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遊心逍遙記その2

ブログ「遊心逍遙記」から心機一転して、「遊心逍遙記その2」を開設します。主に読後印象記をまとめていきます。

『道長ものがたり 「我が世の望月」とは何だったのか-』 山本淳子 朝日選書

2024-01-26 21:34:55 | 源氏物語関連
 此の世をば 我が世とぞ思ふ 望月の 欠けたる事も 無しと思へば

 藤原道長が全盛の時期に詠んだ歌。望月は満月のこと。私は道長がまさに満月の夜に己の境地を満月に喩えて高らかに詠んだ歌だと思っていた。
 ここしばらく、地元の源氏物語ミュージアムが企画する源氏物語の連続講座を、地の利を生かして毎年受講してきている。その講座のなかで、著者が講師として登壇される機会がある。その際のある講義の途中で、道長が「我が世の望月」を歌ったのは、満月の夜ではなく十六日であり、自然現象としての空の月は欠けていたのです。ではなぜ、歌に望月と詠んだのか。その点について今考えをまとめているところですと触れられたことがあった。それが気になっていた。新聞広告で本書の出版、副題に「我が世の望月」とは何だったのかとあるのを読み、気になっていた事項が語られているかも・・・と思い、早速読んだ。私の関心事項は、第12章「我が世の望月」と題して、論じられている。関心事項についの読み解き方を、なるほどと理解できて、過年度より持ち越していた疑問が解けた。

 本書の位置づけは著者が「あとがき」で明記されている。最初にその点をご紹介しておこう。本書のタイトルを「道長ものがたり」とされている。読み始めると、史実だけに基づいた藤原道長伝記とも評論とも少し違うな・・・ということを感じ始めた。歴史物語とされる『大鏡』や『栄花物語』に描かれた道長等についての一節が随時引用され、著者の読み解きが加えられて行く。著者は、幸運ともてはやされた道長の内心は、幸せに満ちていたのかどうか、どうだったのか。この疑問を抱いていたと言う。それゆえ「本書で道長の心を辿ろうと思った」(o290)と語る。そして、「本書のタイトルを『道長ものがたり』としたのも、ゴールに置いたのが史実よりも彼の心であることによる。読者の方々にも、物語を読むように、彼の心に寄り添ってほしいと考えたのだ。」(p291)と。 さらに、その続きに以下の文が続く。
「結果として、従来彼がまといがちであった『傲慢な権力者』の顔一辺倒ではなく、怨霊におびえ、病気に苦しみ、身内の不幸に泣くという弱い部分も分かってもらえたと思う」(p291)と。つまり、政治家道長が何をなし、どのように権謀術数を働かせたのかは、道長を知るための重要な側面である。一方、コインの両面として、源倫子を正妻とし、源明子も妻にして、数多くの娘・息子を持つ生活者としての道長の側面がある。この側面をパラレルに描き出すことで、道長という人物をトータルにとらえた上で、彼の心理心情に迫ろうとしている。様々なエピソードが史実・物語の両面から捕らえ直す形で織り込まれていくので、読みやすい。要所要所で系図が掲載されているので、その時点時点での人間関係がわかりやすい。系図による図解のメリットが発揮されている。

 政治家道長、生活者道長の両面は、本書の構成をご紹介すれば、少しイメージしやすくなると思う。
[第一章 超常的「幸ひ」の人・道長]
 道長30歳で公卿の時に、長兄・道隆と次兄・道家が病死し、上席公卿たちも同時期に流行の疫病で死亡が相次ぐ。道隆の息子で道長のライバルであった伊週(コレチカ)は自滅の道を歩む。結果的に権力の座が道長に転がり込んでくる。道長は強運の持ち主だった。この点がまず押さえられる。だが、その一方で、道長が源雅信の女倫子を妻にし、倫子という同志を得ていた側面を著者は重視する。まずは雅信のバックアップという点を押せている。
 平安時代の言葉では強運を「幸い」と呼んだという。
「あとがき」を読むと、著者はこの「幸い」について、次のように述べている。
「<幸い>は、幸せとは一致しないのである。<幸ひ>は結婚、出産、あるいは仕事など、世俗的で目に見える事柄に関わり、あくまでも世間が認めるような外見の幸運を言うに過ぎない」(p290)と。この第一章では、他人から眺めた道長の外見的な強運をまずとらえている。

[第二章 道長は「棚から牡丹餅」か?]
 長兄・道隆が娘の定子を一条天皇の中宮とした時期に、道長は中宮大夫という定子の事務方長官の職にあったという。本書で初めて当時の道長の位置を知った。この章では道長が虎視眈々と雌伏する時期の様子が簡潔に語られていく。政治家道長の一面がイメージできる。
 
[第三章 <疫>という僥倖]
 長兄・道隆一家、つまり中関白家と定子の栄華の状況を語り、一方、一条天皇の母后であり実姉である女院・詮子に頼る道長の状況を描写する。道長は中関白家と距離を取り続ける。道隆の持病・飲水病と疫の流行が、道長に強運をもたらす。
 裏付ける史料がない部分は、『大鏡』の引用と推測とにより、道長の内心を著者は語っていく。そこに「道長ものがたり」と題する所以があるといえよう。

[第四章 中関白家の自滅]
 中関白家の自滅が、結果的に道長が政治家として汚れ役や重責・秘密を背負う立場になっていかざるをえない場に置かれたと著者は語る。「道長はずっとクリーンでスマートな貴公子で、道兼のように修羅場をかいくぐった経験があるようには思えない」(p72)とそれまでの道長について要約する。道長にとり道兼は次兄であり、父・道家のために修羅場をかいくぐてきた人。その道兼もまた長徳元年に病死したのだ。
 道長は政治家へと変容していく。著者は「道長は中関白家の失脚を見越して、確信犯的に手を下した。自らの権力保持のために政治の泥に手を染めたのである」(p87)という。それが「長徳の政変」だったと。
 この頃から道長にとって「生涯悩ませることになる多種多様な病悩の始まり」(p87)を迎えるというのは皮肉なことでもある。生活者としての道長を知る上で、実に興味深い。

