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遊心逍遙記その2

ブログ「遊心逍遙記」から心機一転して、「遊心逍遙記その2」を開設します。主に読後印象記をまとめていきます。

『教場X 刑事指導官風間公親』  長岡弘樹  小学館

2023-07-14 23:17:45 | 諸作家作品
 県警察学校に勤務する風間公親の過去に遡る作品。刑事指導官の立場で活躍する風間公親を明らかにしたのが『教場0』だった。その続編に位置づけられるのがこの『教場X』である。0からXへと記号が飛躍した。本書はこれまでと同様短編連作集であり、6話収録されている。その第6話は、風間が平優羽子刑事に示した「辞令」の文面で終わる。T県警察本部刑事部風間警部補に、平成**年4月1日付をもって県警察学校勤務を命ずるという内容である。つまり、本書タイトルに冠されたXという記号は、風間が現職の刑事から警察学校の教官という未知数(X)の世界に移るという意味合いなのかもしれない。

 本書に収録された6つの短編は「STORY BOX」(2020年7月号~2021年3月号)に掲載され、大幅な加筆修正を経て、2021年9月に単行本が刊行された。
 本書は2022年12月に文庫化されている。

 『教場0』と同様のスタイルで本書への誘い、並びに覚書としたい。
 この短編連作集、内表紙の次に、凶器はアイスピックか千枚通しのような錐状の物体で刺傷された被害者が大型商業施設の階段で発生したという短い報道記事が掲載されている。

<第一話 硝薬の裁き>
 1.新米刑事 鐘羅路子。彼女は中古品アレルギーという持病に悩む。
 2.事件 「質屋経営者・海藤克剛射殺事件」
  ストーリー冒頭に、機械部品製造工場を経営する益野紳佑が「ポーンショップ海
  藤」の店舗を訪れ、海藤克剛を己が密造した回転式拳銃で銃殺する場面の描写から
  始まる。
  海藤はガンマニアで、現場には自殺を意図した遺書らしき物が残されていた。
  半年前に、益野の妻才佳が交通事故で死亡。小学3年の娘麗馨が加害者を海藤克剛
 と証言したが警察は取り上げなかった。その後、娘の麗馨は、時折、喉からヒューヒ
 ューと異音を発する症状を発するようになった。
  鐘羅路子が風間公親と一緒に、遺体現場を検分する場面から捜査が始まる。
  風間は、遺書の文字の震えと、弾痕の場所に着目する。
  鑑取りから、午後には、怨恨を抱く者として益野が浮上する。元警官であることも。
 3.風間の教え:この捜査に従事してから、体験したことのすべてをよく思い出せ。
        捜査中に歩いた場所。それがすべて現場だと思え。
        見てはいなくても聞きはした。なかにはそういう事柄もあるだろう。
 4.読後印象 :元警察官だった益野の周到な工作を如何に崩せるか。ナルホドと思わ
  せる伏線が要所要所に織り込まれていることに、後で気づいた。思いもしなかった
  要素の設定!益野に対する風間の問いかけ「娘さんを苦しめている相手を刑務所に
  送ってやりたい。そのお気持ちは本当ですね」が、最後に重みを加えて行く。
  この問いかけにそんな意味を風間は込めていたのか・・・・。実に巧妙!

<第二話 妄信の果て>
 1.新米刑事 下津木崇人
 2.事件 「大学教授梨多真夫転落死事件」
  「刑事訴訟法概論」を受講した後、図書館に向かう途中で、留守電のメッセージに
  戸守研策は気づく。梨多教授からのメッセージで、ゼミ論文の単位は認定できない
  という。研究室には翌日から海外出張予定のメモが貼られ、本人は帰宅していた。
  その単位が取れなければ、卒業できず、内定の新聞社に就職できない。戸守は教授
  の自宅に向かう。自作の地図を張ったばかりという教授は、テラスの椅子に座り戸
  守に単位はやれないとくり返す。発作的に戸守はテラスから教授を突き落とした。
  学生マンションに戻ってから、戸守は襟元のボタンの紛失に気づき、教授宅にタク
  シーで再訪せざるをえなくなる。そのため第一発見者を装うことにした。
  この短編もまた、読者には犯人がわかっている状況から捜査が始まる。
  風間は戸守に同じ時間帯に現場に来てもらい、発見時の様子の再現を実行させた。
 3.風間の教え:あらゆるものを疑え。徹底的にな。
        被害者の身になってみることも、大事な捜査過程の一つだ。
 4.読後印象 :「妄信」の怖さがテーマになっている。そう言えば、ネット情報を
  利用していると、情報の信憑性に気づかされることが時折ある。コピー&ペース
  トの容易さが背景にあるのだろう。「妄信」のトラップは要注意。そう思う。

<第三話 橋上の残影>
 1.新米刑事 中込兼児
 2.事件 「C町跨線歩道橋上刺殺事件」
  篠木瑤子は十分な予行演習を行った上で、跨線歩道橋を利用し工場の早番で出勤
  する加茂田亮を待ち伏せる。近づき声をかけ、すれ違いざまに腹部を庖丁で刺し
  て殺した。一旦、そのまま現場を離れたが、文字盤が六角形の時計を目にした事
  のために、現場に立ち戻った。腕時計を回収するとともに、身元を隠すための処
  置を講じた。引き返す道の途中には、傷害事件の情報提供を求める看板があった。
  風間と仲込は跨線歩道橋の現場検分から始める。
 3.風間の教え:犯人のつもりで動きをできるだけ過去に遡りシュミレートする。
        被害者をよく観察すること。
        絶対の決め手は常に物証だ。
 4.読後印象 :被害者の身体的特徴。それが様々な情報源とどのように結びつくか
  ということが興味深い。刑務所には「身分帳」が作成されている事を本書で初め
  て知った。「いくら念入りに準備しても、予想外のハプニングはつきものなんで
  す。犯罪の現場では」と末尾近くに出てくる。思わぬ物証が決め手に・・・。その伏
  線がさりげなく事件発生場面に描き込まれている。後で気づいた次第。実に巧妙。

