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城台山日記

 城台山の麓で生まれ、毎日この山に登り、野菜・花づくり、読書、山登りをこよなく愛する年寄りの感動と失敗の生活日記です。

橅(ブナ)の話 20.6.14

2020-06-14 19:21:35 | 山登り
 雨の日が続くと「雨読」中心の単調な生活となる。今月の読書ペースが遅れているのでチャンスなのだが、はかどらない。一日のうちで登山プラス読書が実現できたときなどは最高に得した気分となる。山を長年登っていても、花の名前やまして樹木となると怪しいものである。最近、有料だが写真を撮るだけで、その名前がわかるアプリを導入した。しかし、山の中では電波が届かないので、その場でその名前を言うことができないのは少し残念でもある。

 いくら樹木を知らないと言っても、この付近だと1000m付近にあるブナを知らないということはない。誰かから聞いた話だと思うが、漢字で「橅」(最近使われ出したみたいだが)、いかにも用無しという感じである。事実、この木は重く(水を一杯蓄えているということか?)、腐りやすく用材として劣等生のようである。ブナの実は熊の好物といったところががおじさんの全知識。たまたま揖斐川町立図書館の入口付近の新書紹介棚で見つけた米倉久邦著「日本の森列伝」を読み、記事を書きたくなった。ここに日本の代表的な森12箇所が取り上げられている。その最初に登場するのが、北海道黒松内・北限のブナの森。

 以下引用する。ブナは冷温帯に分布する。地球は氷河期と間氷期を繰り返す(要するに寒くなったり暖かくなったり)。暖かくなると(約1万年前からおおむね暖かい)ブナは北進する。しかし、足があるわけでないので、風や鳥の力を借りても進む距離は小さい。ブナが本州の北端に到達したのが9000年前、しかし北海道南部に到達したのが6000年前、そして黒松内町に到達したのが1000年前。何とも時間のスケールが全然違う(徐々に進むというより空白期間が非常に長いのだろう)。ブナの特徴と言えば樹肌のまだら模様、これは地衣類が肌にまとわりついているからのようで、北に行くほど雪に磨かれるため色が白くなる。さらに北になるほど、ブナの葉は大きくなる(九州のに比べると面積では4~5倍)が木全体の葉の面積は同じぐらいである。競争相手のミズナラなどに勝つため、春先ミズナラなどよりも10日~20日程度早く葉を出し、太陽光を独占する。

 最大の特徴が冷湿でたっぷりの水を供給してくれるところが好きで、雪の申し子とも言われる。若木は柔らかく、日本海側の豪雪にも耐える。ブナの林床にチシマ笹がびっしり生えているところでは、ブナの実が芽を出し、育つことが難しいと思ってしまう。ところが、数十年に一度笹が一斉に花を咲かせ結実して枯れる。明るくなった林床で育つのがブナで、笹よりも大きくなってしまえば成長を阻むものはなくなる。

 このような知識を少し持てば、ブナに出会った時の感動も全然変わってくるであろう。

 旧徳山村門入・船ヶ丸のブナ ミズナラとの混交林 2017年6月Eさん撮影

 同じく門入・牛尾のブナ林 2017年6月Eさん撮影

 横山岳のブナ林 2018年3月撮影
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念願叶って千回沢山に登頂 20.6.10

2020-06-10 15:03:11 | 山登り
 梅雨入り間近の6月8日、9日と登りたかった揖斐の最奥の山にEさん、Oさんと出かけた。まずはホハレ峠(792m)から門入を目指し歩き出す。久しぶりの重荷のため下りとはいえ、谷に付けられた歴史の道は緊張を強いる。この道、最初に歩いたのが17年6月、10人ほどのメンバーで門入出身のIさん宅をベースに船ヶ丸と牛尾に登った。EさんとIさんは旧知の間柄で年に何度かIさんが山荘に滞在するときに訪れているそうだ。今年は新型コロナのため、徳山会館付近からの船が出ないので、Iさんはまだ訪れることができない。1時間半ほどで主人不在の山荘に到着。その先のHさん(テレビでも紹介された)宅では放し飼いの2匹の犬に手荒い歓迎を受けた。宅に隣接して金網に囲まれた菜園が広がっている。この犬たちが居れば猪や猿、鹿なども近寄れない。

 大垣山協わっぱ記事(2017年7月号)おじさんが書いた

 ホハレ峠のお地蔵さんは2年前盗難にあった その代わりに据えられた観音様?

