6月に小説『天を測る』の読後印象を書いた。この歴史時代小説は、小野友五郎を主人公として、日米通商条約批准の遣米使節団の正使がポーハタン号に乗船して渡米する際に、咸臨丸が同航した。日本人の航海員だけで操船する咸臨丸に、天体観測により航路を定める航海士が小野友五郎だった。
本作は、井伊大老より永蟄居を言い渡されて自宅の居室で永井尚志が、太平洋を横断しアメリカに向かって出航した咸臨丸の姿を思い浮かべる場面で終わる。海防のためには艦船が必要であり、操船するには航海士を育成することが必須である。永井は長崎に伝習所を創設する準備をし、初代の伝習所総督となる。航海士育成に尽力した。その長崎伝習所第一期生の一人が小野友五郎である。
本作は、この永井尚志を登場人物の中核とし、単純化していえば、通商条約締結の結果、咸臨丸をアメリカに運航させる段階にまで至った時代を描き出した歴史時代小説である。攘夷思想が時とともに高揚していく時代の渦中で、日本国の将来を考えると、開国し通商により国を繁栄させていく選択肢しかないという結論に至り、そのために奮励し行動した一群の人々の物語である。
勿論、徳川幕府内には開国派と攘夷派が居て、老中が一枚岩であった訳ではない。黒船来航という外圧の下で、清国の状況を鑑み、海軍創設、開国と通商の必要性への思いを抱き、老中に働きかけ、苦心惨憺しつつ、各拠点地で通商条約締結への交渉担当者となって活躍したいわば中堅官僚の生きざまを描く。大変なプレッシャーだっただあろうと感じる一方で、時代と国を背負うというやりがいもあったのではないかと思う。
本書は、「小説すばる」(2023年5月号~2024年4月号)に連載された後、2024年8月に単行本が刊行された。
ストーリーは、主な登場人物の3人が、黒船来航の時勢話を交わしている場面から始まる。その3人の共通点は昌平黌(ショウヘイコウ)と呼ばれる昌平坂学問所の大試に合格した仲間という点にある。簡単なプロフィールを紹介しておこう。
永井尚志(岩之丞) 昌平黌甲科合格。大名の側室腹の生まれで、旗本永井家の養子。 38歳の折、目付に取り立てられ、海防掛(海岸防御御用掛)に指名される。
職務には外国との交渉が含まれていた。永井は長崎表取締御用として長崎へ。
出島のオランダ商館長クルチウスとの交渉担当に振られることが皮切りに。
岩瀬忠震(タダナリ) 昌平黌乙科合格。旗本設楽家の第三子。母方の岩瀬家の養子に。
永井は岩瀬には甲科合格の実力あり、その気がなかっただけとみる。頭が良い。
ペリーが浦賀に再来した1854年1月、海防掛目付を命じられる。ペリーとの交渉
に加わることを皮切りに。何を言っても人に嫌われない性格の人物。
御台場の建設、大砲の鋳造、大型船の製造にも関わっていく。
掘省之介 昌平黌乙科合格。堀の父は大目付。母は林述斎の娘。堀と岩瀬は従兄弟同士
二人より一足先に海防掛目付になっていた。蝦夷地の探索に赴く。帰路の矢先に、
函館奉行に任じられる。北の防御対策を推進することを皮切りに。
という形で、それぞれが外国との交渉の最前線に関わっていく。
本作は、徳川幕府が対応を迫られた諸外国との通商条約を成立させていく紆余曲折のプロセスを、実務に携わった彼ら3人の視点から織り上げていく。その中で、永井の活動を中軸に描きつつ、岩瀬・堀とのコミュニケーション、連携プレイが進展していく。当時の諸外国との条約交渉の状況がどういうものであったかということがイメージしやすくなった。コミュニケーションをするだけでも如何に大変かがよくわかる。
読ませどころは、やはり外国との交渉の実態描写にあると思う。
だが、諸外国との交渉に奔走した人々は、井伊大老の下で、左遷され罷免されていく。
最後に、日本史の年表からこの小説に関わる史実を抽出しておこう。
1853(嘉永6)年 6月 米使ペリー、艦隊を率いて浦賀に来航 7月 ロシア使節プチャーチン、長崎に来航
1854(嘉永7)年 1月 ペリー、再び来航
3月 日米和親条約(神奈川条約)
8月 日英和親条約
12月 日露和親条約
1857(安政4)年 5月 下田条約
1858(安政5)年 6月 日米修好通商条約調印
7月 オランダ・ロシア・イギリスと調印
9月 フランスと調印
尚、これらの通商条約の調印に、京の朝廷は許可を出していない。
この小説には触れらず、その一歩手前の時期で終わるのだが、安政5年9月には、井伊大老の下で、「安政の大獄」が実行される。本作はそういう時代状況を描き出している。
黒船来航から、諸外国と通商条約締結というステージに立ち至る我が国の状況を感じ取るには大いに役立つ歴史時代小説である。史実の読み解き方のおもしろさがここにはあると思う。
ご一読ありがとうございます。
補遺
永井尚志 :ウィキペディア
永井尚志 :「コトバンク」
長崎海軍伝習所初代総監理・永井尚志と岩之丞の追弔碑 :「墓守りたちが夢のあと」https://ameblo.jp/
岩瀬忠震 :ウィキペディア
岩瀬忠震 :「コトバンク」
岩瀬忠震宿所跡 :「フィールド・ミュージアム京都」
堀利煕 :ウィキペディア
堀利煕 :「コトバンク」
日米修好通商条約 :ウィキペディア
安政五カ国条約 :ウィキペディア
出島 ホームページ
出島 :ウィキペディア
浦賀 :ウィキペディア
函館奉行所 公式ウェブサイト
ネットに情報を掲載された皆様に感謝!