<第四話 孤独の胞衣(えな)>
 1.新米刑事 隼田聖子
 2.事件 「工芸家浦真幹夫撲殺事件」
  萱場千寿留は「マタニティクリニックすこやか」の建物を出た。出産予定日は5
  日後の1月25日だった。駐車場には浦真幹夫が待っていた。家まで送ると言いなが
  ら、浦真は自分の家に萱場を連れて行く。工芸家の浦真は、千寿留を妊娠させた
  後、堕ろせと言い現金を渡してイタリアに飛び立った。19歳の千寿留は生む決心
  をした。浦真はイタリア人女性と結婚する予定で、千寿留の生んだ子は父親の親
  権として引き取ると言い出した。千寿留は、手近の大理石の灰皿で、浦真の側頭
  部を殴りつけて殺した。翌日の夕方、イタリア人女性の婚約者が訪ねて来て被害
  者を発見した。
  風間から呼び出しを受けて、隼田はタクシーで現場に駆けつける。風間との現場
  検分から捜査を始める。
  西隣りの家の小学4年の男の子が、1月20日の午後9時頃、20歳くらいの女性を目
  撃したと証言した。明るい色の手提げバッグを持ったスリムな女性だったと言う。
  風がすごく強く、びゅうびゅう鳴っていて暗かったとも述べた。
 3.風間の教え:これまでの捜査を思い出せ。すでにヒントはでそろっている。
 4.読後印象 :出生児に対する「親権」問題、煙突火災という現象、孤立出産とい
  う用語、赤ちゃんの顔は左右対称、出産育児一時金など今まで意識していなかっ
  た事項を学ぶ機会にもなった。知らないことが多いなぁ・・・・・。

<第五話 闇中の白霧>
 1.新米刑事 紙谷朋浩
 2.事件 「小田島澄葉毒殺事件」
  「あなたを自由にしてあげる」というメールを小田島澄葉から受信した名越哲弥
  は、その翌日の夕方、澄葉の家で最後の食事をすることになる。名越は澄葉との
  関係を解消し、新たにネット通販の仕事を立ち上げようとしていた。
  名越が澄葉の家を訪れると、料理は近くの洋食屋から配達してもらう形だった。
  澄葉は名越にコーヒーを準備した。名越は粘土を溶かしたような味と感じた。風
  邪のせいかとも感じた。名越は、澄葉が慢性鼻炎への措置として常用するS製薬
  の「ノーズエース」を、持参した品とすり替えた。食事を終えて、午後5時には澄
  葉の家を出た。この日、紙谷朋浩は、姉夫婦宅にて県警本部捜査一課への栄転祝い
  をしたいと呼ばれていた。食事前に小学5年生の甥・佑(たすく)の相手をして、
  「ウィルソンの霧箱」という実験に付き合い、門前の近くでも実験した。紙谷は
  それをスマホで動画撮影した。食事の時、紙谷は西側の隣家の様子を見て、異変
  に気づく。小田島澄葉の自宅だった。紙谷が第一発見者となる。紙谷は人工呼吸
  を試みたが女性は死亡した。点鼻薬にアコニチンという毒が混入されていたのだ。
  第一発見者である紙谷が風間とともに、この捜査に取り組む。
 3.風間の教え:記憶を思い出したければ再現が一番だ。
 4.読後印象 :考えれば、恐ろしい騙しあいが発端になっているストーリー。
  この起点となる騙しあいの事実は、刑事事件の裁判としてはどのような扱いにな
  るのだろうか。その点が気になる。

<第六話 仏罰の報い>
 1.新米刑事 登場しない。『教場0』の第六話に登場した平優羽子が再登場する。
 2.事件 「甘木保則刺殺事件」
  元大学教授の清家総一郎は、娘の婿である甘木保則に援助をしている。甘木は清
  家の自宅に金を受け取りにきた。50万円を渡す際に、少しトリッキーな細工をし、
  甘木が背中を丸めた後、上体を起こす前に、背中の一点に獲物を突き入れた。千
  枚通しに似た凶器だった。翌朝、清家は第一発見者として警察に通報した。「義
  理の息子が、わたしの家で殺されたようだ」というのが通報内容だった。
  著名な有機化学者である清家は、実験中の事故で両目に劇薬を浴び失明と新聞報
  道されていた。甘木は詐欺罪で逮捕された経歴があり、刑務所に3年間服役もして
  いた。清家の娘、紗季に暴力行為を働いてもいた。紗季は眼科医で、父の主治医で
  もあった。事件の起こった時点では、事情により休診中だった。
  平優羽子が最初に清家総一郎に事情聴取するところから、平・風間の捜査が始まる。
 3.風間の教え:被害者にはなりきっていない。被害者ほど証拠の宝庫。
 4.読後印象 :東大寺の大仏が右の手の中指を少し前に出していることの意味。今
  まで意識していなかったが、この短編での清家総一郎の説明が印象に残る。
  この短編のタイトルは、この短編を読み終えてみてその意味がわかる。平優羽子
  の配慮が印象深い。
  風間を県警察学校に異動させることが、風間を匿うことでもあるということだっ
  たとは・・・・。なるほどという気もした。

