昭和六十二年五月十七日(日曜)朝八時半過ぎ、
長崎県諫早市川床町442番地〔この住所は、復刊
された頃の『相撲』誌掲載「最新部屋別力士一覧」
の出身地名と全然変らない。〕の自宅へ、元幕内
福田山幸右エ門こと福田幸雄氏を訪問し、九時頃
から約30分間お話を伺った。
元力士に直接対面するのは、大正末期の幕下、
稲佐山梅二郎〔石井代蔵氏の小説『巨人』(昭48
発表)では超巨漢出羽ヶ嶽の付け人となっており、
大正十五年春の番附をみると、西方幕下八枚目に
稲佐山、同九枚目に天竜三郎、十枚目に鏡岩善四郎
の名が並ぶ〕に次いで2人めであった。
新弟子当時の話。〔昭和二十四年夏の初土俵〕
終戦後の食糧難時代だから大変だったろう…と想像
していたら、意外に角界は当時も食料は豊富に
あったという。それで、飯を腹一杯喰うだけが目的
で入門してくるやつがいたそうな。
昭和二十年代前半の資料が少なく、『近世日本
相撲史』第3巻に「新弟子検査合格者」が不掲載で
遺憾に思っている。福田氏と一緒に出羽海部屋へ
入ったのは4名だったが、うち1人はすぐ脱走し姿を
消した。その頃も集団脱走があったとか…。
当時の新弟子は、みんな筋肉質タイプばかりで、
所謂“あんこ”型はいなかったそうだ。昨今とは
隔世の感がある。
長崎県諫早市川床町442番地〔この住所は、復刊
された頃の『相撲』誌掲載「最新部屋別力士一覧」
の出身地名と全然変らない。〕の自宅へ、元幕内
福田山幸右エ門こと福田幸雄氏を訪問し、九時頃
から約30分間お話を伺った。
元力士に直接対面するのは、大正末期の幕下、
稲佐山梅二郎〔石井代蔵氏の小説『巨人』(昭48
発表)では超巨漢出羽ヶ嶽の付け人となっており、
大正十五年春の番附をみると、西方幕下八枚目に
稲佐山、同九枚目に天竜三郎、十枚目に鏡岩善四郎
の名が並ぶ〕に次いで2人めであった。
新弟子当時の話。〔昭和二十四年夏の初土俵〕
終戦後の食糧難時代だから大変だったろう…と想像
していたら、意外に角界は当時も食料は豊富に
あったという。それで、飯を腹一杯喰うだけが目的
で入門してくるやつがいたそうな。
昭和二十年代前半の資料が少なく、『近世日本
相撲史』第3巻に「新弟子検査合格者」が不掲載で
遺憾に思っている。福田氏と一緒に出羽海部屋へ
入ったのは4名だったが、うち1人はすぐ脱走し姿を
消した。その頃も集団脱走があったとか…。
当時の新弟子は、みんな筋肉質タイプばかりで、
所謂“あんこ”型はいなかったそうだ。昨今とは
隔世の感がある。
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