 山荘の主がまだ訪れていない 今月の下旬再訪し、Iさんと会えることを楽しみにしている

 Hさん宅と菜園(下山時に撮影)

 林道はすぐ先で分かれ、右手の入谷(にゅうだに)を歩く。林道周辺には大きく成長したスギの植林が目立つ。

 入谷林道(下山時に撮影)
蔵ヶ谷との分岐手前に堰堤があり、湛水している。蔵ヶ谷を進むと不動滝そして不動山がある。私たちは右手の千回沢方面へと進むが、すぐに林道とはいえ、灌木が林立する箇所も出てくる。やがて林道が沢と交差する場所が入渓地点。まずは、お昼飯をとる。

 入渓地点

沢を進むとすぐに3mほどの滝が現れる。Eさんは重荷にもかかわらず、左側の滑りやすそうな岩を登っていく。おじさんとOさんは左側へ高巻きした。その後は沢芯を歩いたり、沢そばの草地にルートを求める。草地には明らかな道らしきものがあるので迷わない。まずは676m付近の大カツラの木を目指して進んでいく。右から沢が合流する地点には大きなカツラがあったが、これは違っていた。左の本流を少し進むと目標の大カツラ、途中で折れているがそこから新しい幹が育っている。

 大カツラの木

そのすぐ先(左岸)に快適そうなテント場があった(大垣山協のメンバー3人が登った記録を参考にした)。時間は14時、まずはEさんが持ってくれたテントの設営。そしてすぐに待望の小宴会、料理上手なEさん、早速厚いベーコンを取り出し、私たちに焼ベーコンを振る舞う。そして、新玉ともやしで野菜炒めもできあがる。18時頃になり、そろそろ暗くなりはじめ、テントに潜り込む。

 翌日9日、4時起床し、5時にテント場を出発。今日はテント場やく700m付近から一気に1246mの山頂を目指す。荷物はサブザックのみ、一箇所だけ高巻。

 オオベニウツギ 至る所にある

 ワスレナグサ もとは野花だということを知らなかった これも至るところに咲いていた

何度もGPSを見ながら現在地を確認、とにかく山頂直下に出ることを目指す。1000m付近で水は尽きるが、そのまま沢を直上。やがて草地が現れ、そこからは藪漕ぎ。短時間の藪漕ぎでぴったりと山頂に到着。わずかな切り払いがある場所に鎮座する三角点にタッチ、三人で自撮り。生憎とガスが出ており、まわりの山は同定できない。

 山頂の名前をしめす表示がないので、Eさんが準備した(有難い!!)

 山頂のサラサドウダン

休憩後下りにかかる。

 テント場付近
テント場に戻り、撤収と早いお昼を取る。

 テント撤収

そして、再び重荷を担ぎ、沢を下っていく。途中高巻したところで、激藪に遭遇、つるのため捕縛されたようになり進めない、かつての道であっても自然には勝てない。Eさんによればこの辺の木材は東にある塚へワイヤを使って搬出したそうだ。そしてその太いワイヤは人間が少しずつ分担して連なるようにして運び込んだという。

 やがて入渓地点に到着、ここまで来れば、おじさんにとって心配事はホハレ峠の登り道、門入が442mだから350mの登り(この心配はやがて現実となった)。長い入谷林道の後、Hさん宅でいただいた冷たい水は最高だった。そしていよいよホハレ峠に向けて出発。途中で今日門入に泊まるという方と遭遇し、長い立ち話。やっと解放され、冷た水で水を補給。ここからホハレまでの遠かったこと、二人には今回随分迷惑をかけてしまった。17時少し前に峠に到着。藤橋温泉で汗まみれの体を洗い、やっと登頂できた喜びを湯船の中で味わった。

 コースタイム 6月8日 ホハレ峠7:45→門入9:29→千回沢入渓地点11:17→テント場13:44
        6月9日 テント場5:00→千回山沢7:55→テント場9:49~10:40→門入13:54~14:12→ホハレ峠16:55


 ホハレ峠から門入まではわっぱ記事を参考にしてください
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ニンジンに異変が!! 20.6.7

2020-06-07 17:17:30 | 野菜作り
 昨日のことであるが、枝豆の花が咲き出したので、早速追肥をしなければと昼から畑に出かけた。その作業が終わったので、ニンジン畑を覗いてみると、葉の部分が枯れたものが、増えたのに気づく。


 これは5月20日頃のニンジン畑 目立つほどの食害はなかった

 それを抜くと少しだけ実が付いている。



 このままだと全てのニンジンがダメになってしまうと考え、収穫には少し早いが全てを引く抜くことにした。思った以上に被害は進んでいた。正常だと思っていたものも、引き抜いて見れば、穴が空いているなどの食害がある。

