。
 

 最後に、本作から印象深い箇所を引用し、ご紹介したい。
*「平蜘蛛にそのような過去があったとは、考えたこともございませんでした」(又九郎)
 「世に出た後のことだけを見て、その前のことには興味を示さぬ。それは人も同じこと
  よ」(信長)p249 → 茶道好きにとってはおもしろい箇所かも
*「世には幾万の嘘が蔓延り、時に真実は闇へと溶けてゆくものよ・・・・
  結局は声の大きさであろうな」(信長)  p384

*「馬鹿な・・・・義継は久秀がいなければあ滅ぼされていたのです。十二万石でも十分
 過ぎるほどではありませんか」(又九郎)
「感謝など喉元を過ぎれば忘れ、妬心を抱けば、やがて憎悪へと変わる。ひととはそ

 のようなものよ」(信長)  p436

*人間にある見えぬ人の意思が、人々が神と名付ける何かが、常に己の足を引いているこ
 とはずっと感じている。
 だが、それでも九兵衛はまだ諦めない。彼らのように支援してくれる者もいる。この得
 体の知れぬ力に抗える、己が歩んできた軌跡、その中で関わってきた人々との縁ではな
 いか。人間に潜む意思に目鼻があるとすれば、己が一向に諦めぬことに顔をゆがめって
 いることだろう。 (松永久秀の心理)  p448-449

*たった一人のために命を燃やすとは、何と清々しいことか。ただそれまでに漫然と生き
 ていては味わえぬ。一生の中で多くの出逢いと別れを繰り返したからこそ、尊いと思え
 るのだろう。
 「なるほど、そういうことか」 
 ふと人の一生が妙に腑に落ちた。  p509
→九兵衛の最後の心境の描写である。
    「たった一人のために」とは、誰のためにか。お読みいただき味わってほしい。

 読者は、ここに描きこまれた松永久秀に親近感をいだくに違いない。

 ご一読ありがとうございます。



補遺
インターネットで既に紹介されている人物群像と本書に描き出された人物群像を対比してみるのも面白いと思う。本書はあくまでフィクションではあるが・・・・。

松永久秀   :ウィキペディア
三好元長   :ウィキペディア
三好長慶   :ウィキペディア
三好三人衆  :ウィキペディア 
足利義輝   :ウィキペディア
足利義昭   :ウィキペディア
細川氏    :ウィキペディア
筒井順慶   :ウィキペディア
堺の歴史   :「堺観光ガイド」
貿易都市として栄えた堺  川﨑勝俊 :「財務省」
武野紹鴎   :ウィキペディア
多聞山城   :ウィキペディア
信貴山城   :ウィキペディア

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『千里眼 堕天使のメモリー』  松岡圭祐  角川文庫

2024-12-05 23:38:23 | 松岡圭祐
 千里眼新シリーズの第6弾! 文庫書下ろしである。とはいえ、はやかなりの歳月が過ぎた。平成19年、2007年7月の刊行。この新シリーズ、ゆっくりと読み継いでいる。このストーリーのスタイルでの面白さは、時を経た今も変わりはない。

 冒頭は、ハローワークで行う相談に派遣された臨床心理士牧野高雄が来談者の京城麗香と牧野幸太郎の二人に手を焼く場面からスタート。ハローワークを訪れていた京城が突如、株式会社レイカを設立登記して、ハローワークで知りあった幸太郎を社員にするという挙に出る。この二人、主な登場人物になっていく。
 一方で、ランボルギーニ・ガヤルドを運転する岬美由紀は、都内で黒のクライスラー300Cセダンに追跡され、それを振り切るためにとんでもないドライビングを行うという場面で登場する。追ってくる男は、メフィスト・コンサルティングの関係者とわかる。その男は、京城麗香に会わせないという意思を表明した。逆に、それは美由紀に火をつけることになる。のっけからおもしろい場面が進展する。こういうスタイルがこのシリーズの常套手段なのだが。

 ハローワーク通いだった京城麗香が会社を起業して何をしようとするのかに、読者はまず、関心を抱かざるを得ない。やる気が全くなかった幸太郎が麗香に引っ張られてどんな役回りを演じる羽目になるのか・・・・。起業した麗香は、次に車を口八丁手八丁のやり口で入手する。フロント部分がオロチという異形のクーペスタイルのスポーツカーである
 麗香の指示で、幸太郎は渋谷109の正面に仮設された舞台に車を乗り上げさせる。
 これもまた奇想といえる展開。