 ご一読ありがとうございます。


補遺
項目は50以上! 受刑者の情報がすべてが詰まった「身分帳」は、チェックも大掛かり/刑務官たちが明かす報道されない刑務所の話  :「ダ・ヴィンチweb」
宮本身分帳事件  :ウィキペディア
故・佐木隆三の描いた『身分帳』から辿る、旭川刑務所を出所した元殺人犯の衝突と挫折                       :「現代ビジネス」
相次ぐ孤立出産の危険  :「NHK」
親権者  :「法務省」
離婚と親権|親権者とは?5つの要件や母親がなれないケースなど :「離婚弁護士」
親権   :ウィキペディア

インターネットに有益な情報を掲載してくださった皆様に感謝します。

(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません。
その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)



『花のあと』  藤沢周平  文春文庫

2023-07-13 16:33:57 | 藤沢周平
 ゆっくりとしたペースで、藤沢周平作品を読み継いでいる。本書は8篇を収録した短篇集。昭和49~60年の期間に各種雑誌に発表され、昭和60年(1985)11月に単行本が刊行された。1989年3月に文庫化されている。
 本書の末尾に、「花のあと-以登女お物語」が収録されている。本書のタイトルはこの短篇に由来する。

 武士、商人、町人等様々な人々の日常生活、人生の一側面に著者の眼差しが注がれ、あざやかに人物が抽出され描き出されている。

 各篇を読後印象を交え、簡略にご紹介しよう。
<鬼ごっこ>
 盗っ人稼業を切り上げて10年ほどになる吉兵衛は、裏店のおやえの家を訪れようとして異変に気づく。話をかわした職人におやえが殺されたと聞く。その職人に質問され、祈祷師の南岳坊を訪ねて来たと誤魔化してその場を立ち去った。吉兵衛は19歳のおやえを身請けして裏店に住まわせたのだ。事件後に、南岳坊を訪ねて、さりげなくおやえの死について吉兵衛は聞き出した。吉兵衛はおやえを殺した犯人を独自に探索し報復するという顛末譚。吉兵衛の昔の稼業の勘と経験が活かされるところがミソである。過去の鬼が今の鬼を捕まえるという話。

<雪間草>
 尼寺鳳光院の尼僧松仙は、俗名を松江と言い、服部吉兵衛に嫁ぐ寸前に黒金藩藩主信濃野守勝統の側妾に召されてしまった。信濃守が内室と死別する頃に、松江は信濃守の寵をほしいいままにしていた。信濃守は18万石仙波藩から康姫を妻に迎え入れた。松江は仏門に入る。
 松仙の許に、勘定組谷村新左衛門が訪れ、服部吉兵衛が罪を得て国送りになって戻って来たことを告げる。松仙は大目付の寺井権十郎を訪ね、罪の理由を探る。その上で、江戸に赴き、吉兵衛の助命について、信濃守に直談判する行動に出る。その顛末譚である。
 松仙が、側室だった時代の憤懣を遂に爆発させ、彼女の強さを発揮する行動力がおもしろい。そこには、十数年前の黒金藩の禁令違反問題が絡んでいた。
 「足は疲れていたが、松仙の気持は軽かった」という末尾の一文に集約されていく。その余韻がいい。

<寒い灯>
 職人の清太と所帯をもったおせんは義母との関係が悪化し家を飛び出した。料理茶屋小松屋に勤めていて、清太から去り状を欲しいと思っている。だが、清太のいくじないほどのひとに対するやさしさに気持をひきつけられてもいる。
 逃げた女房のところに、清太は風邪を引き苦しむ母親の看病への助けを求めて来た。
 翌日、おせんは小松屋から一日の暇をもらい、義母の世話をしにでかけることに・・・・。その一日を描き出す。小松屋に戻る途中、喜三郎の顔を見つけたことで、おせんは思わぬ事態を知ることに・・・・。
 人を頼りにするという心、頼り頼られる人間関係に焦点が当てられていく。
 人生の岐路にたつと人の心は、様々な要因と思いが絡み合って総合され統合され、瞬間的に切り替わっていくのではないか・・・そんな思いを抱かせる短篇である。

<疑惑>
 文政10年7月3日の夜、浅草阿部川町にある蝋燭商河内屋に賊が入る。主人の庄兵衛を刺殺。女房おるいを縛り上げ、賊は金を奪い、逃走した。翌日夕刻、もと河内屋の養子で3年前に勘当されていて、前科があり無職の鉄之助が犯人として捕らえられた。
 鉄之助は、開けておいてもらった裏木戸から入り、義母のおるいに金をもらっただけだと主張していた。
 定町廻り同心笠戸孫十郎は、鉄之助を犯人と決めつけることに疑念を抱く。
 先入観の怖さが描き出されていく。孫十郎は妻の保乃と交わした会話から犯人解明のヒントを得る。思考の盲点をうまく捕らえたストーリー展開が巧妙である。