[第五章 栄華と恐怖]
 この章で、著者は重要な点を指摘している。一つは紫式部の歌を冒頭に掲げて、その説明の中で紫式部の考えとして指摘していることである。
「怨霊はむしろ自身の内にある。人が疑心暗鬼を抱く限り、怨霊はそこかに生まれる。自らの恐怖心が自分を蝕むというこのシステムからは、誰も逃れられないのである」(p89)
 また、道長は病気がたび重なり、長徳4年(998)には出家願望から辞表を一条天皇に提出したという。道長のこういう側面を初めて知った。著者はその道長を支えたのは家族であると記す。その上で、
「道長は自分と家族のためだと信じれば、ひどく冷酷になることができた。そのやり方は、時にいささか感情的に過ぎると思えるほどである。最初にその標的になったのは姪の中宮定子。道長にとって彼女は、入内を前にした彰子の前に立ち塞がる、目障りな敵だった」(p100)と。定子を排除するために、いじめる立場を貫いていくのだ。
 さらに、「つまるところ、人生に何を求めるか。その根源的な願いの点で、道長と一条天皇とはすれ違っていた」(p106)点を、明らかにしている。

[第六章 怨霊あらわる]
 「幼き人」彰子の入内と中宮定子の出産。第一皇子の誕生である。道長が「二后冊立」に動いた状況とその背景が語られる。
 そして、彰子が中宮になった2ヶ月後に、道長が邪気に憑かれたという。こういう類いの史実は初めて知った。この時も、道長は辞表を提出したとか。

[第七章 『源氏物語』登場]
 出家後一条天皇に呼び戻された中宮定子は、第三子を出産するが難産により非業の死を遂げた。中宮定子の死後、出家し青年貴族たちがいた。清少納言筆の『枕草子』は定子を美化した。『枕草子』は当時の貴族たちにとり癒やしになる側面があったようだ。それに対抗する形で、『源氏物語』が道長により公に登場する場が生み出される。こういう読み解きの視点を本書で知った。紫式部の登場となる。
 もう一つ、『源氏物語』には定子をモデルにした側面も含まれている。この側面への危惧に対して、「学問好きな一条天皇は儒教精神を理想とし、諷喩という文学の方法についていも知っていた。それどころか、臣下には自分を諷喩する詩文を作るように求めるほどだった」(p147)との読み解きがされていて興味深い。

[第八章 産声]
 道長邸である「土御門殿」での彰子の出産。その状況と道長がその折、どのような行動をとったのかが、詳細に描写されていく。「物の怪調伏班」がどのように編成され、どのようなことをおこなったのか。具体的な描写がおもしろい。
 道長がどれだけ怨霊を恐れていたかがよくわかる。そのために道長が相当な資金を使っていることも推測できる。

[第九章 紫式部「御堂関白道長の妾?」]
 この『道長ものがたり』の章立ての中でも、一番読者の興味を惹きつける箇所ではないかと思う。生前の瀬戸内寂聴尼から直接うかがった説も紹介しつつ、著者の見解が展開されている。
 紫式部が『紫式部日記』に記すことと、『紫式部集』に記すこととの間には、ニュアンスが異なると著者は指摘する。その上で、著者の見方が述べられている。お楽しみに。
 
[第十章 主張する女たち]
 平安時代の女性は男の言いなりになっていただけではない。自己を主張した女性たちがいたことを著者は重要な点として押さえている。道長との関係でいえば、正妻となった源倫子がまさに主張する女性だったという。それ故に、第一章で「源倫子という同志」という小見出しも出てくるのだろう。
 それと、入内以降耐え続けていた彰子が父とは一線を画する<主張する中宮>への変貌を採りあげている。この点も中宮彰子を理解するのに役立つ。
 一条天皇の辞世の和歌の解釈、及び、葬儀について、「土葬か、火葬か」という方法についての背景と経緯の説明は、彰子、道長を知る上で読ませどころになっていると思う。研究者たちの定説を踏まえているのか、著者独自の見解なのかは知らない。こういう箇所にも、人の心の動きを知る上で一考の余地があることに気づかされた。

[第十一章 最後の闘い]
 新帝・三条天皇の即位は既定の方向であった。それを受け入れた上で、政治家道長が彰子の生んだ第一の皇子を天皇にするために、三条天皇との間でどのように最後の闘いを進めて行ったのか。その背景事情がよく分かる。
 三条天皇は一条天皇の在位期間が長かったので、春宮(居貞親王)としての期間が長かった。春宮の時に、道長の父・兼家の娘、綏子が入内している。道長にとっては腹違いの妹にあたる。綏子にまつわるエピソードも紹介されている。道長の扱い方がよく分かる。

[第十二章 「我が世の望月」]
 この章で採りあげられる「望月」についての読み解き方が、冒頭で触れたように私の一番の関心事だった。
 道長の和歌を聞いた藤原実資の態度と行動は、以前にどこかで読んで知っていた。しかし、この和歌の背景にある意味合いまでは深く考えていなかった。本章を読んで一歩深く歌意を理解できた気がする。この章もまた、お楽しみいただきたい。

[第十三章 雲隠れ]
 著者は、小一条院(敦明親王)の女御・延子と彼女の父・藤原顕光の死、さらには道長の明子腹の長女で、敦明親王の女御になった寬子の死、加えて、道長の四女で敦良親王との間の子を出産した後に死ぬ嬉子について、次々と語っていく。その先で、道長自身が死を迎える状況を記す。「実際には、その死は凄絶だった」(p284)という。史料に基づき具体的な事実が記されている。
 著者は、「『源氏物語』の主人公・光源氏のモデルの一人は、藤原道長だろうと言われる」(p263)という見方を道長の死と重ねている。そして、最後に、『栄花物語』における道長の死についての記述を紹介しているところがおもしろい。

