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遊心逍遙記その2

ブログ「遊心逍遙記」から心機一転して、「遊心逍遙記その2」を開設します。主に読後印象記をまとめていきます。

『奇跡の人』  原田マハ  双葉文庫

2023-11-11 18:05:55 | 原田マハ
 著者の作品を読み継いでいる。本書のタイトルを見た時、ヘレン・ケラーの名を自動的に連想してしまった。そのヘレン・ケラーに関連した本だろうかと想像した。読み始めて、そうではないことに気づいたしかし、この小説は、和歌でいえば、本歌取りともいえる創作である。本書は、2014年10月に単行本が刊行された後、2018年1月に文庫化されている。
 「奇跡の人」という書名に添えて、「The Miracle Worker」と文庫の表紙に併記されている。

 読後に改めて少し調べてみた。ヘレン・ケラー(1880~1968)は2歳の時に、視力・聴力・話す力の三重障害者となった。そのヘレンに寄り添ってヘレンの才能を開花させる助力者となる人が、ヘレンの家庭教師アン・サリバン先生である。14歳のときに救貧院を出てパーキンス盲学校に進学し、首席で卒業。幼い頃に感染したトラコーマによる眼病で視力が悪化し、弱視の状態だったと言う。ヘレン・ケラーはアン・サリバン先生を生涯の友とし、後に、ハーバード大学では盲ろう者で初めての学位取得者。アメリカの女流の社会事業家・著述家となる。ヘレンは1903年に自伝を出版し、ヘレン・ケラーとアン・サリバンとの人生を公にした。この自伝を翻案し、ウィリアム・ギブソンが舞台劇『The Miracle Worker』を生み出し、同名の映画『The Miracle Worker』が制作され、世に流布して行った。日本では「The Miracle Worker」が「奇跡の人」と翻訳されることになる。
 ここで原題は直接にはアン・サリバンその人を意味するという。しかし、奇跡の人と翻訳されたことから、奇跡の人=ヘレン・ケラーという受け止め方が日本で一般的となるに至る。勿論、三重苦を克服して社会活動を推進する人となったヘレン・ケラーも奇跡の人なのだが。

 さて、本書はフィクションという形で舞台を日本に移して創作された『奇跡の人』である。このストーリーでは、全体の構成が入れ子構造に組み込まれている。目次を示すと一目瞭然といえる。
 昭和29年(1954)2月  青森県北津軽郡金木町
 明治20年(1887)4月  青森県東津軽郡青森町
 明治20年(1887)6月  青森県北津軽郡金木村
 昭和30年(1955)10月  東京都日比谷公園

 文化財保護法の規定はこれまで重要文化財指定であった。昭和29年にそれを改正して、重要無形文化財、今では通称<人間国宝>と称される稜域。文化財に相応しい人間を指定する領域を制定すべきだと奔走する人物が登場する。民俗学の権威、小野村寿夫は、この人間国宝の候補者として推奨したい人物に再会するために、ながらく重要文化財指定に携わってきた文部省の役人柴田雅晴と雪深く寒さの厳しい金木町を訪れる。この場面描写から始まる。
 小野村は柴田を同行し、三味線の弾き手で、目の見えない狼野キワを訪ねて行く。そして、三味線を弾かないと拒絶するキワに、柴田の前で三味線を弾かせようと試みる。その際、小野寺は、キワに、あなたの三味線を私に紹介して下さった人物は、生きておいでです。あの「奇跡の人」は、と告げる。
 これがエピローグであるとともに、時が明治に遡っていく契機となる。

 主な登場人物を読後印象を含めてご紹介する。
[去場 安(サリバ アン)]
 明治4年(1871)、岩倉使節団の欧米派遣の折に、安は女子留学生の一人として渡米。
 安は弱視だったが、黒田清隆の知遇を得ていた父の命を受け、弱視を秘密にして9歳の折りに留学生に加わる。13年間をアメリカで過ごし、当時の女子がアメリカで受けられる最高級の教育を受けた。明治17年、22歳で帰国し、日本の女子教育の領域で活躍できる場を模索する。
 その安が伊藤博文から青森県の弘前での一人の少女の教育を引き受けてもらえないかという手紙を受け取る。その少女は、現在6歳。盲目で、耳が聞こえず、口が利けないと記されていた。安はこの依頼を引き受けり決断をする。弘前に赴く。
 上野から黒磯までは汽車が通っていたが、そこから弘前までは乗り合い馬車の乗り継ぎという時代である。まず安の決意に引き付けられるところから始まる。