<旅の誘い>
 歌川広重の「東海道五十三次」は保永堂から刊行された。この五十三次を広重が描き継いでいるときに、保永堂竹内孫八が別件の依頼で広重宅を訪れた。広重の家は八代洲河岸の定火消屋敷にある。
 保永堂は広重の絵描きの本質が、そこにある風景をそのまま写そうとする風景描きにあると捉えていた。この保永堂と広重の関わりが主題になっている。そして、保永堂は、広重に木曾街道の風景を描いてほしいと方向付けていく。
 浮世絵の版元と絵師の関係がやはり興味深い。ショート・アート・ストーリーである。アート・ストーリーに関心を寄せているので、本書で広重のストーリーと出会えて、楽しくかつ興味深く読んだ。

<冬の日>
 清次郎は、子供の頃、浅草の西仲町の裏店に母子二人で住まいをしていた。当時清次郎の母は但馬屋という雪駄問屋から内職仕事をもらって、清次郎と糊口を凌いでいた。子供の頃、清次郎は但馬屋での雑用を手伝ってもいた。清次郎の人生と但馬屋の一人娘おいしの人生。ふたりの人生は出会い、すれ違う。別々の人生はその後変転する。そして偶然の出会い。その出会いが因となり、幼き頃に清次郎の心に刻まれた記憶が新たな人生の一歩への契機になる。このストーリーは、偶然の出会いの場面描写から始まる。
 苦を乗り越えた後の穏やかな人生の始まりを予感させる印象を受けた。余韻がいい。

<悪癖>
 勘定方4人は、女鹿川改修工事の掛り費用報告書作成を短期集中で行うよう奉行から命じられた。4人はその仕事をやり遂げる。急がされたのは、15年前に行なわれた女鹿川改修工事の掛り費用報告書に不審点、不正がないかを調査する目的があったからだ。派閥がらみの不正の有無が報告書に潜んでいるか問われていた。この調べの結果は藩政を揺るがしかねない。
 奉行たち自身が調べたが不正の有無を見抜けない。そこで、勘定方4人の内の一人、渋谷平助が報告書の分析、不正の摘出を命じられることになる。平助は使命を完遂する。最後に彼の悪癖が出てくることが、この話のオチとなり、ユーモラスでおもしろい。悪癖が多分彼の出世の足を引っ張ることになる。
 この短篇の読後印象は、仕事の本筋でない側面が、人の出世を阻害する要因になるということも、世の中ありそうだなぁ・・・・というところ。

<花のあと-以登女(いとじょ)お物語- >
この短篇、4つのセクションで構成され。各セクションの初めには、まず語り部の女性が、祖母のことを語るという形になっていて、各導入部分が話言葉で記述されていく。その話の内容自体は地の文として続けられる。
 祖母とは以登(いと)をさす。50年前、以登が18歳のときのことから語られる。それは、お城の二の丸の門を入った、二の丸の濠ぞいの桜見物に絡んでいた。以登は当時、夕雲流の修練に凝っていた。堀端で羽賀道場の江口孫四郎に声を掛けられた。江口は過日以登が羽賀道場の面々に勝ったことに触れた。
 後日、以登は自宅の畑の一角に設けられた稽古場で、父の立ち合いのもと、江口と試合を行うことになる。以登は江口に負けた。父は子供同然にやられたと評した。以登は婿となる男が決まっていたので、江口には二度と会ってはならぬと厳命される。江口にも縁組話が進んでいると父が付け加えた。これが以登の生涯ただ一度の恋になる。
 以登は友人の津勢から、江口の縁組相手が加世であると知る。加世は300石の奏者の家柄の娘であったが、男関係の噂があった。
 2年後に、江口孫四郎は自裁した。以登はその原因究明をめざす。以登の許嫁である才助が協力するという展開になる。
 このストーリー、以登のただ一度の恋が、いわば江口の仇討ちという結果を生むのだからおもしろい。加えて、才助の人物像が最後に語られるというオチが付いている。
 この短篇、著者は楽しみながら執筆していたのではないだろうか。そんな気がする。

 ご一読ありがとうございます。


『卑劣犯 素行調査官』  笹本稜平  光文社文庫

2023-07-11 23:09:58 | 笹本稜平
 素行調査官シリーズの第4弾。多分、著者にはこのシリーズのさらなる構想があったのではないかと想像するが、この作品が本シリーズの最後の作品となった。本書は、「小説宝石」(2016年7月号~2017年12月号)に連載された後、2017年12月に刊行され、2020年7月に文庫化されている。

 児童ポルノ禁止法違反の取り締まりを主な職務とする国枝敦雄警部補はジョギングを趣味としている。自分で設定しているコースの一つで、金町浄水場の常夜灯の明かりに照らされた人気のない道路を走行している時、背後から迫ってきて急発進した乗用車に追突された。その後続けて二度轢かれ、轢き殺された。これが発端となる。
 国枝は、警視庁生活安全部少年育成課福祉犯第二係に属していた。殺害された時には、インターネット上で児童ポルノの閲覧やダウンロードができる違法な会員制ウェブサイトを捜査していた。サイバー犯罪対策課がデータの転送量が異常に多いユーザーを特定したことを契機に、柳田良雄を特定し、彼の部屋にあったパソコンのハードディスクに保存されていた大量の児童ポルノの画像や動画を押さえて、任意出頭を求めた。柳田はあくまで単純所持を主張したが、国枝たちは彼を問題サイトの運営者だと推定していた。だが、ハードディスク内のデータの解明ができず、有力な直接証拠が出て来ていない段階だった。検察に送致された後、柳田は単純所持を認めることにより、即決裁判で執行猶予付きの有罪判決を受け、放免されてしまう結果になる。国枝はそんな矢先に轢き殺されたのだ。
 初動捜査で、轢き逃げに使われた乗用車が現場から1キロほど離れた河川敷に乗り捨てられていたのが発見された。その車は生活安全部部長鹿野昭俊の自家用車と判明する。だが、その車は事件の2日前に盗まれたと鹿野は所轄署に盗難届を出していた。事件当日のその時刻には鹿野には群馬に出かけていたというアリバイがあった。
 轢き逃げ事件だが殺人の可能性が高いと判断され、捜査一課が主導し、交通部が協力する形の共同捜査として特捜本部が立つ。交通部は轢き逃げの観点で捜査を続行する。
 