 会社の事務所に戻ると、会社に関わっているポアがいた。刑事が現れひと悶着。幸太郎はポアから彼女がメフィストに関係する工作員と告げられる。併せて、麗香はメフィストかどうかは不詳だとも。
 そんな矢先に、地震が発生した。この時、美由紀はレインボーブリッジの中央部にいた。勿論、美由紀は橋上での避難行動の対処に巻き込まれていく。これはいわば美由紀の行動を彷彿とさせるエピソードの織り込み。

 麗香はこの地震が人工地震で、メフィストが仕掛け、自分に接触してきたのだと解釈する。幸太郎には意味不明。勿論読者にとっても同じ。興味は高まる。

 美由紀は。雑居ビルの前でオロチを洗車する幸太郎に出くわす。二人が会話をしているところに麗香が現れる。麗香を見た美由紀は麗香のまなざしを見つめて、気づく。麗香は西之原夕子であるということに。
 その場に、ポアが現れて闘うことになり、美由紀はメフィストが絡んでいることを察知する。
 即座に、美由紀は西之原夕子をメフィストの魔手から救うという使命感をいだく。

 つまり、ここまでがいわば準備ステージ。ここからストーリーが本格的に進展する。
 西之原夕子にポアを付けることで、メフィストは何を目的としているのか?
 メフィストが人工地震を起こした意図は何か? それが夕子とどう関係するのか?
 今回、メフィスト・コンサルティングを、特別顧問ジェニファー・レインが指揮していることが、美由紀と夕子には明らかになった。
 美由紀が幸太郎を助けたことを承知の上で、夕子は幸太郎に、横浜みなとみらいの赤レンガ倉庫の駐車場に、オロチを運転してきてくれと電話連絡してくる。背景を何も知らない幸太郎は、徐々に関連情報を知るようになる。彼はどうするか、どうなるのか? 
 美由紀はこの状況にどう対応していくのか?
 ストーリーの後半に突き進んでいく。

 ストーリーにはいくつか枝葉になるエピソード風のサブ・ストーリーが織り込まれいく。それがこのストーリーの特徴にもなtっている。後半でのおもしろいシチュエーションに触れておこう。
 銀座の地下の幻の地下街の先の通路の床にある正方形の深い竪穴を使って、内部の水位が上下する中で、クイズ形式の一種のテストが夕子に課される。そのプロセスの描写スタイルがエピソード風だ。読者をも試しているように思えておもしろい。この竪穴に美由紀が巻き込まれていく。
 
 最後に、一項目触れておこう。このストーリー、自己愛性人格障害というのを中核のテーマに据えている。臨床心理士岬美由紀が扱うのにピッタリというところか。
 著者は、美由紀が夕子に対し、次のように語らせている。
「聞いて。治療するんじゃなく、その人格を自分のものとして理解し、長所も短所も受け入れることよ。もし怒りに我を忘れることがあったとき、その時点で自己愛性人格障害だからと自分をなだめることはできない。でも、自分に異常が起きそうな状況をあらかじめ察知して、避けることはできる。そうしているうちに、冷静さのなかから自分を再発見していくことが可能になるの。わかった? だから症状をありのままに受け入れて」と。(p240)


 ご一読ありがとうございます。


補遺
自己愛性パーソナリティ障害   :「MSDマニュアル 家庭版」
自己愛性パーソナリティ症(NPD) :「MSDマニュアル プロフェッショナル版」 
自己愛性パーソナリティ障害とは  :「大阪メンタルクリニック 梅田院」

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『乱心 鬼役参』  坂岡 真   光文社文庫

2024-12-03 12:33:13 | 諸作家作品
 鬼役シリーズの第3弾! 他社文庫刊から改題の上、2012年6月に文庫本刊行。(奥書は前作同様の経緯を経たシリーズなので、以降煩雑さを避けて略記する)

 新装版文庫の表紙

 今回は短編連作風時代小説と言うべきか。本書には「鬼役受難」「蘭陵乱舞」「不空羂索」「乾闥婆城」の4編が収録されている。

 このシリーズの主人公は矢背蔵人介であり、表の顔は毒味役。裏の顔はグレーゾーン状態にある。蔵人介には用人として串部六郎太が付き従い、強力な協力者となる。
 今回は、主な登場人物として、しばしば登場する矢背蔵人介の家族・親族について、ここに記しておこう。
 矢背志乃 蔵人介の義母。蔵人介は矢背家の養子となった。志乃は長刀の達人。
      前作で当事者として関りを深めたが、茶道においても師匠格の技量を持つ。
 矢背幸恵 蔵人介の妻。徒歩目付の綾辻家から嫁いできて、鐵太郎という一子を産む。
      弓の達人でもある。

