くらまし屋稼業第3弾!! 表稼業は飴細工屋の堤平九郎、居酒屋の「波積屋」で働く七瀬、そして「波積屋」の常連客の赤也。この3人がチームとなり、当人から依頼を受け、誰にも知られずに江戸からくらましてしまうという裏稼業を実行する。痛快なエンターテインメント時代小説である。
だれをくらますのか? 阿部将翁。元幕府の採薬使[31年前の享保6年(1721)から10年前
まで]。 将軍吉宗の直々の要請。本草家としては異端的存在。
どこへくらますのか? 盛岡藩閉伊通豊間根(ヘイイドオリトヨマネ)村に。阿部本人の依頼。
今回のくらましには、いくつかの条件がさらに本人から付いた。平九郎にとってはくらますという仕事を成し遂げる上で大きな制約要素となる。阿部は、目的地まで船を使い、皐月(5月)15日に到着してほしいと言う。さらに、己がくらましを受ける当日まで今の自宅に留まっていられるかどうかはわからないとつけ加える。その事情と軟禁される可能性のある場所を2カ所、平九郎に告げた。
本書は2018年12月、文庫の書下ろし作品として刊行された。
読了後に改めてなるほどと思ったのが第1章の見出し「一生の忘れ物」である。これが阿部将翁にとって、くらまし屋の平九郎に難題を持ち掛ける根源となるキーワードだったのだ。
さて、依頼人の将翁は年老いて躰が弱ってきていることを熟知していた。
この半年の間に、市井の本草家が次々に神隠しのように姿を晦ましていて、消える者の年齢が徐々に高くなってきている事態が発生していた。その対象には幕府の役付本草家は避けられていた。役目を離れてしまった将翁は、最後に姿を消した者が五十過ぎの者だったので、次は己が狙われている番かと感じている。幕府は本草家の行方不明は何者かに連れ去られているからと考えているようなのだ。それ故か、将翁の所に小石川薬園奉行配下の与力・住岡仙太郎が度々将翁を訪れるようになっていた。また、同心が将翁の近辺に張り付いてもいた
将翁は、古巣の小石川薬園に駕籠で向かう途中、養生所の近くで、町医者の小川笙船に出会う。将翁の弟子だ。将翁はこの笙船からくらまし屋の情報を伝え聞く。将翁は、帰路、監視の同心をうまくごまかして、浅草寺の雷門のほど近くに出店をしている平九郎に接触した。それがこのストーリーの始まりとなる。
将翁の危惧どおり、下男の弁助と共に間もなく軟禁されることになる。そこは小川笙船が将翁に伝えたとおり、ここ3年ほど前に幕府が高尾山に設営した隠し薬園だった。平九郎らにとって、俄然、くらまし実行のハードルが高くなる。
このストーリーの全体の構造が読者にとってはおもしろい。
将翁は、既に己の余命が残り少ないことを自覚し始めている。そこで、最後にやりとげたいことが一つあった。「一生の忘れ物」にしないための最後の行動である。それが最初の「どこに」という場所に絡む。勿論、平九郎は目的地に、期日までに到着させることをくらまし屋として、契約するだけである。なぜか?は、現地に着くまで平九郎にも謎のままとなる。読者にも最期まで気を持たせつづけることに・・・・・。ストーリーの最終ステージへの進展につれて、感情移入してしまう。その理由があきらかになると、読者にとって涙は自然の帰結と言える。たぶん・・・・・。私にはそうだった。
将翁をターゲットに、彼をかどわかそうとねらう謎の輩が現れる。彼らもまた、高尾山の隠し薬園を目指す。
平九郎たちのくらまし計画と行動。かどわかしを狙う輩の行動。この二つは互いにその存在を知らぬままで、パラレルに独自行動を進行させていく。両者の動きを知るのは、読者だけである。そこがおもしろさを加えていく。
隠し薬園は薬園奉行の管轄。だが、そこに将翁を軟禁することで、別の問題が発生する。本草家が次々に消えていて、将翁がそのターゲットになっている前提で、正体不明の謎の者たちに将翁を奪われないという防御が必要になるということ。一方、幕府上層部からの指令により、将翁からすみやかに秘事を聞き出さねばならないのだ。
将翁が軟禁された時点で、道中奉行や御庭番が防御態勢の中に組み込まれていく。にわか仕立ての防御体制は、駆り出された当事者たちの上層部の命令発信者の思惑の違いにより、必ずしもうまく機能するかどうかが不確定要素となる。ここに、もうひとつの面白味の源が潜む。著者はなかなか巧妙に幕府側の組織構造を組み込んでいく。