 当初、現場捜査員のあいだでは、鹿野生活安全部長が犯人ではないかという冗談めいた話も囁かれていた。単純所持の処罰化を含む児童ポルノ禁止法の改正に伴って、少年育成課福祉犯係の人員増強が要求されていたのだが、鹿野部長はそれを認めなかったという背景があった。また、鹿野の自宅は足立区の綾瀬にあり、国枝の殺害現場とは5キロほどしか離れていない。さらに、国枝が殺害される4日前に、警視庁の機関誌に国枝が記した趣味のジョギングに関するエッセイが掲載されていたのだ。

 鹿野生活安全部長は現在警視長であり、ノンキャリアからそこまで昇進するのは極めて稀なケースでもあった。首席監察官の入江は、この殺人事件に関心を寄せる。彼はある情報を入手していた。10年前、鹿野部長は静岡県警の組織犯罪対策部長であり、その時、小学生の少女への猥褻行為により、隣県の愛知県警の事情聴取を受けたという話である。その時には証拠不十分で起訴されなかった。ただ、そういう方面の趣味が鹿野にあるという噂はかながねあったという。入江は、同期入庁である交通部交通課の二宮課長からその伝聞情報を得ていた。その情報入手のルートははっきりしていた。
 二宮課長は、入江に事実関係の確認をできないか訊いてきたという。これを契機として、入江は本郷と北本に調査を投げかけた。鹿野は、事件の当日、親類の法事で群馬の前橋に行き、ホテルに宿泊していたという。この鹿野の主張を特捜本部の捜査員はホテルに電話を入れて確認しただけにとどまるというのだ。鹿野がノンキャリアの上級官僚ということからか、アリバイの裏とりが甘いと本郷は感じた。
 国枝が取り組んでいたのは、児童ポルノ禁止法絡みの捜査であり、国枝の所属する生活安全部の部長が鹿野。国枝殺害に使われた車が、盗難届が出ていたとはいえ、鹿野部長の自家用車という微妙な関係にあった。

 北本は大いに興味をいだく。本郷と北本は前橋に赴き、鹿野のアリバイが立証できるかの調査を開始する。この前橋への出張調査で、本郷は鹿野のアリバイについて、ほころびの糸口をつかむ機会になる。
 入江が同期の片岡哲夫の話を聞く場に、本郷と北本は同席する。片岡は、警察庁刑事局刑事企画課理事官で、片岡が静岡県警にいた時代に、鹿野も静岡県警に居たのだ。片岡を通じて、伝聞情報の裏付けがほぼとれる。本来なら、警察本部から殺人事件クラスお重大事案情報は速やかに刑事企画課に集約されてくるのだが、国枝警部補轢き逃げの事件は情報が上がって来ていないと片岡が言う。そのこと自体の不可解さを片岡はまず意識していた。
 特捜本部の捜査の動きがなぜか鈍いのだ。

 このストーリーは、本郷と北本が主体になり鹿野の素行について監察調査を行うが、監察の立場を越えて、いわば殺人捜査レベルの活動領域に踏み込んで行く所にそのおもろさがある。北本の勘働きが当初結構的中し好結果を生むという転がり方をしていくところも楽しめる。
 入江は同期ネットワークをフルに活用するとともに、執務室に居てできる周辺調査に積極的に取り組んでいく。特捜本部の捜査を眺めて居ると、鹿野の捜査をはばむことに更に上級官僚が関わっていると推測せざるを得ない状況が見え始める。入江のキャリア警察官人生を賭ける局面に突入していくことに・・・・・・。
 本郷と北本以外の配下の監察官を信頼できない入江は、調査のパワーアップと称して、鹿野の行動確認をアウトソーシングする。つまり、私立探偵の土居沙緒里と彼女の父・敏彦を活用する。この二人がその経験と特技を活かしていくところがおもしろい。当然ながら総合力はアップしていく。読者にとっては、土居親子がどこまで活躍するかが読み進める楽しみになる。
 国枝の部下で、一緒に事件に取り組んでいた荒井巡査部長と木川巡査は、国枝が轢き殺された後、事件の担当替えを命じられていた。荒井は本郷から事情聴取を受けた際に、本郷に好感を抱いていた。それで荒井は本郷と連携をとる道を選択する。一方で、担当替えを命じられたとはいえ、荒井と木田は柳田良雄の件の捜査を突き進めて行くことが、国枝の無念を晴らすことになると確信する。己の私的時間と私費を使い、警察官の職を賭けて、柳田の身辺の張り込み捜査を継続する行動に出る。柳田が有料の児童ポルノサイトを運営する当事者であることを立証しようと試みる。そのために囮捜査を手段としてとろうとすらすることに・・・・。彼らの行動が、また新たな糸口を掴む契機になっていく。
 