 綾辻市之進 幸恵の弟。不正を嫌悪するごく真面目な徒歩目付として任務に精励する。
      三十路になっているが独り者。蔵人介の所によく出向いてきて情報提供者
      の役割を果たすとともに、蔵人介の活動に協力することしばしばである。
      剣の腕はそこそこレベルにとどまるが、柔術と捕縛術には長けている。

 もう一人、第2作から表に登場してきた人物に触れておこう。
 橘 右近 御小姓組盤頭。蔵人介の裏の役目が暗殺役であると知っている人物。
      若年寄の長久保加賀守、蔵人介の裏の役目だった指令役の立場になる意図
      を見せ始めている。
 つまり、第2作以降、橘右近と蔵人介との関係がどうなるかは、読者にとっても重要な関心事とならざるを得ない。それだけ、ストーリー展開がおもしろくなると言える。

 各編ごとに、読後印象を含めて、少しご紹介していこう。
 第2作で天保2年の蔵人介の活躍が描かれた。本書は、天保3年の事件譚である。

< 鬼役受難 >
 このタイトルにまず惹きつけられる。これは天保3年卯月のストーリー。
 田宮流抜刀術の達人ということはわかっているから、第3作に入って受難って何? 
 ストーリーの冒頭で、公人朝夕人(クニンチョウジャクニン)の土田伝右衛門から、明後日の灌仏会の夕餉において二の膳の鱚(キス)の塩焼きには毒が盛られるという噂があると密かに伝えられる場面から始まる。本来の役目で危地に立つ?! のっけから興味津々に・・・。
 蔵人介が警告を承知の上で毒味をする。毒と知りつつ毒を喰らい、己の体で実証し、役目を全うする。このストーリーはそこからが本当の始まりなのだ。
 だれが毒をもった犯人なのか? 
 九死に一生を得た蔵人介は串部に言う。「毒を盛られて平気でいられるはずがあるまい。相手がどのような難敵でも、かならずや仕留めてみせる」(p41)と。
 勿論、橘右近は蔵人介を呼びつけ面談する。読ませどころとなる山場をいくつも盛り込んでいて、読者を惹きつけること間違いなし。毒味に到る過程。家斉謁見の場面。犯人追求プロセスでは大奥の政争に止まらず禁裏にまで裏事情の蠢きが及んでいく。
 スケールの広がりと一種のどんでん返しを楽しめる。一方、私は完結する短編という印象を持てなかった。この編で蔵人介が黒幕を仕留めるまでに至らないから。

< 蘭陵乱舞 >
 冒頭文は「茫種(ボウシュ)」という語句から始まる。稲を植える時分のころをいう。
 茶壷道中の前を横切った過度で妊婦が斬殺されることから始まる。江戸城内で茶を点てる役目の数寄屋衆の横柄な振る舞いで、常陸下妻藩主の井上正健が困惑している場に出くわした蔵人介が手助けをした。それが因となり、蔵人介は碩翁に譴責部屋に呼び出される。腹を切りたくなければ、採茶師の横内恵俊を斬れと言われる。この悪辣坊主を斬ろうとしたことが因となり、禁裏と南都奈良のたくらみの渦中に、蔵人介は投げ込まれて行く。土田伝右衛門は、奈良の当尾にある岩船寺の笑い仏が絡んでいると、蔵人介に教えた。彼らの狙いは、将軍家斉の御首級を取ることだという。
 小大名を助けたことが思わぬ方向へ蔵人介を引き込んでいく。一方、宇治の茶師、神林香四郎が義母の志乃のところに来訪してきていた。
 なかなか巧妙なストーリー構成になっている。そこがおもしろい。
 この一編、最後は江戸城内、大広間前の表舞台が山場となる。舞楽の演目は蘭陵王と納曽利である。タイトルはここに由来する。
 この短編は、ひとまず一件落着する。蔵人介が一局面において、いわば生きがいを感じる機会となっただろうと、読者は共感でき楽しめると思う。

