Ryojinブログ

剣道のこと、オオカミ復活運動のこと、そして紀州犬のことやいつも行き来している大好きな京都のネタなども綴っていきます。

大相撲「栃ノ心」のことから。

2018-05-28 14:38:04 | 随想・・・。

  終わったばかりの五月場所も栃ノ心は本当に強かったですね。

白鵬との一番はその実力を遺憾なく発揮させた本当に大一番でした。

僕はあのがっぷりの四つ相撲で白鵬が負けると云うのは記憶にないですね、八角も同じ事行っていましたが・・・。

  しかしです。僕的にどうしても心配なのが栃ノ心のあの右膝のサポーター、まるでギブスでも巻いているような大きさで、どうしても違和感があるのですよね。

危ういなぁ「それこそ爆弾だなぁ」とね。

たまりでは足を投げ出していました、少しの時間の胡座も無理なようです。

照の富士の二の舞にならないことを祈るのみです。

  それにしても今の相撲取りは喜怒哀楽を顔に出しすぎのようで・・なんか僕の知っているお相撲さんのイメージとは違うのですよね。

栃ノ心などもう土俵下で一喜一憂が丸わかりで「グッと、心を内に秘める」的な美学があまり感じ取れなないのですよね。

  それに比べ貴乃花の現役時代、ホント凄いなぁと思って彼の一挙手一投足を眺めていた記憶があります。

若干二十歳やそこらの若者が大一番を待つ土俵下で眉ひとつ動かさず、まるで微動だもしない堂々たる態度で出番を待つ、ほとほと感心させられたこと思い出しますね。

まぁ、だからどうってことでもないのですが、あまりにかけ離れていてですね・・・今のお相撲さんとはね。

大鵬や柏戸の時代ももちろんそうだったような気がしますが、貴乃花はいわゆる現代っ子的な時代の若者でしたもの・・。

彼の相撲にに対する良い意味強烈なストイックさが判るようなそんな気がするのです。

  ただこのこと、栃ノ心の大関昇進に水を差す訳では決してありませんから、誤解なきように・・。

膝さえ万全なら決して横綱も夢じゃないですね。

ただ強い相撲取りは怪我も少ないですから、稽古の仕方や体重管理、いわゆる自分に最も適した体重はどの程度か位は自分で知って、それを元に調整する、この位は意識してやらないとだめですね。

四股で天井まで届かんばかりに足が上がってもあまり見た目ほど相撲には関係なさそうです。

昔の相撲取りははるかに今の相撲取りと比べ小柄でしたがいわゆる「体幹力」が極めて凄いと見ていて判りますよ、僕・・。

大股を上げるような派手な四股などあまり見ませんが、どこかどっしりとして「鍛え抜いてるなぁこりゃ」みたいな感じなのですよ。

  話は変わりますが、剣道。これも相撲と同じような(うーん、少し違うのですが・・)最近の京都大会などみていると、最終日の範士八段あたりの立合ですが、僕らが若かりし頃知っている大先生達の立合のような、まるでヒリヒリするような緊張感と「ど迫力」な衝撃と「心に深く響く」余韻、そんなものがほとんど感じられなくなってきています。

正直、剣道も大相撲同様、榎本さん曰く「終わりの始まり」がきているのかも知れないですね。

この当たりが限界なのかなぁと思ってしまうのです。

時の流れとは云え、一縷の寂しさを感じずにはいられませんね。

  相撲や剣道に置き換えて考察しましたが、この前からのレスリング、今回のアメフト等スポーツ界の問題は組織的なガバナンスがほとんど働いていないのが原因で、最早相当な過渡期にきているようなそんな気がします。

 まぁ、組織の在り方の問題はともかく、立て直しの為の「温故知新」特に武道はそうあるべきだと思いますが・・・。

 

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