※昨日までのトータル訪問者数
878,716
『江戸時代 相撲名鑑』に拠れば、泉川
(=出水川)と名乗った力士は多数いるが、
「泉洋」は一人もいない。
大正時代最後の入幕が泉洋 藤太郎で、
東京→大阪→東京と転籍した所為もあり
中堅力士で終った。
おなじ大阪出身の泉洋 辰夫の下位時分
の星は次のとおり。
昭和二十五年春場所、序二段12枚目
8勝 7敗
同 二十五年夏場所、三段目33枚目
10勝 5敗
同 二十五年秋場所、 同 17枚目
9勝 6敗
同 二十六年春場所、 同 4枚目
12勝 3敗〔三段目優勝〕
同 二十六年夏場所、幕下18枚目
9勝 6敗
同 二十六年秋場所、同10枚目
9勝 6敗
同 二十七年春場所、同4枚目
8勝 7敗
同 二十七年夏場所、同3枚目
7勝 8敗〔初の負越し〕
同 二十七年秋場所、同4枚目
11勝 4敗
序二段~幕下の計9場所を15日間
“皆勤”しているのであり、他にそんな
記録はあるまい。〔尚、序ノ口を経験
してない。〕
当時、力士総数減少期のため幕下以下
も全日出場だった。出場者が奇数の場合
どうしたの…❔
878,716
『江戸時代 相撲名鑑』に拠れば、泉川
(=出水川)と名乗った力士は多数いるが、
「泉洋」は一人もいない。
大正時代最後の入幕が泉洋 藤太郎で、
東京→大阪→東京と転籍した所為もあり
中堅力士で終った。
おなじ大阪出身の泉洋 辰夫の下位時分
の星は次のとおり。
昭和二十五年春場所、序二段12枚目
8勝 7敗
同 二十五年夏場所、三段目33枚目
10勝 5敗
同 二十五年秋場所、 同 17枚目
9勝 6敗
同 二十六年春場所、 同 4枚目
12勝 3敗〔三段目優勝〕
同 二十六年夏場所、幕下18枚目
9勝 6敗
同 二十六年秋場所、同10枚目
9勝 6敗
同 二十七年春場所、同4枚目
8勝 7敗
同 二十七年夏場所、同3枚目
7勝 8敗〔初の負越し〕
同 二十七年秋場所、同4枚目
11勝 4敗
序二段~幕下の計9場所を15日間
“皆勤”しているのであり、他にそんな
記録はあるまい。〔尚、序ノ口を経験
してない。〕
当時、力士総数減少期のため幕下以下
も全日出場だった。出場者が奇数の場合
どうしたの…❔
「幕下以下十五日出場」期間の星取表を見ると、序ノ口で「1休」の力士が結構存在する。おそらくここで取組を調整していたのではないか。