< 不空羂索 >
 時季は暦が夏至に変わった頃に移る。吉原の廓で、夕霧のもとに入り浸っている宗次郎を連れ戻すために、蔵人介は串部を伴い、吉原に乗り込む。夕霧、宗次郎に会い、話し合っている時に、厠で首を縊ったと思われる遊客が発見される。夕霧も馴染みにしていた伊勢屋徳兵衛という札差だった。
 宗次郎が花魁の佐保川と会っているのを目撃された夜、佐保川が足抜きしたという。
 蔵人介は吉原での佐保川事件に関わらざるを得なくなる。宗次郎の行方がわからなくなったのだ。佐保川のことを探るために、蔵人介は、橘右近を介して大奥表使の村瀬に会う。だがそこで、村瀬の抱える問題にも巻き込まれていく。伊勢屋の死と、村瀬の抱える問題とに接点が出て来る。加えて、佐保川の素性の一端がわかる。大奥の政争に宗次郎がからみとられているようなのだ。
 「そは観音菩薩の羂索(ケンジャク)、人界の鋼にて断つことあたはず。無駄なことはおやめなされ」(p210)と蔵人介が告げられる場面が出て来る。不空羂索観音菩薩という名称。短編のタイトルはここに由来するようだ。

< 乾闥婆城 >
 冒頭は「鬱陶しい梅雨は明けた」という一文。蔵人介と家族は、夜店を楽しんだ後、涼み舟に乗り大川の花火見物を楽しむが、その時、祇園祭の鉾の形をした屋形船がすれ違っていく。その舳先に「金青色の能面に唐人装束、異様な風体の二人が置物のごとく舳先に立っている」(p251)のを蔵人介らは目撃する。志乃は南都興福寺の天龍八部衆に乾闥婆なる神がいることを思い出す。乾闥婆城とは蜃気楼のことなのという。
 南都最強の敵が、蔵人介の前に遂に姿を見せ始めたのだ。
 義弟の綾辻市之進が、蔵人介を訪ねてきて、漆奉行の不正について探索している内容を語る。そんな矢先に、蔵人介は御前試合に出るようにとの命を受ける。蔵人介は橘右近から呼び出されて、背景事情推測の一端を聞かされる。蔵人介は真の問題事象の渦中に投げ込まれていく。
 このストーリー、御前試合が大きな山場になって行く。
 別次元と思われる事象が互いに錯綜し、陰の部分で繋がっており、その一方で、異なる企みが併存することを蔵人介は己の身を挺して認識していく。
 そして、遂に乾闥婆が姿を現す・・・・・。
 この短編、フィクションの面白さを遺憾なく発揮している。

 この第3作、蔵人介は橘右近との間に未だ距離を保つことができたと言える。

 最後に本書のタイトルは「乱心」。乱心とは、「正常な精神状態ではなくなること」(『新明解国語辞典』三省堂)という意味だから、このストーリーの大半の登城人物はこの語彙に該当する。なぜ、この語彙をタイトルに。
 この第3作の4編の繋がりを踏まえ直して、ふと視点を変えて思ったこと。この「乱心」は将軍家斉を表象しているのではないか。それがオチにもなっていると。そこがフィクションのおもしろさかもしれない。なぜ、そう思ったのかは、本書をお読みいただき、ご判断いただきたい。

 さて、次作ではどう進展していくのか。楽しみである。

 ご一読ありがとうございます。


補遺
灌仏会   :ウィキペディア
蘭陵王 (雅楽)  :ウィキペディア
納曾利 雅楽 作品と鑑賞 :「文化デジタルライブラリー」
蘭奢待   :「コトバンク」
例幣使街道 :「栃木市観光協会」
亀戸天神社 ホームページ
川崎大師  ホームページ
御茶壷道中の栄誉、そして挑戦の時代へ  :「綾鷹」
東大寺不空羂索観音立像    :ウィキペディア
乾漆八部衆立像    :「法相宗大本山 興福寺」
乾闥婆【八部衆】   :「法相宗大本山 興福寺」
祇園祭  ホームページ (祇園祭山鉾連合会)
天下祭   :ウィキペディア
山王祭山王山車のゆくえ   :「皇城の鎮 日枝神社」