 食害の状況
 
 被害の状況をたよりに、ネットで調べることにした。サツマイモも例年かじられているので、最初ヌートリアかなとも思った(ニンジンは好物と書いてあった)。しかし、ニンジンは土の中にあるので、食べようとすれば掘らなければならない。するとその堀跡があるはずし、第一もっと食べても良いはずだ。堀跡を探してもない、そうするとヌートリアは白だということになる。
 続いて、ヨトウムシ。ニンジンの食害例は多いが、いずれも葉を食べられている。おじさんのニンジンは葉には食害はなかった。となるとヨトウムシも白。何度も調べて、たどり着いた真犯人はタマヤナガ(ネキリムシ)だった。この害虫の幼虫(成虫になると蛾)は、土の中にいてニンジンの肩の部分を食べると書いてあった。まさしく、当てはまる。真犯人がわかっても、今年のニンジンはあきらめざるをえない(ニンジンは発芽すれば半分は成功したと言われるくらい発芽が難しい。まして秋冬採りのニンジンは暑い時期に種まきすることになるので、発芽が難しく、何度もまき直したこともある。こうした理由で今は止めた。しかし、うまくいかないから面白いのである。)。来春には種まき前に防虫剤を土にまくしかない。

 もちろん、収穫したニンジンは被害部を除いたうえで、家内が料理する。おじさんは眼が丈夫でないので、ニンジンとリンゴのジュースを毎日飲んでいる。我が家で収穫するニンジンは水気が少なくジュースには不向きである(今リンゴが大変な値段になっており、いつも高いと言われる)。とりあえずきんぴらニンジンを作っている。そして、我が家ではニンジンの葉も茎を除き食べる。まずは、天ぷら、そしておひたし、さらに乾燥のうえ、すりつぶしてふりかけの材料となる(ここにはジュースのニンジン残渣も乾燥のうえ加わる)。ニンジンの葉は栄養豊富らしい。

 はさみで使う部分を切り分ける

 さて、明日、明後日Eさん、Oさんとホハレ峠から門入に入り、千回沢を遡行して、千回沢山に登る。歩き通すことができるか、いささか不安であるが、頑張るしかない。また、結果を報告する。

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地元の図書館のオープンと新書の話 20.6.5

2020-06-05 19:39:20 | 面白い本はないか
 新館への移行のため3ヶ月ほど休館し、さらに新型コロナの影響で開館が遅れていた揖斐川町立図書館が5月26日にやっとオープンした。そこで5月29日に久しぶりに本を借りに行った。まず、サービスカウンターはビニールのシールドに覆われ、滞在時間も30分以内としてくださいとの表示もあった。入って右のところが児童コーナーでその充実ぶりがわかるが、利用制限のためか利用者は少ない。2階が一般図書、社会科学系の棚を閲覧したが、残念ながら新しい本は入っていないようだった。最も手前が岩波新書のコーナーでここから3冊借りたほか、思想系の本棚から1冊借りた。学習室というのもあったが、ここは閉鎖されていた。

 新図書館の全景

 町のホームページには杉や檜をふんだんに使ったと書いてあった。児童コーナーの充実、見やすくなった閲覧棚などはあると思うが、肝腎のソフトの充実はあったのだろうか。ハードさえ作ればそれで終わりとなっていないのだろうか。おじさんにしてみれば、まず本を買って欲しいとの要望に尽きる。池田町は建物は古くなっているが、意外と蔵書は充実している。蔵書を充実させるためには専門家である司書と予算(町当局の図書館への姿勢)が必要である。本を買う予算が少ないため、古い本が並び続けているので、蔵書が沢山あるように見えるが、実はそうでない。もちろん、住民がこの程度で良いと思っているのかもしれない。幸い毎年大口の本の寄贈があることが救いとなっている。あえて、この図書館の良いとこといえば、岩波新書を全て買ってくれていることと読む人も少ないせいか最新刊が借りれることだ。

 少しここで新書の話をしたい。新書とは難しい専門的な話を基礎的知識をもたない読者を対象にした本という面がある。新書の御三家と言われるのが、岩波新書、中公新書、講談社現代新書。中でも岩波新書の歴史は古く1938年に創刊され、2014年には3000点に達した。この新書を初めて読んだのは、おそらく大学1年生のときで、丸山真男「日本の思想」だと思う。この頃の本の色は青色で、結構自宅の本棚にあったが最近全部処分してしまった。その後、黄版となり今は赤版となっている。