(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません
その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)
本作は、井伊大老より永蟄居を言い渡されて自宅の居室で永井尚志が、太平洋を横断しアメリカに向かって出航した咸臨丸の姿を思い浮かべる場面で終わる。海防のためには艦船が必要であり、操船するには航海士を育成することが必須である。永井は長崎に伝習所を創設する準備をし、初代の伝習所総督となる。航海士育成に尽力した。その長崎伝習所第一期生の一人が小野友五郎である。
本作は、この永井尚志を登場人物の中核とし、単純化していえば、通商条約締結の結果、咸臨丸をアメリカに運航させる段階にまで至った時代を描き出した歴史時代小説である。攘夷思想が時とともに高揚していく時代の渦中で、日本国の将来を考えると、開国し通商により国を繁栄させていく選択肢しかないという結論に至り、そのために奮励し行動した一群の人々の物語である。
勿論、徳川幕府内には開国派と攘夷派が居て、老中が一枚岩であった訳ではない。黒船来航という外圧の下で、清国の状況を鑑み、海軍創設、開国と通商の必要性への思いを抱き、老中に働きかけ、苦心惨憺しつつ、各拠点地で通商条約締結への交渉担当者となって活躍したいわば中堅官僚の生きざまを描く。大変なプレッシャーだっただあろうと感じる一方で、時代と国を背負うというやりがいもあったのではないかと思う。
本書は、「小説すばる」(2023年5月号~2024年4月号)に連載された後、2024年8月に単行本が刊行された。
ストーリーは、主な登場人物の3人が、黒船来航の時勢話を交わしている場面から始まる。その3人の共通点は昌平黌(ショウヘイコウ)と呼ばれる昌平坂学問所の大試に合格した仲間という点にある。簡単なプロフィールを紹介しておこう。
永井尚志(岩之丞) 昌平黌甲科合格。大名の側室腹の生まれで、旗本永井家の養子。 38歳の折、目付に取り立てられ、海防掛(海岸防御御用掛)に指名される。
職務には外国との交渉が含まれていた。永井は長崎表取締御用として長崎へ。
出島のオランダ商館長クルチウスとの交渉担当に振られることが皮切りに。
岩瀬忠震(タダナリ) 昌平黌乙科合格。旗本設楽家の第三子。母方の岩瀬家の養子に。
永井は岩瀬には甲科合格の実力あり、その気がなかっただけとみる。頭が良い。
ペリーが浦賀に再来した1854年1月、海防掛目付を命じられる。ペリーとの交渉
に加わることを皮切りに。何を言っても人に嫌われない性格の人物。
御台場の建設、大砲の鋳造、大型船の製造にも関わっていく。
掘省之介 昌平黌乙科合格。堀の父は大目付。母は林述斎の娘。堀と岩瀬は従兄弟同士
二人より一足先に海防掛目付になっていた。蝦夷地の探索に赴く。帰路の矢先に、
函館奉行に任じられる。北の防御対策を推進することを皮切りに。
という形で、それぞれが外国との交渉の最前線に関わっていく。
本作は、徳川幕府が対応を迫られた諸外国との通商条約を成立させていく紆余曲折のプロセスを、実務に携わった彼ら3人の視点から織り上げていく。その中で、永井の活動を中軸に描きつつ、岩瀬・堀とのコミュニケーション、連携プレイが進展していく。当時の諸外国との条約交渉の状況がどういうものであったかということがイメージしやすくなった。コミュニケーションをするだけでも如何に大変かがよくわかる。
読ませどころは、やはり外国との交渉の実態描写にあると思う。
だが、諸外国との交渉に奔走した人々は、井伊大老の下で、左遷され罷免されていく。
最後に、日本史の年表からこの小説に関わる史実を抽出しておこう。
1853(嘉永6)年 6月 米使ペリー、艦隊を率いて浦賀に来航 7月 ロシア使節プチャーチン、長崎に来航
1854(嘉永7)年 1月 ペリー、再び来航
3月 日米和親条約(神奈川条約)
8月 日英和親条約
12月 日露和親条約
1857(安政4)年 5月 下田条約
1858(安政5)年 6月 日米修好通商条約調印
7月 オランダ・ロシア・イギリスと調印
9月 フランスと調印
尚、これらの通商条約の調印に、京の朝廷は許可を出していない。
この小説には触れらず、その一歩手前の時期で終わるのだが、安政5年9月には、井伊大老の下で、「安政の大獄」が実行される。本作はそういう時代状況を描き出している。
黒船来航から、諸外国と通商条約締結というステージに立ち至る我が国の状況を感じ取るには大いに役立つ歴史時代小説である。史実の読み解き方のおもしろさがここにはあると思う。
ご一読ありがとうございます。
補遺
永井尚志 :ウィキペディア
永井尚志 :「コトバンク」
長崎海軍伝習所初代総監理・永井尚志と岩之丞の追弔碑 :「墓守りたちが夢のあと」https://ameblo.jp/
岩瀬忠震 :ウィキペディア
岩瀬忠震 :「コトバンク」
岩瀬忠震宿所跡 :「フィールド・ミュージアム京都」
堀利煕 :ウィキペディア
堀利煕 :「コトバンク」
日米修好通商条約 :ウィキペディア
安政五カ国条約 :ウィキペディア
出島 ホームページ
出島 :ウィキペディア
浦賀 :ウィキペディア
函館奉行所 公式ウェブサイト
ネットに情報を掲載された皆様に感謝!
(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません
その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)