高尾山に軟禁して、将翁から聞き出す役目は、先に記した住岡が担う。彼には立身出世願望があり、ここで手柄を立てたいと思っている。高尾山を管轄する薬園奉行配下の担当者たちとは別に、将翁を防御するために腕のたつ配下の者を連れてきている。
さらに指示を受けて道中奉行が警戒に加わる。そのリーダーが篠崎瀬兵衛なのだ。この任務の意味がすっきりと呑み込めない故に、瀬兵衛はこの任務に就かされた配下の者たちのことを第一に考える。お庭番は瀬兵衛にとっても正体がつかめない不気味な存在に見える。
篠崎瀬兵衛は、平九郎にとって既に関りを持つ場面があった道中奉行である。第2作でその関りが生まれている。瀬兵衛は勘働きに優れ、記憶力や分析力に秀でた存在なのだ。敵に回せば手強い相手と言える。勿論、高尾山に瀬兵衛が敵側に居ることを、平九郎は知る由もない。
つまり、高尾山の隠し薬園を舞台に、三つ巴の争いになる状況が徐々に生み出されていく。その渦中で、平九郎たちは、体力の弱っている将翁をいかに高尾山から救出し、くらましを成功させる段取りにつなげていけるのか。
平九郎たちが、高尾山からまず将翁を救出するために仕掛けた作戦のトリックがやはり読ませどころとなっていく。
さらに、平九郎と謎の輩とが接触し、刃を交えねばならなくなる場面がやはり盛り上がる。見せ場と言えよう。併せて、瀬兵衛の行動も興味深い。
くらまし屋稼業シリーズ、第5章で、平九郎の過去の一端が回想として挿入される。平九郎の妻となった初音との出会いの回想である。読者にとっては、平九郎の過去が少し明らかになる点がうれしい。そこに、くらまし屋稼業をしている平九郎が時折思い出す言葉が記されている。
人に良くしていれば、必ず巡ってくるものです。 p239
この第3作、平九郎がぽつりと言う「出逢いと別れか」が末尾近くに出て来る。 p271
この言葉がこのストーリーのテーマになっている。
その後に「まだ終わっちゃいねえよ」 p271
これも平九郎の言である。そう、平九郎にはやるべきことがあるからだ。
このシリーズの次作はどういう進展をするのか。楽しめることだろう。
ご一読ありがとうございます。
だれをくらますのか? 阿部将翁。元幕府の採薬使[31年前の享保6年(1721)から10年前
まで]。 将軍吉宗の直々の要請。本草家としては異端的存在。
どこへくらますのか? 盛岡藩閉伊通豊間根(ヘイイドオリトヨマネ)村に。阿部本人の依頼。
今回のくらましには、いくつかの条件がさらに本人から付いた。平九郎にとってはくらますという仕事を成し遂げる上で大きな制約要素となる。阿部は、目的地まで船を使い、皐月(5月)15日に到着してほしいと言う。さらに、己がくらましを受ける当日まで今の自宅に留まっていられるかどうかはわからないとつけ加える。その事情と軟禁される可能性のある場所を2カ所、平九郎に告げた。
本書は2018年12月、文庫の書下ろし作品として刊行された。
読了後に改めてなるほどと思ったのが第1章の見出し「一生の忘れ物」である。これが阿部将翁にとって、くらまし屋の平九郎に難題を持ち掛ける根源となるキーワードだったのだ。
さて、依頼人の将翁は年老いて躰が弱ってきていることを熟知していた。
この半年の間に、市井の本草家が次々に神隠しのように姿を晦ましていて、消える者の年齢が徐々に高くなってきている事態が発生していた。その対象には幕府の役付本草家は避けられていた。役目を離れてしまった将翁は、最後に姿を消した者が五十過ぎの者だったので、次は己が狙われている番かと感じている。幕府は本草家の行方不明は何者かに連れ去られているからと考えているようなのだ。それ故か、将翁の所に小石川薬園奉行配下の与力・住岡仙太郎が度々将翁を訪れるようになっていた。また、同心が将翁の近辺に張り付いてもいた
将翁は、古巣の小石川薬園に駕籠で向かう途中、養生所の近くで、町医者の小川笙船に出会う。将翁の弟子だ。将翁はこの笙船からくらまし屋の情報を伝え聞く。将翁は、帰路、監視の同心をうまくごまかして、浅草寺の雷門のほど近くに出店をしている平九郎に接触した。それがこのストーリーの始まりとなる。