 本書は、己の死期を悟った道長が長女の上東門院・彰子に送った一首で締めくくられている。最後にこの歌をご紹介しよう。

 言の葉も 絶えぬべきかな 世の中に 頼む方なき もみぢ葉の身は

 道長という人物にさらに興味が湧いてきた。
 NHK大河ドラマ「光る君へ」の中で、道長がどのような人物として登場するのか、楽しみでもある。

 ご一読ありがとうございます。


『芸術新潮 12』 特集 21世紀のための源氏物語   新潮社

2023-12-08 17:22:09 | 源氏物語関連
 新聞広告でこの特集のことを知り読んだ。2023年11月25日に発売された第74巻第12号。
 月刊誌の特集であり、実質74ページのボリューム。『源氏物語』に関心を抱き、本を折々に読み継いでいるので、「21世紀のための」というキャッチフレーズに興味を抱いたことによる。

 最初にこの特集の構成をご紹介しておこう。
 Ⅰ はじめての源氏物語  
   大塚ひかりさんの総論解説: 総説のあとに三章だてでの解説が続く
   編集部による『源氏物語』超あらすじ
   And More として、大塚ひかりさんの「ものがたり世界を身体測定する」という文
 Ⅱ 源氏絵ギャラリー  
   佐野みどりさんの解説。6つの観点から構成されている。
   [コラム]マンガになった源氏物語  漫画の実例を載せ、大塚ひかりさんの文
 Ⅲ 「紫式部」の誕生  
   国文学者・三田村雅子さんによる解説文
   「関連ドラマ・展覧会案内」を末尾に1ページ掲載
と、全体は3部構成になっている。

 雑誌の主旨に相応しく、第Ⅱ部では、誌上ギャラリーとして、源氏絵が数多くフルカラー写真の大きな図版で紹介されている。源氏絵に特化した本を別にすれば、多くの源氏物語関連書籍ではモノクロ写真、小さな図版での紹介掲載が多いので、この点大いに楽しめる。雑誌の表紙の源氏絵は、73ページに掲載されている。≪源氏物語画帖≫(重文、京都国立博物館蔵)に載る、土佐光吉筆「花宴」。この源氏絵へのキャプションが「光源氏と朧月夜のボーイ・ミーツ・ガール場面」。この付け方も21世紀風なのかもしれない。

 特集の冒頭は、見開きページを使い、≪源氏物語絵巻≫の「鈴虫 二」(国宝、五島美術館蔵)の部分図を背景に、デンと特集のタイトルが記されている。それに続く3行の文が、この特集の主旨を明示している。引用しよう。
「はるか千年の昔、爛熟した貴族社会を背景に、女性の視点で紡がれた物語が、時代を超え、文化の違い、性の違いを越えて感動を与え続けるのはなぜか。#Me Too と疫病(コロナ)の現在に、改めてそのラディカルな魅力に向き合う」(p22)
 そして、第Ⅰ部には、大塚ひかりさんの総論解説の前に、次のメッセージが記されている。紫式部が『源氏物語』で追求したのは、「リアルな人間世界の喜びと悲しみ、陶酔と不安、祈りと嫉妬だった・・・・」(p24)と。

 この特集では、この物語が千年余の命脈を保ち続けてきたのは、紫式部が物語という形を介して、リアルな人間世界を描き出した。その視点に、当時の時代背景を超えるラディカルな問題意識が内包されていた。そこに読者が感動する根源があるということなのだろう。その一つの読み解き方がここにあるということだ。
「21世紀人のための、21世紀の源氏物語へとご案内します」(p24)のメッセージが末尾の文である。「21世紀のための源氏物語」というタイトルは、現在の若者層を直接的に読者ターゲットにした意味合いだと解る。コラムとして「マンガになった源氏物語」が論じられている。紫式部についての4コママンガが第Ⅲ部で4編併載されているのも頷ける。

 第Ⅰ部の「はじめての源氏物語」の総論解説は実にわかりやすい。たとえば、以下の論点などを含めて、論じられていく。
*『源氏物語』は、それまでの物語がオンナ子どもの慰み物だったことに対しオトナの物語に転換させた。失敗もする等身大の人間をリアルに描き出し、物語の可能性を切り開いた。
*『源氏物語』は、ほとんどいわゆる「不倫」の性愛を描き出していると断じる。その上で、「・・・男にとっては悲恋で、女にとっては虐待かもしれない・・・」(p33)という視点を持ち込む。
*源氏の選ぶ女は弱い立場の格下ばかりで、それは「作者が源氏に天皇のような暮らしをさせたかったからだ」(p35)と論じている点も、興味深い。
*著者は「現代的な視点で見れば」という立脚点を明確にした上で、『源氏物語』を論じている。その結果『源氏物語』に登場する男は、サイテー男ばかりという解説になる。
この視点からとらえればナルホドと思うところが多かった。

 「『源氏物語』超あらすじ」は、本当にざっくりと各帖の大筋がまとめられている。
これから『源氏物語』を読もうとする人には、ごく大括りでストーリー全体のイメージを形成できる。イラストや系図を挿入しながら、7ページであらすじがまとめられている。
まさに超あらすじである。

 「ものがたり世界を身体測定する」という文は、私にはタイトルに使われた「測定」という言葉の使用が今ひとつしっくりとしない。ただこの文の意図するところは興味深い。『源氏物語』に登場する女たちを、「メインの女君たち/ブスヒロインたち/肉欲の対象/奪われる女/八の宮三姉妹」という区分のもとに、具体的な身体描写がどのようになされているかを抽出して、論じている。『源氏物語』を通読しているが、こういう視点で突っ込んで考えたことがなかった。著者は、『源氏物語』の当時の「見る」という言葉のニュアンスを説明した上で、『源氏物語』の身体描写はセックス描写に近いと言う。
 さらに、「男たちを比較する」「似ない親子」「宇治十帖 二大貴公子の対照性」という見出しで、身体描写を論じていく。しっかりと論じられていておもしろかった。

 「源氏絵ギャラリー」は、Q&Aの形式で、源氏絵が解説されていく。取り上げられた源氏絵の名称を挙げておこう。一部または全部の大きな図版が掲載されている。
土佐光元筆≪紫式部石山詣図≫(宮内庁書陵部蔵)、≪車争図屏風≫(京都・仁和寺蔵)、狩野山楽筆≪車争図屏風≫(東京国立博物館蔵)、≪源氏物語絵巻≫(德川美術館蔵/五島美術舘蔵)、土佐光吉筆≪源氏物語画帖≫(京都国立博物館蔵)、伝花屋玉栄筆≪白描源氏物語絵巻≫(スペンサー・コレクション)、岩佐又兵衛筆≪野々宮図≫(出光美術館蔵)、山本春正文・絵≪絵入源氏物語≫(国文学研究資料館蔵)、≪盛安本源氏物語絵巻≫(スペンサー・コレクション)。

