神エホバは、イザヤを通して、金や銀の偶像を作り礼拝しても、命のない偶像は何もできないことを教えられました(イザヤ46:6)。偶像は偶像に過ぎないのです。
神エホバのイザヤを通した預言は、偶像崇拝の愚かさをさらに際立たせて、次のように記されています。
「「それ(偶像)を肩に載せて運び、安置するが、それ(偶像)は立っているだけである。その場所から動くことはない。それ(偶像)に向かって叫んでも、答えはない。それ(偶像)は誰おも苦難から救うことができない」」(イザヤ46:7)。
聞く力も、何かを行う力もない偶像に向かって「叫んで」祈っても、偶像は何も行えないので、何と愚かしいことなのでしょう。聖書の詩編作者は、そうした偶像崇拝の対象物が役に立たないことを見事に描写し、次のように書いています。「国々の偶像は銀や金で出来ている。人が手で作った。口があっても、話すことはできない。目があっても、見ることはできない。耳があっても、聞くことはできない。鼻があっても、嗅ぐことができない。手があっても、触ることはできない。足があっても、歩くことはできない。喉で声をだすこともできない。偶像を作る人たちは偶像のようになる。偶像に頼る人も皆」(詩編115:4~8)。
上の詩編の聖句に示されている通り、誰が呼んでも偶像は空しいことを分かり易く、神エホバは教えてくださっています。神エホバの教えに従順な人は幸いです。
柔らかき 大根煮の 夕餉かな 今日の一句
卓上の「生け花」
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