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『刺客 鬼役弐』 坂岡 真   光文社文庫

2024-12-01 21:57:33 | 諸作家作品
 鬼役シリーズ第2弾! 奥書を読むと、2005年8月に『鬼役 矢背蔵人介 炎天の刺客』(学研M文庫)として刊行された作品に大幅加筆修正、改題して、2012年5月に刊行されている。このシリーズ、最新刊に到るまで長丁場で楽しめそうである。

  新装版の文庫表紙

 この第2弾も短編連作集といえる。本書には「対決鉢屋衆」「黄白の鯖」「三念坂閻魔斬り」「流転茄子」の4編が収録されている。

 主人公の矢背蔵人介は将軍家斉の毒味役で御膳奉行の役目を担う。魚の小骨が公方(将軍家斉)の咽喉に刺さっただけでも断罪となる役目。それにもかかわらず役料はたかだか二百俵。家禄と合わせても五百俵に足りぬ貧乏旗本である。その蔵人介は、毒味役を表の顔とすると、裏の顔を持つ。それは田宮流抜刀術の達人という技量を活かし、指令役から指令を受けて、幕臣の不正を断つという暗殺役である。暗殺役という裏の顔を蔵人介の家族や親族は誰も知らない。指令役は若年寄長久保加賀守であり、蔵人介はこの人物を信頼してきたのだが、第1作において、長久保加賀守に裏切られるという展開になった。つまり、蔵人介の裏の役目は断絶した。毒味役に専心する立場になったという段階から、この第2弾が始まる。読者にとっては、表の顔の毒味役だけで、ストーリーが続くのか、という興味津々としたセカンド・ステージがここから始まる。

 蔵人介には、用人として串部六郎太が仕えている。彼は悪党どもの臑を刈るという得意技を持つ柳剛流の達人である。元は長久保加賀守の家来で、蔵人介の裏の仕事を見届けるような立場を担い、蔵人介の用人になった。だが、主人長久保加賀守のやり口に嫌気がさし、蔵人介に忠誠を誓い、行動を共にする立場に変容していく。蔵人介の強力な協力者に徹する。このストーリーは、いわばこの二人が何をするかである。
 
 セカンド・ステージではもう一つ大きな変化要因が加わる。望月宗次郎の面倒を蔵人介が見なければならない羽目になったのだ。その顛末は第1作で語られている。宗次郎は矢背家の隣人・望月家の次男坊であるが、望月左門が政争に巻き込まれ殺される前に、その面倒を託されたのだ。なぜか。宗次郎は西ノ丸に依拠する徳川家慶のご落胤であると左門から伝えられた。宗次郎は己の出生を知らずに育ち、甲源一刀流の遣い手になっているが、吉原の廓に入り浸り、放蕩が続いている。蔵人介はそれを承知で見守る立場となってしまった。蔵人介は誰にも相談できない極秘の火種を抱える立場になる。ストーリーの底流となる宗次郎の存在と行動は、読者にとっては、見守り続ける興味深い要素となる。

 さて、暗殺指令を発する者がいなくなり、毒味役に専心する蔵人介が、何に巻き込まれていくのか。そして、蔵人介はどういう行動に出るのか。それがこのストーリー。

 短編連作集の基本構造は、主に2つの流れが織り交ぜられながら進展する。
 一つは、蔵人介の本来の役目・毒味役の仕事に関わって起こってくる様々な状況の変化とハプニングに蔵人介がどう対処していくかのストーリーの流れである。
 大奥を含み、幕府内の上層部には世継ぎ問題を含め常に政争状況が密かに蠢いている。そこに蔵人介も人間関係のしがらみにより投げ込まれていく立場になる。
 もう一つは、毒味役の役割を離れた場において、蔵人介が好むと好まざるとに関わらず、関係していく羽目になる状況への対応である。この第二の側面において、公的な暗殺指令を受けるという裏の役目は今時点では消滅している。ならば、何が起こるか。それこそが、読書にとっての楽しみどころになる。
 