[介良(ケラ)れん]
 長女。6歳。生後11ヵ月で大病を煩った結果、三重の障害者となる。
 大きな屋敷の奥まった位置にある蔵に、半ば閉じ込められ隔離された形で生活する。女中たちからも「けものの子」と呼ばれる形で扱われている日常だった。その扱われ方も、動物と同様の扱い。蔵の中は、乱雑そのもの。手づかみで物を食べ、あちこちに垂れ流す。時に叫び、暴れ回るという状態。女中たちから虐待も受ける。
 読み進めるにつれて、れんの生活環境のすさまじさと安の取り組み姿勢が、このストーリーへの感情移入を促進していくことになる。

[介良貞彦]
 れんの父親。弘前の名家の家長。男爵。貞彦はいずれ政界への進出を考慮している。
 三十苦の娘をこのまま生かしていいのかどうか、私にはわからないと安に言う。
 れんと一緒に食事することはあり得ない。想像するのも不愉快とすら語る。
 貞彦の望みは、れんに人間らしくなってほしいという一点だけだと、安は認識する。
 介良貞彦の言動から明治時代における名家と呼ばれる家の家父長制の状況を感じ取れる。一家の中で絶対的な権力者なのだ。家長であるれんの父貞彦への安の対応が興味深い。安は己の信念を崩さずに突き進む。読者として一層感情移入していくことになる。

[介良よし]
 れんの母。夫貞彦の方針の下で、何も言えない立場。れんが不憫であり、愛情を注ぎたくても、対処の仕方もわからず、懊悩しつづける存在。専ら安に期待を抱く。

[介良恒彦]
 介良家の長男。21歳。東北きっての権勢を誇る介良家の嫡男であるが、れんのうわさがもれ伝わっていることから、縁談話が悉く破断となっている。れんの存在が己の人生の障壁になっていると感じていて、憎しみすら抱く心境に居る。「妹がせめて口でもきけるようになってくれねば、私は一生妻を娶ることもかなわぬでしょう」と初対面の安に語る。

[ハル]
 安が介良家に着いた後、安の世話係に指名された介良家の女中。安の世話をし、安の手足ともなって行く女中。れんの教育に関連して安にあるアイデアをも語るようになる。。 安はハルを頼りにしていたが、思わぬ恐ろしい事件の発生後、ハルは辞めていくことになる。

[ヒサ]
 高木村にある別邸を維持管理する女中。別邸での安がれんに教育するプロセスを見守り、協力する。

 このストーリー、安が女中を含めて介良家でけものの子と蔑まれているれんを、さまざまな軋轢の中でどのように人間として教育していくかのプロセスを描き出す。安はれんの生活環境を変革しつつ、れんと一緒に生活する。安は教育目標を立て、試行錯誤と悪戦苦闘を繰り返しながら、れんの教育を一歩一歩着実に進めようとする。時には事態が揺り戻され、元の黙阿弥に近くなることすらある。読者はこのプロセスに引きこまれ感情移入していくことだろう。まさに、私はそうなった。涙する場面がいくつか重なっていくとだけ述べておこう。

 安のれんに対する教育環境は二転する。その内の最初の段階と場所を変える二段階目がこのストーリーのメインになる。一転する前に、れんへの教育が座礁しかける危機に遭遇することにもふれておこう。
 第一段階は、介良家の蔵での教育プロセス。一転しての第二段階は金木村にある介良家の別邸での教育プロセスである。さらに二転して、安とれんは介良家の本邸に戻ることになる。戻った初日の劇的な場面でこのストーリーはエンディングとなる。
 金木村の別邸で安が実行するれんに対する教育プロセスの中で、少女の頃の狼野キワが、れんと関わりをもつ一時期が生まれる。当時10歳のキワは、津軽地方ではボサマと称される門付け芸人の子として、別邸の前で三味線を弾き歌を歌うことにより、れんと安の二人に出会う。それがはじまりだった。それからの進展は本書をお読みいただきたい。

 安がれんの教育目標を当初順次どこに設定していったかに触れておこう。
1.「はい」と「いいえ」、「ある」と「ない」の概念を理解させる。
2.「やっていいこと」「悪いこと」を徹底的に教え込む。
3. この世のすべての物には言葉があり、意味をもつことを知らせる。
 
 れんの母よしと安とのやりとりで、こんな会話を交わす時がある。
 「なぜ、先生は、そんなに、あの子を信じてくださるのでしょうか・・・・」
 「わたしにはわかるのです」
 「れんは、不可能を可能にする人。・・・・・奇跡の人なのです」    p164-165
著者は、れんを「奇跡の人」と母のよしに答えている。本書のタイトルでは、れんその人をさしていることになる。