 源氏絵には女性が登場せず、全員男性が描かれたものもあるということを、ここで知った。≪源氏物語図屏風≫(今治市河野美術館蔵)である。「そもそも源氏絵制作の主体はほぼ男性のエリートたちでした。・・・彼らが『源氏物語』に象徴される古典古代の文化的力をいかに利用しようとしたか、その価値をどのように再配置したかという問題への視点が欠かせません。・・・・女嫌いの源氏絵が出現する背景には、そうした歴史的な文脈があるのです」(p77)という解説が加えられている。私には新たな視点となった。

 第Ⅲ部では、≪紫式部日記絵巻≫(国宝、五島美術館蔵)の一部と伊野孝行画の4コママンガを併載しつつ、「紫式部」という物語作家がどのようにして生まれたかが明らかにされていく。なお冒頭に、ここ数十年は紫式部の伝記研究は停滞期にあると述べられている。
 待望の皇子を産んだ中宮彰子が内裏に戻る際に、源氏物語の豪華装丁、豪華筆者による新写本を土産物にした望み、紫式部が総監督的な役割を果たし、写本作成の紙を初めとする材料を藤原道長が提供したことは知っていた。道長は喜んで協力していたものと理解していたのだが、著者によると真逆だったそうだ。「道長はこの企画そのものに賛成できなかったらしく、『物陰に隠れてこんな大層なことをしでかして』と紫式部を非難し、嫌味を言いつつ、中宮のためにやむなく協力していたとある。この作業用に道長が提供した硯まで、みな彰子が紫式部に与えてしまったことに憤慨しているようすも明らかである」(p92-93)こんなエピソードは初めて知った。新たな学び。この状況の見方がまた変わる。一方で、この豪華写本作成が、『源氏物語』の存在を確たるものにしたのは頷ける。
 「物語作者としての栄華の頂点で激しい疎外感に苛まれている紫式部がここにいるのである」(p93)という説明は印象的だった。
 『源氏物語』と紫式部の研究にも時代の波と変遷があることの一端がわかり、おもしろい。

 『源氏物語』への入門ガイドとしては読みやすい特集になっていると思う。
 やはり、『源氏物語』は様々な読み方ができるようで奥深い。だからこそ、時代を超えて読み継がれる古典たり得ているのだろう。

 ご一読ありがとうございます。



『源氏物語』  秋山 虔   岩波新書

2023-09-16 19:01:07 | 源氏物語関連
 著者が編者の一人である『源氏物語図典』(小学館)と『源氏物語必携事典』(角川書店)は、身近な書棚にあり事有るごとに参照してきている。掲題の本は何時購入したのか記憶がないほど以前から、本箱に眠っていた。奥書を見ると、1968年1月に第1版が刊行され、手許の本は1994年6月第39刷である。源氏物語関連ではロングセラーの1冊だろう。調べてみると、著者は2015年11月に91歳で逝去されていた。合掌。

 本書は、源氏物語全帖の概説を主軸にしながら、1967年当時までの学会における源氏物語研究の成果や論点を踏まえて、研究者視点での論点提示と読み解きが加えられている。第1版が出版されてから、55年の歳月が経過しているので、研究者視点の論点を含め、本書はもはや准古典的な書になっているかもしれない。しかし、瀬戸内寂聽訳『源氏物語』を通読し、その後で本書をやっと読んだ一読者としては、論点も含め新鮮な思いで興味深く読めた。

 本書構成のご紹介に併せて、読後感想を記してみる。
<Ⅰ 光源氏像の誕生>
 「光源氏の不足ない資性は、いわばその生存の根本的な不安を前提として惜しげもなく与えられたものである」(p7)という箇所で、まずナルホドと感じた。それだからこそ、あの長編を書けたとも言えるなと。その続きの「かれは物語の世界に敷設された宮廷社会の現実と、深くあいわたる人間として真実性をはらんでいる」という指摘は頷ける。
 賜姓源氏についての歴史的意義の説明は役に立った。

<Ⅱ いわゆる成立論をめぐって>
 翻訳版源氏物語を通読している時にほとんど考えていなかったことの一つは、源氏物語の構成である。鈴木日出男編『源氏物語ハンドブック』(三省堂)で、全五十四帖が大きくは三部構成になっているというのを知っていたくらいだった。ストーリーの組立として、第一部(「桐壺」~「藤裏葉」)において、紫上系と玉鬘系という二系列が存在することや、執筆の順序がどうだったかなど、源氏物語成立論が仔細に論じられていることを本書で知った。論議の経緯がわかっておもしろい。半世紀が過ぎた現在、学会レベルでは定説ができているのだろうか?

<Ⅲ 宿命のうらおもて>
 著者は、「桐壺」巻から始め、光源氏の宿運が実現していく道程に着目して大筋をまず解説する。この道程に直接関わらない巻は後回しにしていく。「須磨」巻の光源氏26歳の春までの光源氏の道程が浮彫にされる。後読みなので通読時のおさらいをしている気分になる。

<Ⅳ 権勢家光源氏とその展開>
 「澪標」巻、光源氏28歳の冬から、34歳の秋の六条院造営まで。光源氏が権勢家へと顕著な変貌を遂げる様に焦点があてられる。光源氏の後宮政策のたくみさをここで再認識した次第。著者は清水好子氏の論文を踏まえ、「絵合」巻では紫式部が、天徳内裏歌合を念頭において、物語を書いている点に触れている。
 紫上が光源氏の意図にそって物語上に登場してくる。その描写が「現実感にみちた物語の世界の進行からは浮き上がらざるをえない」(p63)という側面を指摘している。一方で、「紫上は、あらゆる場合に、さまざまの段階において、あるべき理想性を発揮すべく枠づけられていたからである」(p63-64)と評しているところが興味深い。
 六条院の造営が、光源氏の超絶した能力の証となる。