将翁の危惧どおり、下男の弁助と共に間もなく軟禁されることになる。そこは小川笙船が将翁に伝えたとおり、ここ3年ほど前に幕府が高尾山に設営した隠し薬園だった。平九郎らにとって、俄然、くらまし実行のハードルが高くなる。
このストーリーの全体の構造が読者にとってはおもしろい。
将翁は、既に己の余命が残り少ないことを自覚し始めている。そこで、最後にやりとげたいことが一つあった。「一生の忘れ物」にしないための最後の行動である。それが最初の「どこに」という場所に絡む。勿論、平九郎は目的地に、期日までに到着させることをくらまし屋として、契約するだけである。なぜか?は、現地に着くまで平九郎にも謎のままとなる。読者にも最期まで気を持たせつづけることに・・・・・。ストーリーの最終ステージへの進展につれて、感情移入してしまう。その理由があきらかになると、読者にとって涙は自然の帰結と言える。たぶん・・・・・。私にはそうだった。
将翁をターゲットに、彼をかどわかそうとねらう謎の輩が現れる。彼らもまた、高尾山の隠し薬園を目指す。
平九郎たちのくらまし計画と行動。かどわかしを狙う輩の行動。この二つは互いにその存在を知らぬままで、パラレルに独自行動を進行させていく。両者の動きを知るのは、読者だけである。そこがおもしろさを加えていく。
隠し薬園は薬園奉行の管轄。だが、そこに将翁を軟禁することで、別の問題が発生する。本草家が次々に消えていて、将翁がそのターゲットになっている前提で、正体不明の謎の者たちに将翁を奪われないという防御が必要になるということ。一方、幕府上層部からの指令により、将翁からすみやかに秘事を聞き出さねばならないのだ。
将翁が軟禁された時点で、道中奉行や御庭番が防御態勢の中に組み込まれていく。にわか仕立ての防御体制は、駆り出された当事者たちの上層部の命令発信者の思惑の違いにより、必ずしもうまく機能するかどうかが不確定要素となる。ここに、もうひとつの面白味の源が潜む。著者はなかなか巧妙に幕府側の組織構造を組み込んでいく。
高尾山に軟禁して、将翁から聞き出す役目は、先に記した住岡が担う。彼には立身出世願望があり、ここで手柄を立てたいと思っている。高尾山を管轄する薬園奉行配下の担当者たちとは別に、将翁を防御するために腕のたつ配下の者を連れてきている。
さらに指示を受けて道中奉行が警戒に加わる。そのリーダーが篠崎瀬兵衛なのだ。この任務の意味がすっきりと呑み込めない故に、瀬兵衛はこの任務に就かされた配下の者たちのことを第一に考える。お庭番は瀬兵衛にとっても正体がつかめない不気味な存在に見える。
篠崎瀬兵衛は、平九郎にとって既に関りを持つ場面があった道中奉行である。第2作でその関りが生まれている。瀬兵衛は勘働きに優れ、記憶力や分析力に秀でた存在なのだ。敵に回せば手強い相手と言える。勿論、高尾山に瀬兵衛が敵側に居ることを、平九郎は知る由もない。
つまり、高尾山の隠し薬園を舞台に、三つ巴の争いになる状況が徐々に生み出されていく。その渦中で、平九郎たちは、体力の弱っている将翁をいかに高尾山から救出し、くらましを成功させる段取りにつなげていけるのか。
平九郎たちが、高尾山からまず将翁を救出するために仕掛けた作戦のトリックがやはり読ませどころとなっていく。
さらに、平九郎と謎の輩とが接触し、刃を交えねばならなくなる場面がやはり盛り上がる。見せ場と言えよう。併せて、瀬兵衛の行動も興味深い。
くらまし屋稼業シリーズ、第5章で、平九郎の過去の一端が回想として挿入される。平九郎の妻となった初音との出会いの回想である。読者にとっては、平九郎の過去が少し明らかになる点がうれしい。そこに、くらまし屋稼業をしている平九郎が時折思い出す言葉が記されている。
人に良くしていれば、必ず巡ってくるものです。 p239
この第3作、平九郎がぽつりと言う「出逢いと別れか」が末尾近くに出て来る。 p271
この言葉がこのストーリーのテーマになっている。
その後に「まだ終わっちゃいねえよ」 p271
これも平九郎の言である。そう、平九郎にはやるべきことがあるからだ。
このシリーズの次作はどういう進展をするのか。楽しめることだろう。
ご一読ありがとうございます。