 ご一読ありがとうございます。


補遺
ヘレン・ケラー  :ウィキペディア
ヘレン・ケラーの生涯 :「東京ヘレン・ケラー協会」
アン・サリヴァン :ウィキペディア
偉大な家庭教師アン・サリバンが求めたもの:「ハートネット」(NHK)
社会活動家 アン・サリバン :「OZYO オージオ」
「ヘレン・ケラーはどう教育されたか」-サリバン先生の記録-  :「カニジル」
人間国宝      :ウィキペディア
津軽じょんから節  :ウィキペデキア
津軽三味線 高橋祐 津軽じょんがら節 イタリア公演  YouTube
津軽三味線組曲  高橋竹山  YouTube

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『20 CONTACTS 消えない星々との短い接触』  原田マハ  幻冬舎

2023-07-05 15:32:17 | 原田マハ
 タイトルの 20 CONTACTS という文字列が目に止まり本書を手にした。そして、まず知ったことがいくつかある。ICOMと略称される International Council Museums (国際博物館会議)という国際会議が存在すること。2019年にICOM京都大会が開催されたこと。このとき、記念として「CONTACT つなぐ・むすぶ 日本と世界のアート展」が清水寺を展示場所として会期9月1日から8日までの8日間で開催されたということ。不敏にして当時この展覧会情報を全く知らなかった。本書の末尾で、著者がその総合ディレクターとなっていたこと。そして、この作品は、その展覧会とリンクする形で創作されたということである。
 本書は書き下ろしであり、2019年8月に単行本が刊行された。2021年8月に文庫化されている。
  文庫表紙

 この展覧会企画において、コーキュレーターとなった林寿美さん(インディペンデント・キュレーター)がこの単行本に「解説」を書いている。それによると、「展覧会場となる清水寺では、作品をただ鑑賞してもらうのではなく、来場者に、本書に収録された物語(一部)を掲載したタブロイド紙が手渡されることになった」(p207)そうだ。鑑賞機会を逸して残念!!

 「はじまり」のスタイルが特異である。とある雑居ビルの3階にある著者の事務所に一通の手紙が届く。それは私(著者)が私に出した万年筆書きの分厚い封書で、まずその内容に目を通すところから始まる。その中で、ICOMがどのような国際機関であるかということと、「CONTACT つなぐ・むすぶ 日本と世界のアート展」の企画が登場する。そして、著者は挑戦状という形で、ミッションを受け取ることになるという次第。
 この展覧会には世界から30人のアーティストの作品が展示される。そこには美術家ではないアーティストも含まれる。「これらの巨匠たちは、西洋の美術をよく知り、芸術を深く愛し、かつ、世界じゅうにファンが存在する。そして彼らの肉筆原稿や資料はユニークであり、高い芸術性をもつ、ゆえに、”アーティスト”と呼称することができる。そういう理由でこの展覧会の参加アーティストに列せられているのだ」(p16)
 そのうち、20人が物故作家である。
 
 著者のミッションは、この物故作家20人と順に面会し、「必ず手土産を持参し、礼儀を尽くす」。そしてインタビューする。「質問はひとつ、ないしはふたつとする」という条件がつく。そして、「インタビューのプロセスと内容をまとめ、掌編小説にする」「一編につき、3000字~3500字とする」というのが主な設定条件となる。勿論、〆切りが設定されている。
 つまり、この作品は物故アーティスト20人とのインタビュープロセスと内容を綴った掌編小説作品集である。
 「消えない星々」というのは、ここに取り上げられたアーティストたちを指している。20 contacts <接触 コンタクト>とは、著者のインタビューによる面談の場数をさす。
 1番目から20番目までのコンタクトが目次となっている。各コンタクトには、タイトル名称があり、アーティストの名前が記されている。その右に多少付記する。なぜなら、私自身が本書で初めて目にするアーティストも若干含まれていたから。それ自体が私には一種の刺激材にもなった。

 いのくまさん     猪熊弦一郎         :画家
 曲がった木      ポール・セザンヌ      :画家、モダン・アートの巨匠
 雨上がりの空を映して ルーシー・リー       :陶芸家
 ちょうどいいとこ   黒澤明           :映画監督
 擬態         アルベルト・ジャコメッティ :彫刻家、現代彫刻の巨匠
 樂園         アンリ・マティス      :画家、「色彩の魔術師」
 背中         川端康成          :小説家、ノーベル賞受賞
 冥土の土産      司馬江漢          :絵描きで博物学者
 パリ祭        シャルロット・ペリアン   :家具のデザイナー
 大きな手       バーナード・リーチ     :陶芸家、10年余日本に滞在
 育ち盛り       濱田庄司          :陶芸家、人間国宝に
 垣の花        河井寛次郎         :陶芸家、日本民藝運動に与す
 歓喜の歌       棟方志功          :版画家、板画・板業と称す
 サフィア       手塚治虫          :漫画家、「マンガの神様」
 ピカレスク      オーブリー・ビアズリー   :挿絵画家、ペン画
 発熱         ヨーゼフ・ボイス      :アーティスト
 秋日和        小津安二郎         :映画監督
 緑響く        東山魁夷          :画家
 汽笛         宮沢賢治          :童話作家、詩人
 希望         フィンセント・ファン・ゴッホ:画家、印象派の一人