<Ⅴ 別伝の巻々の世界>
 Ⅲで後回しにされた「帚木」から「夕顔」巻へのつながりが別伝として持つ意味を著者は考察する。「夕顔」巻が「その中心部に三輪山式説話の型にそうている面が顕著である。また宇多天皇と京極御息所とが河原院で左大臣源融の霊におそわれたという、江談抄が伝える怪異談も下敷になっているらしい」(p77)と指摘する。そして、「皇子であり左大臣家の婿であるという息ぐるしい身分から、軽やかに解き放たれ、一個の女そのものと純粋な愛をもって相対しうる男でありうるという意味をもっているのであろう」(p77) と解釈している点が興味深い。通読しているとき、そんな見方を考えてもいなかった。
 「蓬生」巻の末摘花、「関屋」巻の空蝉、「澪標」巻の明石君の意味を語る。
 「初音」「胡蝶」「蛍」「常夏」「篝火」「野分」「行幸」と連なる巻々が、光源氏36歳の1年をこきざみに描き出している。著者は「自然と人為とが相互に媒介して織りなされる季節の秩序の、それ自体完結した美しさ」(p81)を指摘している。
 光源氏の年齢で全く触れない空隙もあれば、一方で多くの巻を費やして1年というスパンを濃密に描くという時間軸の取り上げ方があることを再認識した。ここらあたりも、源氏物語のおもしろさかもしれない。
 この後、著者は玉鬘に光を当てて論じて行く。玉鬘十帖と称されるストーリーの流れである。光源氏と玉鬘との関わり方。玉鬘十帖について研究者の諸説を紹介し論じているところに関心が向く。いろいろな論点があるものだ・・・・と。

<Ⅵ 紫式部と源氏物語>
 「源氏物語は、なぜ紫式部によってかかれたのだろうか」という一文から始まる。この問いかけから始まるところがまずおもしろい。
 左大臣冬嗣から始まる「紫式部略系図(尊卑分脈による)」が載っていて参考になる。
 なぜという問いに対する著者の考察は本章をお読みいただきたい。
 2点だけ覚書を兼ね、引用しておこう。
*実人生で受動的に生かされる立場から、能動的に生きよみがえる術法としてこの虚構世界が造り成されたのである。  p106
*紫式部が、物語の創作とは別にこのような物語論を語りうる場はなかった。物語の世界で光源氏の玉鬘へのたわむれ言をきっかけにして、・・・・そのようなものとしてのみこの物語論が語られえたことの意味は深長である。 p113

<Ⅶ 「若菜」巻の世界と方法>
 「若菜」巻だけが、上、下と二帖になっている。著者の説明によれば、源氏物語全体の10%という長大な分量を占めるという。上下はほぼ等分量。上巻のほぼ4分の1が、明石関係の内容に割かれていると説明する。著者は、「明石君および明石一族に托する作者の問題意識には、きわめてしつこいものがある」(p130)とその点に着目している。
 「若菜 上」巻は、第2部の始まりとなり、女三宮の降嫁問題が光源氏に突きつけられてくる。それが、紫上、明石君と光源氏の関係性に新たな展開をもたらす。
 女楽の条の描写と紫上の発病が、光源氏の世界の崩壊への道となる。その状況分析が読者にとってわかりやすい。

<Ⅷ 光源氏的世界の終焉>
 「柏木」巻から「幻」巻に至る物語の展開が論じられていく。柏木の死、女三宮の出産、そして紫上の死。光源氏の世界が終焉を迎えるまでの経緯を明らかにする。
 「夕霧」巻の位置づけと、第二部の各巻がどの順に書き継がれたかという研究者視点の論議が取り上げられている。この点もまた通読していて全く意識していなかったことなので、興味深い。

<Ⅸ 結婚拒否の倫理>
 いよいよ第三部に入る。「匂宮」巻から「宿木」巻にかけての物語が概説される。その主題は、父八宮の訓育を受けた長女大君の結婚拒否の倫理とそれを基盤とした心理描写を中心に、薫と匂宮の競い合いと心理のプロセスが分析されていく。そして、その渦中で翻弄される中君の存在。
 著者は「作者の筆が自在に躍動し、そこに作者の精神が全的にに移転しうる世界を掘り起こすことができた」(p171)と評価する。「いかにも新しい、時代の浄土教ムードに適合した恋物語が開始した](p175)とすら記す。
 「宇治十帖が書かれる頭初、浮舟の登場ということは作者の構想のなかに無かったことである」(p191)と論じているところが興味深い。

<Ⅹ 死と救済>
 「東屋」巻に着目し、「宮廷的貴族的な世界の伝統的価値基準をもっては測りきることのできぬ人間関係のひしめく世界}(p195)を登場させることを背景に、浮舟が描き出されていく。著者は浮舟の登場、彼女の自主性を奪い、その運命を翻弄し、死に追い込んで行くプロセスと後の救済を概略する。そこには、「水も洩らさぬ緻密さをもって仕組まれた客観的情勢の矛盾がそのまま彼女の運命をもつむいでいくのである」(p205)と著者は読み解いている。
 浮舟を自殺行為に走らせ、その後の顛末を描くという展開に対して、著者は記す。
「彼女を地獄に送ることに堪えなかった作者は、彼女をしてなお生きることを課した。死なねばならぬほどの不幸な人生から解かれて救われる道はないか。この課題を、作者は浮舟に、というより、浮舟を死に導いた自己に課したのであった」(p206-207)と。
 
 ⅨとⅩは、源氏物語の第三部を掘り下げて読む恰好のガイドとなるように思う。

 半世紀前に書かれた源氏物語の概説書。当時の研究者たちの問題意識と論点も垣間見えてくる。源氏物語解釈の広がりは奥が深いと感じさせる。未だ色褪せることなく源氏物語への誘いとなる一冊である。

 ご一読ありがとうございます。

補遺
玉鬘十帖  :ウィキペディア
 
インターネットに有益な情報を掲載してくださった皆様に感謝します。

(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません。
その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)