 29日に借りてきた岩波新書 あと少しで読み終わる

 次に古いのが中公新書で1962年の創刊。高校生のころ、江上波夫「騎馬民族国家」というのを読んだ。大和国家は実は朝鮮半島経由で侵入してきた騎馬民族が作った国家だとするもので、実に面白かった。この説をめぐっては様々な反証がなされ、否定された。今の嫌韓状況の中では大変なことになっていたであろう。

 この本は2019年新書大賞に選ばれている
そして、講談社現代新書が1964年に創刊されている。どの本を最初に読んだか記憶がないが、中根千枝「タテ社会の人間関係」であろうか。この人の書いた「未開の顔、文明の顔」も面白かった。

 アマゾンで購入 まだ読んでいない 土曜日から読む予定

 今や御三家以外にも各出版社が競うように新書を出している。よく読むのは、ちくま新書、光文社新書、PHP新書等々であげればきりがない。最近、河出新書なるものに出会った。
2018年創刊とあるので、まだできたてのようだ。

 片山杜秀が書いた本で2019年の発行でまだ3号 

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タマネギ収穫と猿 20.6.3

2020-06-03 19:37:25 | 野菜作り
 今朝は、畑に6時前に出勤。まずは、トマト、トウガラシ、ナス、キュウリに2回目の追肥。1回目が5月18日だったので、16日経過している。この時期、キュウリはどんどん実をつけているし、ナスやトマトもどんどん成長しているので栄養が必要だ。作業中、いつものように花火のような音が山際の方から聞こえてくる。次に、土から芽を出して、葉を展開しつつある里芋にも追肥を行った。まだ、芽を出したばかりのもあるが、2枚葉以上のものもあるので追肥を行った。そして、残った時間で作朝に続きタマネギの収穫を行った。

 タマネギについてよく知っておられる方も見えると思うが、まずは基礎的な知識から述べたい。野菜の代表的な存在で、実に多くの方が作っている。種を蒔き、苗を育てる方もみえる(おじさんも一度だけ試みた)が、大体は10月頃から苗をホームセンターや農協の直売店等で求める。品種には、早生、中生、晩生さらに中晩生というのがある。早生は4月頃から食べられると聞くが、おじさんは作ったことがない。中晩生で12月、晩生で翌年の3月まで貯蔵が可能と言われているが、晩生は玉が堅いので、煮物には向いているが、サラダにはできない(試したことはないのだが)。今回初めて赤玉なる苗を購入した。大きくはならなかったが、サラダやマリネで食べると最高だった。あとはいつものとおり中晩生を買って植え付けた。

 昨年との比較になるが、収穫時期が1週間以上遅くなったのと、小さな玉が多い。元肥や追肥は同じようにやっているが、場所が少し変わり、さらに気象状況は毎年変わる。感じるのは、4月、5月比較的冷涼であったのが成長に大きく影響していると思う。明日の朝も残りの収穫を行うが、吊すのは200以下となりそう(当初300以上の苗を植えた。赤玉や新玉で食べたものがあるし、小さな玉は吊せない)。

 本日朝の収穫分 昼からも収穫した

 4本づつビニール紐でくくり、それを2組あわせて、吊す

 最後に昨年の話題となるが、おじさんの知人のKさんは小屋の屋根の下にタマネギを吊していたが、それを猿に食べられたそうだ。早速、残ったタマネギを屋内の方に移動した。また、椎茸もやられたと聞いた。山際の家、畑は今や鹿、猪ばかりでなく猿の食害が目立ってきている。山仲間のOさんは、上石津に住んでいて、猿等の食害でサツマイモ、スイカ、カボチャ、枝豆は作れないとこぼしていた。防ぐには、人間様が檻の中に入るより仕方がないようだ(揖斐川町の小津ではこのような畑を見ることができる)。花火のような音は実は猿を追い払うためのもののようだ。しかし、一時的な効果はあるかもしれないが、継続的ではない。

 猿対策はあるのだろうか。テレビで見たことがあるが、犬が猿を追い回すというのもあるようだ。我が町では、地元の要請により役場が大きな檻を必要箇所に設置してくれる。檻に食べ物を置き、群れ毎一網打尽にしようとするものだ。猿も賢いので、簡単にはかからない。近くのでその出没に困って、檻を設置した。そして、たくさんの猿(同じグループ)がかかった。問題はそれをどうするかということだが、ここではその詳細は明らかにできない。かかったグループのほかに別のグループもいるそうだ。鹿の出没に困り、鹿策を設置した。そして、今度は猿である。悩みは尽きない。
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