私たちは能力の限界があり(エレミヤ10:23)、日常生活の中で様々な間違いを犯すことがあります。人間関係に関する事柄や、仕事の遂行において、簡単な過ちや、あるいは入念に設計製造した機器や装置に欠陥があり、完成検査や試運転段階で、その誤りに気付くこともあります。人間は、必ず誤りを犯しますので、普通会社の場合は、設計製作組み立て据付基準、保守管理基準、作業基準、各種マニュアルを定め、誤りの生じない対策を講じています。それでも、人間は誤りを犯すことがあります。あなたは、そうした事実に鑑み、他の人の様々な誤りを快く許す方でしょうか。聖書の箴言(しんげん)の書には次のように記されています。
「人の洞察力は確かにその怒りを遅くする。違反を許すのはその人の美しさである」(箴言19:11)。
上の聖句の洞察力とは、見えていない表面の下を見る能力のことです。洞察力、識別力を働かす方は、他の人の違犯、誤りを見てすぐに怒りを表すことはありません。何が原因で誤りが生じたのかを考え、その原因を明かにし、どのようにすれば、違犯、誤りを起こすことを無くすることができるかの恒久対策を考えます。箴言の聖句は「違犯を許すのはその人の美しさである」と記しています。勿論、誤り、違反を犯した人は速やかに自分の過ちを認め、関係者に謝罪する必要があります。その時、洞察力のある人は、上記の通り、原因を考え、再発防止を考え、その対策を講じますので、その人を許すことができます。そのような人は神エホバの目に「美しい」のです。何故でしょうか。
イエス・キリストは、ペテロがイエスに「主よ、兄弟がわたしに罪を犯すとき、わたしはその人を何回許すべきでしょうか。七回までですか」と尋ねました。その時、イエスはペテロに「七回までではなく、七十七回までです」と、教えられました(マタイ18:21,22)。「七十七回まで許す」とは、無制限に許す、という意味です。このように、エホバ神はイエスを通し、罪を犯した人が悔い改め謝罪するなら、無制限に許すように教えています。この教えは,故意に罪を犯すことを容認しているのではありません。
また、神エホバは、不完全な人間が犯す罪を、「惜しみなく許してくださった」のですから、私たちも「互いに忍び、互いに惜しみなく許し合う」必要があり、そのような特質の人は、エホバに見倣っている故に「美しい」のです(コロサイ3:13)。エホバのご意志を行なう人は、目が純一で、体全体が明るいので、美しいのです(マタイ6:22)。あなたも、人の違反を許す美しい人であれば幸いです。
スーパーに 急ぎ入る人 夕時雨 今日の一句
かかりつけの医院の「パンジー」
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