『古典モノ語り』   山本淳子   笠間書院

2023-04-03 15:59:44 | 源氏物語関連
 3月2日に、地元の宇治市源氏物語ミュージアムが主催する連続講座で、「明石の御方-『花も実も』ある人生-」という演題での講義を聴講した。講師が本書の著者山本淳子さんである。元々は2022年8月18日の講座開催だったのだが延期となっていた。受講再募集に応じてお陰で聴講できた。この時、この講座の演題に記された「花も実も」あるというのは「橘」のことであり、光源氏が明石の御方を「花も実も」ある橘に喩えたことをテーマにして、明石の御方の人生を解き明かす講座だった。『源氏物語』「若菜下」巻に出てくる光源氏が明石の御方に感じた「五月待つ花橘の、花も実も具して押し折れる香りおぼゆ」という思いについてが話の中心となった。「花も実も」の実態や「五月待つ」の意味、並びに「橘の古代史」などが具体的に説きあかされた。
 この講座の中で、著者近著の本書で「橘」を取り上げているという点に触れられていた。そこから関心を抱き、読んでみた。2023年1月に単行本が刊行されている。

 本書は、古典の中に出てくる「モノ」そのもの、「平安時代の物にスポットライトをあて」(p4)た内容である。著者は、「はじめに」において、「記録や作品を横断して、物たちが登場する場面を拾い上げ、説明を施すとともに、その物たちが負っている意味や思いについて考察」(p5)していくと記す。いわば、古典に記された背景や環境の一部となっている物や道具、あるいは脇役的存在のモノを、本書で主役にした。そのモノ自体を記録や作品を広範囲に渉猟し、先人の諸研究を踏まえて、縦横に解き明かしていく。
 なぜ、モノに光をあてたのかにも触れている。「記録や作品の中に物や道具が現れる時、それらは、一つには場面の主役とはなりにくいこと、一つには時代を経てしまってわかりにくいことから、えてして読み飛ばされがちではないでしょうか。が、立ち止まって読んでみれば、『枕草子』の瓜や『伊勢物語』の墨書盃のように、ささやかではあれそれぞれに記録や作品の世界の一角を構成し、時には欠かすことのできない大きな存在として描かれていることもあります。それは著者や作者たちがそれら物たちと共に暮らし、使い、心を託していたからです」と。脇役であるモノについて丹念に調べ、その存在の意味を明らかにしていく作業が本書である。それが逆に主役についてより一層理解を深めることにつながっていくという逆転の発想になっている。
 その一例が、冒頭に触れた「橘」について認識を深めることで、一層明石の御方の人生を鮮やかに理解できる契機となるのだ。モノが主役に連鎖する。

 本書には、8つの「モノ」が取り上げられている。その8つの「モノ」について、2つの視点から読者に対して「語り」かけている。一つの視点が一章で扱われて行く。取り上げられた「モノ」とその視点をまずまとめてみよう。
    牛車      走る・争う
    築地      囲む・呼び込む
    橘       実る・待つ
    犬       集う・呼ぶ
    泔(ゆする)  整える・手こずる 
    御帳台     護る・侵す
    扇       あおぐ・託す
    物への書き付け 切羽詰まる・遺す
全16章で構成されている。こららの「モノ」は古典作品に記されていても、ほとんど気に掛けていない脇役である。『源氏物語』にこれらのモノが記されていても殆ど意識せず、場面描写の背景としてストーリーを読み進めていたように思う。
 尚、「ゆする」というのは「米のとぎ汁」のことで、平安時代には、洗髪や整髪のために、シャンプーや整髪料として使ったモノである。「物への書き付け」は、上記の引用を含めて言えば、装束の一部を引き破り紙の代用にする、土師器(はじき)の盃や皿に文字や絵を書き付ける、瓜に顔を描くなどが具体例となる。

 私は章ごとに読み進めたが、こういう構成でそれぞれ独立した形で内容がまとめられているので、読者は一章単位でどこからでも読める内容になっている。
 
 各章は、そのテーマに関連して、様々な記録や作品からそのモノに関した記述箇所の原文が引用され、その続きに著者による現代語訳が併記される。引用箇所を踏まえ、先人の諸研究の成果と著者の所見を織り交ぜて、平安時代においてそのモノがどのように位置づけられ、意味づけられていたか、人々と関わっていたかなどが解き明かされていく。脇役としてのモノが鮮やかに浮彫にされてくる。記録や作品からの引用を縦横に組み立て、そのモノへの認識をクリアにしていく。そこが読ませどころとなる。

 本書末尾に「引用作品概要(50音順)」として解説文がある。ここを読むと、『和泉式部集』から始まり『能宣集』まで、25作品から引用されていることがわかる。日記、物語、歴史物語、説話集、和歌集、和文集、日本書紀・権記・小右記などが網羅されている。文献の渉猟範囲が広い。

 例えば、「第1章 牛車1/走る」では、「牛車の風景」の引用から始まり、牛車の車種や供人という基本的な説明がまずある。先人の研究を踏まえ、牛車内の乗り方の配置図も載せてある。車副が藤原道長を叱咤激励したエピソードや、清少納言が卯の花を使って奇抜な花車を走らせたという装飾牛車のエピソードが出てくる。この花車を現代ならイルミネーションで飾り立てた「トラック野郎」相当と喩えているのがおもしろい。
 「第2章 牛車2/争う」では、「車争い」の牛車が具体的に説明されていく。『うつほ物語』『落窪物語』『枕草子』に記述された牛車の争いが具体的に引用・解説される。その上で、『源氏物語』「葵」巻で有名な「車争い」の場面の具体的な状況が分析的に説明されていく。そこで、紫式部が『源氏物語』で描き出した車争いと『うつほ物語』『落窪物語』に描かれた車争いとのコントラストが明らかになる。紫式部が車争いのモチーフを『源氏物語』に採り入れたことに対して先例があったことをまず示す。その一方で、紫式部は、車争いという騒動の状況描写だけではなく、そこから「六条御息所にぴたりと寄り添い、その目と耳と心を語る」(p35)次元へと車争いの場面を「人の思い」に転換していく。『源氏物語』の場面を引用し、その車争いの場面の採り入れ方の鮮やかさを論じている。

