相撲史に関心・興味のある方どうぞ

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不入りの日に外人客が…

2012-01-06 21:18:14 | 日記
 また『東京朝日…』紙の明治37.6.9づけ
●角觝界 より━。

△前角力より本中には蚊の脛連中が多かりしも漸
く減少し三段目を陵駕するの力士出で來りしため
三段目は却て退歩の色あり然れども三段目の好力
士は二段目を壓し二段目は幕内の老朽を一掃する
より今一二年にして番附面は全く一新し新進揃ひ
の好取組を見るに至らんと年寄某は語れり
△何のためか其理由を知るに難けれども不入の日
に限りて外國人の見物甚だ多し初日より三日目迄
又昨七日目何れも四面棧敷に來觀の外國人殊に外
國婦人尤も多く見受けられぬ

 外人客とは英・米人であろうか…。日露戦争中
なので露人はいまい。
 当時、前相撲→本中→新序→序ノ口まで何年も
かかるやつがいたらしい。
 尚、新序→序二段━序ノ口を経験せず出世した
名力士もいたと思うが…。

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日露開戦で観客500人

2012-01-06 12:51:32 | 日記
明治37.6.9『東京朝日…』紙の「●角觝界」━。

△回向院の小屋掛には凡そ千二百圓の金を要する
との事なるが今度の如き不入にては木戸札の客に
ては小屋掛料を償ふ事も難かるべし曾て十四五年
前不入の結果損金を部持年寄〔註=分持…の誤り〕
に割當しところ一人前二十四圓づゝとなりしを何れも
負擔する事能はざりしが近年利の配當を必ず受け
居る事なれば此際部持〔ママ〕の連中は不入の損金
は何れも負擔せねばなるまじと

 明治三十七年夏は明治大相撲最低の本場所だった。
『日本相撲史』中巻193頁に━
 …日露戦争開戦の影響と、また休場力士の多いため
客足が薄く、九日間の入場者数は四千人を上廻る程度

 と記述している。一日平均500人弱か…。現今より
ひどいね。
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