 「類は友を呼ぶ」という。己の性癖を隠すために、上級官僚が結託するという構図。警察組織での権限を悪用し特捜本部に影響を及ぼしている。上級官僚にはその周辺に常に迎合する輩が集まっている。それらの取り巻きが意向を忖度して行動し、活動を阻害していく。特捜本部の動きの悪さはそこに起因した。その上級官僚とは果たしてだれなのか。鹿野が国枝を轢き殺した犯人なのか。
 常に、警察組織内には勢力争いが渦巻き、組織内で発生した重要な事件には、勢力争いが絡んでいく。

 遂に警察組織内で発生した国枝警部補轢き殺し事件の加害者が明らかに。入江、本郷、北本の行動を中核にして、事実解明に協力した各部署の連携が実を結ぶ。まさに卑劣犯の犯行が暴かれていく。警察機構を震撼させる事実が明らかになる。
 入江たちは、また一つ、警察組織の浄化を為し遂げるのだ。
 著者の死によって、このシリーズがこの作品で中断となったのは残念である。
 
 ご一読ありがとうございます。




『黒石(ヘイシ) 新宿鮫ⅩⅡ』  大沢在昌   光文社

2023-07-06 21:47:37 | 大沢在昌
 新宿鮫シリーズはブログ記事を書き始める以前から読み継いでいる。この第12巻は、「小説宝石」(2021年4月号~2022年10月号)に連載されたのち、加筆・修正されて、2022年11月に単行本が刊行された。

 ネット上のある会員組織がシステムのバージョンアップを検討しているというメッセージの全文が冒頭に出てくる。それも日本語と中国語の併記で。唐突感一杯!!
 場面は一転し、前作第11巻『暗躍領域』において、阿坂課長の命で鮫島の相棒となった矢崎隆雄が再び登場する。前作では結果的に矢崎が公安部から鮫島につけられたスパイだったことが明らかになった。その矢崎が話をさせてほしいと鮫島の前に現れてきたのだ。
 これだけで、新宿鮫愛読者は、引き付けられることだろう。

 矢崎が鮫島に告げたのは八石についてである。中国残留孤児二世、三世のメンバーを中心にした会員制の「金石(ジンシ)」というネットワークの存在を鮫島も知っていた。金石は、日本人や中国人も所属し、犯罪だけでなく一般ビジネスや生活に関する情報をやりとりする互助会的な機能を有するネットワークだった。
 しかし、鮫島は八石については知らなかった。矢崎は言う。このネットワークのハブとなる人間が8人いて、八石と総称されている。八石は相互に熟知しあった人間関係が築かれているのではなく、交流がある者もない者もいる。近い仲間以外には、名前や顔を知らないメンバーなのだ。八石の間でも、会員同士の間でもそれは同様である。
 高川和(たかがわなごみ)、仲間うちでは黄(ファン)と称される八石の一人が、矢崎に自分を保護してほしいと電話でコンタクトしてきたという。金石を支配しようとしているメンバーがいるようなのだ。そのネットワークでは、システムアップという建前のもとで、異変が起こりつつあった。

 勿論、鮫島は矢崎が接触して来たことと、その内容を阿坂課長に報告したうえで、この事案に関わっていく。矢崎は本庁警備部災害対策課所属であるが、北新宿の事件の事後処理について鮫島のサポートをするという名目で、新宿署生活安全課に通うということになる。鮫島と矢崎は、東葛西で自分の会社「フジ緑化」を経営する高川に直に会って事情聴取することから始めて行く。高川はオリナスというショッピングモールで事情聴取に応じた。
 高川は言う。八石だけの掲示板があり、八石は、自分(虎)以外に、徐福、雲師(ウンシ)、安期先生(アンキセンセイ)、鉄(テツ)、扇子(センス)、左慈(サジ)、公園(コウエン)というハンドルネームを使っている。高川は、鉄・雲師・安期先生の3人を知っているが他は知らない。徐福が黒石(ヘイシ)を兵隊として使っている。徐福が金石全体を牛耳ろうと考えている。逆らう者には黒石を差し向ける。黒石は一撃で頭を叩き潰すという伝説がある。高川は被害者のことを聞いたことがあるという。

 高川と会った4日後、矢崎から鮫島のパソコンにメールが届く。千葉県袖ケ浦市で石油化学プラントの研究員が死亡したという地方版記事である。頭を強く打ったことが死因と考えられている、警察は事件、事故の両面から捜査中と報道されていた。黒石について高川から聞いていた矢崎と鮫島は引っかかりを感じてまず所轄の木更津署に出向く。この事件への関わりが始まりとなる。

 このストーリーのおもしろい特徴と観点をご紹介しよう。
1.鮫島と矢崎の二人が捜査を担当する。鮫島は意見聴取のメリットを考え、鑑識係の薮を捲き込む。捜査状況は全て阿坂課長に報告する。結果的にこの4人がいわばタスクフォースとなる。

2.八石のハンドルネームからまず実在人物名を如何に特定していくか。それが捜査の中心になっていく。そのプロセスで、事件が次々に発生する。事件の発生は、手がかり、糸口となっていく。読者にとっては、この解明プロセスが興味津々の主軸になる。
 そのプロセスで、鮫島が扱った様々な過去の事件の記憶が、背景情報として重ねられ、また絡み合って行く。

3.鑑識係の薮は、鮫島・矢崎の捜査情報から、黒石の殺害方法の分析・解明に特化していくことになる。

4.黒石に殺されることを恐れる高川は、警察による保護を求めた。自己保身を優先する高川は、己の知る限られた情報とはいえ、それを鮫島・矢崎の求めに応じて、小出しに情報提供するというやり方をとっていく。
 
