私たち人間は「神の像(かたち)」に創造されていますので、み言葉・聖書を学びそのご意志を行ない、お父さんエホバに喜ばれる生き方ができるように、神は私たちを助けてくださるのです(創世記1:26,27)。しかし、神エホバの敵対者悪魔サタンが歩き回って、そうした神エホバに喜ばれる生き方を人間にさせまいと、あらゆる策略を用いています(エフェソス6:11.ペテロ第一5:8)。その悪魔サタンはエデンの園で神エホバの主権に異議を唱え、蛇を使って、エホバ神が偽りを述べていると非難し、神エホバは不公平とほめかすことによってダムとエバを唆し、神エホバに対して罪を犯させ、人間社会に罪と死が受け継がれて来ました(創世記3:1~5.ローマ5:12.啓示12:9)。そのため、イエスはその悪魔サタンを初めからの人殺しであり、真理の内に堅く立たず、偽り者であって、偽りの父、と教えられました(ヨハネ8:44)。
悪魔サタンはエデンの園での人間の生活の始まりにおいてエホバ神に異議を唱えたのです。アダムとエバの子孫が地上に満ちて行くにつれ、悪魔サタンはすべての人間の動機に疑問を投げかけるようになりました。悪魔サタンは、神エホバに次のように言って、神エホバに挑戦しました。「しかしサタンはエホバに答えて言った。「皮のためには皮をもってしますので、人は自分の魂(命)のためなら持っているすべてのものを与えます。逆に、どうか、あなた(神エホバ)の手を出して、彼(ヨブ)の骨と肉にまで触れて、果たして彼(ヨブ)が、それもあなた(神エホバ)の顔に向かってあなたをのろわないかを見てください」」(ヨブ2:4,5)。この言葉を簡単に言い換えれば、悪魔サタンは、次のように神エホバに対して言ったのです。「人が神エホバに仕えるのは神を愛しているからではない。見返りが得られるからに過ぎない。人は自分の魂(命)を守るためには、すべてのものを与え、神エホバが保護の手を控え、困難に直面するなら、つまり自分・サタンに機会が与えられれば、どんな人間も神エホバに背かせて見せる」。これが、サタンの考え方であることが、ヨブ記に記されている記述から分かります。ヨブはどんな人でしたか、悪魔サタンの唱えた異議にどうかかわったのでしょうか。
ヨブは今から3,600年以上前の人です。善良な人でした。神エホバがこう述べておられるからです。「地上には彼(ヨブ)のような人、とがめなく、廉直で、神を恐れ、悪から離れている人はひとりもいない」(ヨブ1:8)。ヨブは神エホバに喜ばれている人でした。
悪魔サタンは神エホバにヨブが仕える動機に御門を投げかけました。悪魔サタンは神エホバにこう言いました。「あなた(神エホバン)が、ヨブとその家と彼の持っているすべてのもの周りにくまなく垣を巡らされたではありませんか。彼(ヨブ)の手の業をあなたは祝福されたので、その畜類はふえ広がりました。しかし、逆に、どうかあなたの手を出して、彼(ヨブ)の持っているものすべてのものに触れて、果たして彼が、それもあなた(髪エホバ)の顔にに向かってあなたをのろわないかどうかを見てください」(ヨブ1:10,11)。
このように悪魔サタンは、ヨブが神エホバに仕えているのは単に見返りが得られるからに過ぎない、と主張たのです。さらに、悪魔サタンは、ヨブは試み・試練を受けると神エホバに背を向ける、つまり反逆すると、とも非難しています。ここで論じられているのはヨブの動機に関係していたものだったので、神エホバは悪魔サタンがヨブを試すことを許されました。このようにして、ヨブは神エホバを愛しているか、いないのかということが、はっきり示されることになりました。ヨブは試され試練に遭いましたが、ヨブは神エホバへの忠誠を保ち、悪魔サタンはうそつきであり、ヨブの忠実な歩みが実証されました(ヨブ記参照)。
新茶入れ 香り楽しむ 妻も老い 今日の一句
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