城台山日記

 城台山の麓で生まれ、毎日この山に登り、野菜・花づくり、読書、山登りをこよなく愛する年寄りの感動と失敗の生活日記です。

司馬史観とは 21.10.16

2021-10-16 21:03:58 | 面白い本はないか
 歴史小説というジャンルがあるが、この分野で50歳代以上の日本人の中で圧倒的な人気を誇っているのは、司馬遼太郎である。幕末から維新にかけて彼の描く歴史人物はとにかく魅力的だ。このためか登場する人物や時代的背景が真実だと思い込んでしまう。これが「司馬史観」というものであり、年配の日本人の歴史観に大きな影響を与えていることは間違いない。私たちは学校で歴史を学ぶが当然ほとんどの生徒にとって面白くないので余り記憶に残らない。これに比べると司馬の書く小説はどれも面白く、ついこれが本当の歴史なのだと思い込んでしまう。また、そうした小説をベースにしたテレビ、映画はもっと面白いので、強烈な印象を与えるのである。(「青天を衝け」を見ていると、維新政府の役人よりも旧幕臣の方が優秀であったのかとつい思ってしまう。大久保利通は特に酷い。)

 司馬が描く歴史人物、坂本竜馬(「竜馬がゆく」)、吉田松陰(「世に棲む日々」)、西郷隆盛・大久保利通(「翔ぶが如く」)。坂本竜馬は果たして司馬が描くような活躍を見せた人物なのであろうか。あるいは吉田松陰、いまや倒幕派のアイコンとでもいうべき人となっており、靖国神社にも祀られている。彼は、間部詮房を暗殺しようとして死罪となった。今で言えばテロリストの一人ではなかったのか(小島毅「志士から英霊へ」)。ちなみに西郷は維新成功の勲功があったが、西南戦争で時の政府に反旗を翻したので、祀られていない。


 しかし、単なる人物像ではなく、明治という時代全体を描こうとするとそこに様々な個人の考えが入ってしまう。この小説こそ「まことに小さな国が、開化期を迎えようとしている。」で始まる「坂の上の雲」(1968年~72年産経新聞に連載)である。読んでいるうちに司馬遼太郎の世界に引き込まれてしまい、ついここで描かれる歴史は正しいのだと思ってしまう。秋山好古、真之兄弟を主人公に、同郷の正岡子規なども登場し、前半は特に面白い(日露戦争のあたりはすこしくどい。)司馬は日清、日露の両戦争は自衛の戦争だと考えている。この時代は維新に関わりのあった元老(この非公式の権力者たち。彼らが総理大臣を決めていた。)が多くいて、軍が独走することはなかった。しかし、昭和に入ると元老たちはいなくなり、軍は統帥権の独立をたてに無謀な戦争を始め、ついには1945年の敗戦に至ったのだと。昭和の時代を「異胎の時代」だとした。


 こうした「司馬史観」には批判が多い。歴史家の中塚明は「司馬遼太郎の歴史観」(2009年)まで書いて、その問題点を指摘している。この本の要旨は日清、日露の両戦争は自衛の戦争ではないということである。西郷が征韓論を唱えて、板垣退助、大隈重信等が賛成したが、大久保利通、木戸孝允などが反対し、西郷は下野した。両者で違っていたのは朝鮮への進出の時期だけであって、この後維新政府は江華島事件(1875年)を起し、不平等な通商条約を強要した。さらに日清戦争の直前には、朝鮮国内の東学党の乱(現在の正式名称は「甲午農民戦争」)に乗じて、出兵し、さらに李氏朝鮮王宮内に押し入り、日本より少し前に出兵していた清国軍に退去を要求し、それを拒絶した清国に宣戦布告した。こうして確保した朝鮮での権益をロシア(ロシアは朝鮮を日本から奪おうとは考えていなかった)に奪われないように戦ったのが日露戦争である。戦争に勝ち、韓国を併合し、植民地とした。さらに満州ついには支那へと勢力を伸ばしていった。支那での勢力拡大に欧米諸国は反発し、ついには太平洋戦争へと続き、日本は敗れた(たぶんこれ自体がショートカットした歴史像かもしれない)。

 司馬が言うように、昭和は異胎の時代であったのか。むしろ明治維新からの当然の成り行きでそうなったと考えるのが自然ではないのか。司馬にしてみれば、小説を面白くするために随分と無視した事実もあったはずである。読み手の我々が勝手にこれを史実だと思ってしまうのがいけないのである。日清戦争を始めるに当たって、当時の外務大臣陸奥宗光と在韓の公使館そして軍と連携した暗躍が次第に明らかとなってきた。そして東学農民軍(最初は李氏朝鮮に対する反乱だったのだが、その後日本軍を相手にした戦いとなった)の大量殺戮があったことがわかってきた。

 ある本に、日本は台湾と朝鮮を植民地として統治したが、台湾の反乱と比べて朝鮮のそれは少なく、独立の志向は小さいと書いてあったことを思い出す。しかし、朝鮮にあっても早い時期から反乱はたびたび起こり、多くの犠牲者を出していることを知ることができる。日本にようにもともと事実をきちんと文書にして残す文化のないところでは後から歴史家が事実を究明することさえむずかしい。モリカケ問題を見ているとその文化は今も健在であることを示してくれる。
今日読んだ矢部宏治「本土の人間は知らないが、沖縄の人はみんな知っていること」(ちくま文庫)に出ていた司馬遼太郎の話を最後に紹介する。司馬は「街道を行く」の6巻「沖縄・先島への道」の中で米軍基地に関する記事が一つもないこと。三島事件にすぐに反応し、この事件は「政治的意味はかけらもない」と発言した。司馬が守ろうとしたのは、例えアメリカに従属しても、戦前のような体制にだけはしてはいけないという強い意志の現れであった。歴史修正主義が跋扈する現在、正しい歴史を学ぶことは難しくなるばかりである。だからこそ良質の歴史を学ぶ必要性がますます高くなってきている。


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1 コメント

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Unknown (奥揖斐の70爺)
2021-10-18 04:11:17
坂の上の雲の初版本持っています。よかったら差し上げます
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