 収録短編ごとに、読後印象を交え、簡略なご紹介をしてみたい。

< 対決鉢屋衆 >
 天保2年水無月(6月)から文月(7月)にかけての出来事。不作続きの年のこと。
 蔵人介が毒味の役目を終えて下城の途次、登城する長州藩の行列に出会う。その場に襤褸を着た百姓が駕籠訴の行動に出る場面を目撃する。駕籠訴に成功する前に斬られそうになり蔵人介の傍に百姓が逃げて来る。長州藩という大大名に対し、貧乏旗本の蔵人介が、堂々と正論を吐き、その場から一旦百姓を庇い助けた。百姓を追ってきたのは、長州藩馬廻り役支配、鉢屋又五郎と名乗る。勿論「本丸御膳奉行、矢背蔵人介」と返答する。これが発端となるストーリー。
 この事件、江戸城内で噂になる。長州藩の内情と一方で面目が関わってくる。鉢屋衆が動きだす。鉢屋衆とは長州の忍である。蔵人介は鉢屋衆と対峙する羽目になる。
 文月26日、長州藩では、江戸開闢以降で最大の一揆が勃発した。
 飢饉下での政治政策の失敗を糊塗し、武士の面子にすり替える意識と行動が描かれている。駕籠訴の実態もわかる短編である。

< 黄白の鯖 > 
 蔵人介は文月に柳橋から屋形船を仕立てて、家族や居候の宗次郎ほかとともに宵涼みと洒落込んだ。ところが、天保鶺鴒組と名乗る旗本の次男・三男坊たちが乗る船が、川を行く施餓鬼船にちょっかいを出す。その船は江戸随一の「吉野丸」である。蔵人介の乗る船がその場に居合わせた。
 翌日、夕餉の毒味を済ませた蔵人介は、中野碩翁に呼び出される。天保鶺鴒組の連中が狼藉を働いた相手が智泉院の旦那衆であったので、この出来事を忘れよと、同席していた本丸留守居役の稲垣に告げられる。三日後、黄白の鯖と目録に記される鯖代が尾張藩で盗まれ、家老が切腹する事件が発生する。この件で天保鶺鴒組に疑いが向けられる。これが発端となる。尾張柳生が動き出したという。
 蔵人介もまた、動き出さざるを得なくなる。宗次郎が関係しているかもしれないという話が持ちあがったのだ。
 このストーリー、公人朝夕人(クニンチョウジャクニン)黒田伝右衛門が登場するところがおもしろい。
 この短編は、今後の展望に繋がっていく布石でもある。蔵人介の裏の役目が、将来への岐路に入るからだ。読者には、興味と期待を抱かせる要因になる。

< 三念坂閻魔斬り >
 牛込の筑土八幡宮門前から南にきつい登り坂が続く三念坂で、閻魔の顔を象った武悪面をつけた男が、坂道を下りてきた二人の侍を待ちうける。一人は勘定奉行有田主馬、従者は野太刀自顕流を修めた高見沢源八。武悪面の男は「わしは公儀鬼役よ」と有田に告げた。武士二人はあっけなく惨殺された。文月十六日、閻魔の斎日である。大工見習いの亀吉がこの闇討ちを目撃していた。
 蔵人介に疑惑が向けられることになる。これがストーリーの始まりとなる。
 蔵人介は、裏の役目を果たすことが契機で、狂言面を打つことを心の浄化を兼ねた趣味にしていた。蔵人介は武悪面を打っていた。それがない。持ち出すとすれば、居候の宗次郎と推測される。
 虎穴に入らずんば虎児を得ずという格言があるが、そんな進展になるところが、興味深い。自ら疑惑の解明に立ち向かうという筋立て。どのように・・・が読ませどころ。
 もう一点、おもしろいのは、勘定奉行有田主馬の後釜に昇進するのが、遠山景元である。俗にいえば遠山の金さん。ストーリーの落としどころがおもしろい。

< 流転茄子 >
 神無月の朔日、『遊楽亭』の庭にある草庵で口切の茶会が催される場面から始まる。遊楽亭の亭主は万蔵。この茶会で茶を点てるのは蔵人介の義母・志乃である。蔵人介はその茶会に加わるように義母から指示されていた。万蔵は口切の一番茶を賞味する立場になれることに幸福感を味わっている。そんな茶席の場面から始まり、茶道具をネタにストーリーが進展していく。茶会では松永久秀所蔵「平蜘蛛」の釜が話題となる。
 5日には、志乃に呼ばれた蔵人介は、志乃から「つくも茄子」を話題にされる。志乃が宗次郎から預かっていた茶入が関係していた。
 茶道具の茄子の転売に対して、それを取り戻そうとする志乃・蔵人介の行動顛末譚。
 そこに、矢背家の過去と、志乃の若き時代の逸話が絡んでいる。そこに大奥の政争が絡んでいるのだからおもしろい。楽しめるフィクションである。

 蔵人介が天保2年に関わった事件を扱った短編連作集である。

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