 本書から逸れるが、2019年時点で現在活躍中のアーティストとしてこの展覧会に参加した作家名も「はじまり」に出てくる。名前を列挙しておこう。そこには大家も新進気鋭も含まれるという。
  加藤泉/ゲハルト・リヒター/ミヒャエル・ボレマンス/三嶋りつ恵
  三島喜美代/荒木悠/杉本博司/森村泰昌/山田洋次/竹宮惠子
こちらも、私には大半が初めて目にする名前・・・嗚呼! 視野を広げなくっちゃ! 自己への課題が残ったという次第。

 掌編小説なので、一編が8~9ページというショート・ショートな短編集である。
 読後印象総論として、箇条書きで感想を記してみる。
*アーティストの一側面(局面)に焦点が絞り込まれて、きらりと光る一文に結晶化されていく。その切り出し方が新鮮!
*読むにつれ、著者がアーティストに何を手土産に持参するのか、楽しみになっていく。
 その手土産がアーティストの一面を語ることにつながっているのだからおもしろい。
*アーティストに面会するまでのプロセスがマンネリ化することなく、毎回工夫が加わったアプローチになっていて、読者をあきさせる事はない。
*少しは知っているアーティストについても、この掌編小説で、あらたな側面(局面)を知る/学ぶ機会になって、興味が増した。
*アーティストを主題にしたこの掌編小説作品集は、その中で今まで<接触>の機会あるいは意識がなかったアーティスト名との出会いのチャンスとなった。私にとっては、それがもう一つの副産物である。知的好奇心への刺激剤となった。
 覚書として、新たな邂逅、関心への起点として知り得たアーティスト名等を列挙する。
   宗紫石/アントワーヌ・ヴァトー/前川國男/坂倉準三/ピエール・ジャンヌレ
   柳宗理/小野忠明/鈴木伸一/森安なおや/よこたとくお/水野英子/向さすけ
   山内ジョージ/薗山俊二/つげ義治/つのだじろう/ユイスマンス/川久保玲
   ジェームズ・マクニール・ホイッスラー/エドワード・バーン=ジョーンズ
   ヴィルヘルム・レームブルック/東野芳明/エミール・ベルナール
*物故アーティストとのインタビュー。時空を超えたこのフィクションは、まさに今、ここで生身のアーティストと著者が面談しているように生き生きとした情景を感じさせる。読んでいて少し軽やかなタッチすら感じさせるところが楽しさにつながっている。
*アーティストたちの素顔に肉迫し、身近に感じさせる描写がじつに巧みである。

 気軽に次々と読ませる掌編小説集になっている。
 ご一読ありがとうございます。

補遺
ICOM京都大会2019 :「ICOM」
丸亀市猪熊弦一郎美術館 MIMOCA ホームページ
上野駅に猪熊弦一郎の作品が設置されている理由は?中央改札口の壁画の魅力を探る
                      :「藝大アートプラザ」
猪熊弦一郎《自由》──平和への扉「古野華奈子」 影山幸一 :「artscape」
ルーシー・リー  :ウィキペディア
モダニズムの陶芸家 ルーシー・リー  :「WELL」
ジャルディーニ=ナクソス :ウィキペディア
ヴェネチア・ビエンナーレ日記<ジャルディーニ編> 神出鬼没のクロアチア館を目撃、展示に難ありの「魔女のゆりかご」  :「ARTnews JAPAN」
建築家・吉阪隆正の多岐にわたる仕事の全体像に迫る。「吉阪隆正展 ひげから地球へ、パノラみる」が東京都現代美術館で開催  :「美術手帖」
ジャコメッティと哲学者・矢内原伊作の関係性に迫る。国立国際美術館で《ヤナイハラ Ⅰ》の収蔵を記念する特集展示が開催  :「美術手帖」
ジャコメッティと矢内原伊作が作り上げたもの。|鈴木芳雄「本と展覧会」:「Casa」
嵯峨面 :「工美まつもと」
生命を吹き込まれた民芸品「嵯峨面」 :「東山見聞録 2013冬号」

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