5.鮫島は、捜査の進展とともに、徐福が金石というネットワークをどのように改編させていこうとしているのか。その目的は何か。この点を重視し、分析・推理していく。
 このネットワークの存在目的と存在意義が、一つの問題提起になっていると思う。

6.このストーリーは、鮫島の観点からの叙述とパラレルに、犯行に及ぶ黒石の観点からの叙述が展開されていく。そこには、黒石は己の正体を絶対に見破られない。殺人の武器についても気づかれないという自信が表出されている、それはどこから生まれるのか。読者には謎めいたまま、ストーリーが進展していき、一層想像をかきたてられる。そこがおもしろい。
 さらに黒石は己を「ヒーロー」とみなしている。それはなぜ?
 黒石の放つ謎めいた側面に読者は引きずり込まれていくはずだ。

7.単行本の表紙には女性の石像が描かれている。この石像が重要な意味を持ってくる。
 事件全体のターニング・ポイントになっていく。お楽しみに。

8.中国残留孤児二世・三世が社会的に実在する。中国人と日本人との狭間の存在。四世ともなればただの日本人になる・・・。そこに著者の問題意識、社会的な歪みに対する認識があるようだ。根底に中国残留孤児に対するこれまでの政治・政策批判の視点が内在していると感じる。

 最後に、印象的な箇所を引用しておきたい。
*警察の存在理由は、犯罪の抑止にほかならない。その犯罪には、盗みや暴力だけではなく国家に対する反逆行為も含まれる。犯罪だと規定することで、国家にとって都合の悪い意見や立場を表明する者を捉えることが可能だ。
 法の執行機関は国家権力の擁護機関である。その事実に、警察官は自覚的だが、一般市民の多くはちがう。   p258

*「悪いことをしていなければ警察は怖くない」と考える者は、「悪いこと」の規定が政治によっていともたやすく変えられることに気づいていない。 p258

*残留孤児二世三世の苦労の記憶は薄れ、やがて忘れられていくかもしれない。それを是とするか非とするかは、当事者の問題だ。だが、当事者でもないのに記憶の風化を責め立てる人間は、何においても存在する。  p458

 ご一読ありがとうございます。



『20 CONTACTS 消えない星々との短い接触』  原田マハ  幻冬舎

2023-07-05 15:32:17 | 原田マハ
 タイトルの 20 CONTACTS という文字列が目に止まり本書を手にした。そして、まず知ったことがいくつかある。ICOMと略称される International Council Museums (国際博物館会議)という国際会議が存在すること。2019年にICOM京都大会が開催されたこと。このとき、記念として「CONTACT つなぐ・むすぶ 日本と世界のアート展」が清水寺を展示場所として会期9月1日から8日までの8日間で開催されたということ。不敏にして当時この展覧会情報を全く知らなかった。本書の末尾で、著者がその総合ディレクターとなっていたこと。そして、この作品は、その展覧会とリンクする形で創作されたということである。
 本書は書き下ろしであり、2019年8月に単行本が刊行された。2021年8月に文庫化されている。
  文庫表紙

 この展覧会企画において、コーキュレーターとなった林寿美さん(インディペンデント・キュレーター)がこの単行本に「解説」を書いている。それによると、「展覧会場となる清水寺では、作品をただ鑑賞してもらうのではなく、来場者に、本書に収録された物語(一部)を掲載したタブロイド紙が手渡されることになった」(p207)そうだ。鑑賞機会を逸して残念!!

 「はじまり」のスタイルが特異である。とある雑居ビルの3階にある著者の事務所に一通の手紙が届く。それは私(著者)が私に出した万年筆書きの分厚い封書で、まずその内容に目を通すところから始まる。その中で、ICOMがどのような国際機関であるかということと、「CONTACT つなぐ・むすぶ 日本と世界のアート展」の企画が登場する。そして、著者は挑戦状という形で、ミッションを受け取ることになるという次第。
 この展覧会には世界から30人のアーティストの作品が展示される。そこには美術家ではないアーティストも含まれる。「これらの巨匠たちは、西洋の美術をよく知り、芸術を深く愛し、かつ、世界じゅうにファンが存在する。そして彼らの肉筆原稿や資料はユニークであり、高い芸術性をもつ、ゆえに、”アーティスト”と呼称することができる。そういう理由でこの展覧会の参加アーティストに列せられているのだ」(p16)
 そのうち、20人が物故作家である。
 
 著者のミッションは、この物故作家20人と順に面会し、「必ず手土産を持参し、礼儀を尽くす」。そしてインタビューする。「質問はひとつ、ないしはふたつとする」という条件がつく。そして、「インタビューのプロセスと内容をまとめ、掌編小説にする」「一編につき、3000字~3500字とする」というのが主な設定条件となる。勿論、〆切りが設定されている。
 つまり、この作品は物故アーティスト20人とのインタビュープロセスと内容を綴った掌編小説作品集である。
 「消えない星々」というのは、ここに取り上げられたアーティストたちを指している。20 contacts <接触 コンタクト>とは、著者のインタビューによる面談の場数をさす。
 1番目から20番目までのコンタクトが目次となっている。各コンタクトには、タイトル名称があり、アーティストの名前が記されている。その右に多少付記する。なぜなら、私自身が本書で初めて目にするアーティストも若干含まれていたから。それ自体が私には一種の刺激材にもなった。