 「心とは何と面倒なものなのだろうか。愚かなものなのだろうか。揺れ、泣き、また弾む。様々な心がいつも糸のように絡み合い、泥のように混ざり合っている。それが心なのだ。『源氏物語』は、人の心の手に負えなさに残酷なまでに向きあっている」(p41)これは第2章末尾の印象深い一文である。

 脇役である「モノ」に光をあてた本書から、初めて知ることが多かった。それが『源氏物語』の理解を深める上で学習教材になっていく。『源氏物語』とのリンクが本書を通読する楽しみに加わった。紫式部が先例、文献から如何にヒント、モチーフを得て、それらを換骨脱退し源氏物語の創作に採り入れているかの一端を知る機会になった。
 「橘」を取り上げた二章は、冒頭に記した連続講座での講義と重ね合わすことで復習を兼ねる上でも役だった。また、文化勲章は橘がデザインされているということを本書で知った。今まで文化勲章の形を意識していなかった。内閣府のホームページによれば、「その悠久性、永遠性は文化の永久性に通じることから、文化勲章のデザインに採用されたと言われています」(p77)とか。

 「犬」の二章を読んでいて、認識をあらたにしたことがいくつかある。要点をご紹介する。詳しくは本書をお読みいただきたい。
*犬は都の汚物処理係。その雑食性により排泄物の処分をしてくれたのだとか。 p111-114
*『大鏡』には犬の法事を執り行った飼い主の事例が記されている。それも高名な僧・清範(962~999)が説経の講師を行ったという。  p119
 ペットの葬式・・・・現代に始まったことじゃなかったのだ!
*藤原道長に対する呪詛に道長の飼い犬が神通力を示した説話がいくつかの説話集に記録されている。だが、それらの記述における時系列の整合性を分析すれば事実ではないと判明。古典文献の読み方には要注意ということだろう。呪詛話としてはおもしろいけれど。  p122-125

 各章には興味深いことがいろいろ引用紹介されているが、もう一つだけ触れておこう。「扇」の章に帰された『源氏物語』「夕顔」巻に出てくる夕顔の扇に絡んだ話である。
 光源氏が五条界隈に住む乳母の病気見舞いに行った。この時隣家の住人、夕顔を知るきっかけになる。光源氏は女から夕顔の花を載せた扇を受け取る。そして扇の扇面に「そこはかとなく書き紛らわしたる」歌を読む。
   心当てに それかとそ見る 白露の 光添へたる 夕顔の花
この和歌の解釈について、18世紀末に本居宣長が唱えた説により、歌意の理解の仕方が混迷するようになったと言う。それ以来過った解釈が行われてきた。だが清水婦久子著『光源氏と夕顔』(2008年)により、やっと正しい解釈に収まったそうである。『源氏物語』を現代語訳で通読しただけなので、夕顔の扇に記された和歌一つにそんな論議があったことを知らなかった。源氏関連の各種講座でもこの論議を聞く機会がなかったので、実に興味深く読めた。(p228-232)

 最後に、著者の所見として記された文から印象深い箇所をいくつか引用しておきたい
*荒れた家は妄想をかきたてさせ、男心をくすぐる。 p19
*他者の些細としか言えない行為が、人生の大きなつまづきを呼ぶことがある・・・・ 
 いや、それが巡り合わせというものなのか。              p167
*物言わぬ道具が、人に迫り人を追い詰める。そうさせるのは結局、モノではなく自分の心である。   p173
*貴族社会において女房とは、情報を拡散する存在だから  p187
*古代の考え方では、何かをひらひらと振ることは、魂の活動を奮い立たせ邪気を払う行為だった。そこで人々は誰かのために何かを振って、相手の幸せを祈ったのだという。p210
*一つの扇の上に、人々の思いが交錯する。扇がコミュニケーションツールであった p236
*人はたとえ命尽きても、遺された者の記憶の中で生き続ける。  p275

 古典に現れるモノは数多い。このモノ語りの第二作を期待したいと思う。

 ご一読ありがとうございます。



『紫式部考 雲隠の深い意味』  柴井博四郎  信濃毎日新聞社

2023-02-28 20:53:31 | 源氏物語関連
 U1さんのブログ記事を拝読し本書を知った。地元の市立図書館の蔵書になっていたので借り出して読んでみた。「あとがき」を最後に読み、その末尾のパラグラフでなるほどと思った。「私は科学者として、自然が隠した神秘を探り当てることを仕事としてきた。が、紫式部が隠した秘密を探りあてる作業も、実にエキサイティングで楽しいことであった。このレポートを自費出版し、できるだけ多くの図書館に寄贈し、100年後あるいは200年後に理解してくれる読者がいてくれることを夢見ている」(p415)と締めくくってある。自費出版本だったので、書名を目にする機会がなかったようだ。本書は2016年1月に出版されている。

 本書の興味深いところは、紫式部の創作した「源氏物語」を、アガサ・クリスティの推理小説のように、推理小説仕立てになっているという視点で捉えていることである。著者は、「源氏物語」のストーリー全体の構造を分析し、紫式部が仕掛けたヒントを情報収集していく。そして、紫式部が「源氏物語」を創作した動機・意図がどこにあったかを追究していく。
 「外観は平安貴族の通俗小説を装い、当時の王朝貴族に喜んで読んでもらいながら、人と社会の真実を物語に潜ませている。紫式部は、人とその社会に関する彼女の観察と考察を、膨大な物語の中から発見してほしいとまち望んでいる」(p16)と著者は記す。
 著者は、「源氏物語」のストーリーに散りばめられたヒントを見つけだし、収集し、論理的に分析・推理してこのレポートを書いている。農芸化学分野の研究者である著者が、「理系的人間理解」という形で紫式部の観察と考察を読み解いていく。

 著者は「源氏物語」の読み方は人により様々であり、解釈も千差万別である状況を各所に織り込んで説明している。その事例も紹介している。その上で、著者自身の仮説をレポートとしてまとめ、紫式部の観察・考察に一石を投じたと言える。