 いのくまさん     猪熊弦一郎         :画家
 曲がった木      ポール・セザンヌ      :画家、モダン・アートの巨匠
 雨上がりの空を映して ルーシー・リー       :陶芸家
 ちょうどいいとこ   黒澤明           :映画監督
 擬態         アルベルト・ジャコメッティ :彫刻家、現代彫刻の巨匠
 樂園         アンリ・マティス      :画家、「色彩の魔術師」
 背中         川端康成          :小説家、ノーベル賞受賞
 冥土の土産      司馬江漢          :絵描きで博物学者
 パリ祭        シャルロット・ペリアン   :家具のデザイナー
 大きな手       バーナード・リーチ     :陶芸家、10年余日本に滞在
 育ち盛り       濱田庄司          :陶芸家、人間国宝に
 垣の花        河井寛次郎         :陶芸家、日本民藝運動に与す
 歓喜の歌       棟方志功          :版画家、板画・板業と称す
 サフィア       手塚治虫          :漫画家、「マンガの神様」
 ピカレスク      オーブリー・ビアズリー   :挿絵画家、ペン画
 発熱         ヨーゼフ・ボイス      :アーティスト
 秋日和        小津安二郎         :映画監督
 緑響く        東山魁夷          :画家
 汽笛         宮沢賢治          :童話作家、詩人
 希望         フィンセント・ファン・ゴッホ:画家、印象派の一人

 本書から逸れるが、2019年時点で現在活躍中のアーティストとしてこの展覧会に参加した作家名も「はじまり」に出てくる。名前を列挙しておこう。そこには大家も新進気鋭も含まれるという。
  加藤泉/ゲハルト・リヒター/ミヒャエル・ボレマンス/三嶋りつ恵
  三島喜美代/荒木悠/杉本博司/森村泰昌/山田洋次/竹宮惠子
こちらも、私には大半が初めて目にする名前・・・嗚呼! 視野を広げなくっちゃ! 自己への課題が残ったという次第。

 掌編小説なので、一編が8~9ページというショート・ショートな短編集である。
 読後印象総論として、箇条書きで感想を記してみる。
*アーティストの一側面(局面)に焦点が絞り込まれて、きらりと光る一文に結晶化されていく。その切り出し方が新鮮!
*読むにつれ、著者がアーティストに何を手土産に持参するのか、楽しみになっていく。
 その手土産がアーティストの一面を語ることにつながっているのだからおもしろい。
*アーティストに面会するまでのプロセスがマンネリ化することなく、毎回工夫が加わったアプローチになっていて、読者をあきさせる事はない。
*少しは知っているアーティストについても、この掌編小説で、あらたな側面(局面)を知る/学ぶ機会になって、興味が増した。
*アーティストを主題にしたこの掌編小説作品集は、その中で今まで<接触>の機会あるいは意識がなかったアーティスト名との出会いのチャンスとなった。私にとっては、それがもう一つの副産物である。知的好奇心への刺激剤となった。
 覚書として、新たな邂逅、関心への起点として知り得たアーティスト名等を列挙する。
   宗紫石/アントワーヌ・ヴァトー/前川國男/坂倉準三/ピエール・ジャンヌレ
   柳宗理/小野忠明/鈴木伸一/森安なおや/よこたとくお/水野英子/向さすけ
   山内ジョージ/薗山俊二/つげ義治/つのだじろう/ユイスマンス/川久保玲
   ジェームズ・マクニール・ホイッスラー/エドワード・バーン=ジョーンズ
   ヴィルヘルム・レームブルック/東野芳明/エミール・ベルナール
*物故アーティストとのインタビュー。時空を超えたこのフィクションは、まさに今、ここで生身のアーティストと著者が面談しているように生き生きとした情景を感じさせる。読んでいて少し軽やかなタッチすら感じさせるところが楽しさにつながっている。
*アーティストたちの素顔に肉迫し、身近に感じさせる描写がじつに巧みである。

 気軽に次々と読ませる掌編小説集になっている。
 ご一読ありがとうございます。

補遺
ICOM京都大会2019 :「ICOM」
丸亀市猪熊弦一郎美術館 MIMOCA ホームページ
上野駅に猪熊弦一郎の作品が設置されている理由は?中央改札口の壁画の魅力を探る
                      :「藝大アートプラザ」
猪熊弦一郎《自由》──平和への扉「古野華奈子」 影山幸一 :「artscape」
ルーシー・リー  :ウィキペディア
モダニズムの陶芸家 ルーシー・リー  :「WELL」
ジャルディーニ=ナクソス :ウィキペディア
ヴェネチア・ビエンナーレ日記<ジャルディーニ編> 神出鬼没のクロアチア館を目撃、展示に難ありの「魔女のゆりかご」  :「ARTnews JAPAN」
建築家・吉阪隆正の多岐にわたる仕事の全体像に迫る。「吉阪隆正展 ひげから地球へ、パノラみる」が東京都現代美術館で開催  :「美術手帖」
ジャコメッティと哲学者・矢内原伊作の関係性に迫る。国立国際美術館で《ヤナイハラ Ⅰ》の収蔵を記念する特集展示が開催  :「美術手帖」
ジャコメッティと矢内原伊作が作り上げたもの。|鈴木芳雄「本と展覧会」:「Casa」
嵯峨面 :「工美まつもと」
生命を吹き込まれた民芸品「嵯峨面」 :「東山見聞録 2013冬号」

インターネットに有益な情報を掲載してくださった皆様に感謝します。

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