 通俗小説的に読めば、「『源氏物語』は性欲を抑え切れずに、男も女もこの爆弾を爆発する物語である」(p17)。一方で、「『源氏物語』における紫式部の人間観察は、聖書における人間考察を現実化したものだと言える。してはいけないと知っていながら、やってしまう人たちの物語である」(p18)と言い、この立場で読めば「『源氏物語』は倫理的・道徳的な読み物となり、『でもやってしまい、責任回避』の立場で読めば、はかなく弱く、悲しくあわれな人間の物語であって、本居宣長が言うように『もののあわれ』の物語となる」(p19)と記す。
 様々な解釈がなされるところに、「源氏物語」が1000年を超える不朽の作品として生き残ってきたのだろう。また、紫式部が「源氏物語」の中に、執筆動機をあからさまに書き込んでいれば、すぐに貴族たちに没にされてしまっていただろうとも記す。つぶされるのを回避するために、紫式部は執筆動機となる部分を、ヒントとしてストーリーに埋め込んだと著者はみている(第2章 紫式部の執筆動機)。そのため、今まで紫式部の意図は解明されてこなかったという。

 そこで著者は、「源氏物語」に埋め込まれた推理小説的要素を抽出し整理分析し推理していく形で、己の仮説をここにレポートしている。
 本書の論証の進め方、その基本スタイルはわかりやすい。論証点が章のタイトルとなっている。その論証するために「項」を立て、項の中に論点として「節」を立てる。その「節」においては、<あらすじ>と題して、「源氏物語」の記述の中から論点を明らかにできる記述情報を抽出・列挙し、補足説明を加える。その後に「解説と考察」が述べられる。そのため、章の構成内容がわかりやすい。
 著者の狙いは、「源氏物語」のストーリーの構造を明らかにして、紫式部が主に当時の宮廷貴族社会を観察・考察し、物語を執筆したその動機と意図を解明することにある。
 
 著者は「第3章 発端としての<桐壺>」を分析の起点とする。そして、このストーリー全体の中で、「空蝉と藤壺の相似性」(第4章)と「桐壺帝と朱雀帝の相似性」(第5章)という構造を明らかにする。空蝉の行為と思考、空蝉に対する源氏の思いを読み込んでこそ、記されていない藤壺の思いが深くわかってくると説く。桐壺帝と朱雀帝の帝としてのスタンスを知ることにより、源氏のことが一層クリアになると説く。
 内容が書き残されなかった「雲隠」(第5章)の位置づけを明確にし、その帖で紫式部が意図した内容は何だったかを推論していく。
 「作者が<雲隠>で書こうとしたことは、・・・・源氏が、嵯峨の院で経験する心の移り変わりでしかありえない」(p345)と著者は言う。そのヒントが「匂宮」~「夢浮橋」の帖を読み進める中に隠されているという。それが「浮舟の死と再生」(第6章)だと論じる。源氏の「雲隠」は、「浮舟の死と再生」と照応する関係にあると説く。この論証の積み上げが如何になされるかが読ませどころの一つと言える。

 理系の研究者として、著者は熱力学第二法則を思考の背景に据えている。「自然に起こる現象はすべて混乱と無秩序をもたらす」(p21)という法則である。
 紫式部は「秩序ある人間社会は、時が経つと秩序を失った混乱の人間社会へと変貌していく」(p332)という様相を冷徹な目で観察し、「平安時代の朝廷貴族社会でゆっくりと確実に進行しているさまを、『これこそ人間の正体なのだ』」ととらえて、「源氏物語」に仕立てたのだと著者は論じて行く。それが「人徳の高い桐壺帝から、混乱と無秩序の曾孫、匂宮と薫への物語でもある」(p332)という。記述情報の詳細な列挙で論証が進められている。本文を詳細に読み込まれていることを痛感した。

 「紫式部が描いた宮廷貴族社会の退廃と停滞は、フランス革命前夜における宮廷貴族社会のそれと相通じるものがある」と述べ、「紫式部が徹底してヒューマニズムの視点に立っていたからこそできた人と社会に関する観察と考察」(p414)であると論じている。
 また、「『源氏物語』の主題は、『仏の道における死と再生』とも言える」(p297)と結論づけている。

 本書で考察されている興味深い視点をいくつかご紹介しておこう。
*「源氏物語」の基本線として「秘密は隠せない」という考え方が貫かれている点。p126
*「源氏物語」の背景に、「末は劣る」という末世思想があるとみる点。  p235
*紫式部は人の遺伝現象を観察・考察していたとする。匂宮と薫にその反映をみる。
 皇族に多い近親結婚の弊害も描き込んでいる。 p361-362
 一方、環境因子に着目し、玉鬘と浮舟にそれを見て「気高い」と形容する。p210,245
*浮舟と玉鬘の相似性もまた論じられている点 p229
*横川の僧都の哲学は、紫式部自身の哲学であると著者がとらえている点 p322

 本書は、これらの論証がどのようになされていくか、その推論のプロセスが読ませどころと言える。

 さて、最後に一つ疑問点を掲げておきたい。
 著者は「あとがき」の中で、一つの原文について、解釈により主語の解釈が180度変わっている事例として、様々な現代語訳例を列挙している。p410 には、原文としてまず次の一文が記されている。これは「総角」に記された一文。
 原文
 御かたはるなるみじかき几帳を、仏の御方にさしへだてて、かりそめにそいしたまへり。

 手許にある『源氏物語 5』(新編 日本古典文学全集 小学館)を参照すると、
 原文
 御かたはらなる短き几帳を、仏の御方にさし隔てて、かりそめに添ひ臥したまへり。

 この違いは、底本が異なるということだろうか。この疑問を抱いた。

 いずれにしても、私は現代語訳で一度通読しただけなので、「推理小説仕立て」の発想すら思い浮かばなかった。それ故、本書はけっこう「源氏物語」の読み方に対する刺激材料になった。「源氏物語」の解釈として、たしかにエキサイティングな部分を含みおもしろい。お陰でまた一つ考える材料が増えたことがありがたい。

 ご一読ありがとうございます。