み言葉・聖書には「詩編」の次に「箴言」が収められています。ある時、家から家の聖書の伝道の時、ご年配のご婦人に「ところで箴言という言葉をご存知ですか?」と、お尋ね致しますと、そのご婦人は、「ハーイ、武田信玄の信玄です!」と、明るくお答えになられました。そのご婦人に「ご年配の方は「しんげん」と聞くと、やはり武田信玄の事を思い起こすかも知れませんね。実は聖書には「箴言」が記され、「箴言」とはこのような字を書きます。聖書からご確認してくださいますか」と、お伝えし、「箴言」の漢字を確認して頂きました。すると、そのご婦人は「この「箴言」の言葉を知りませんでした。「しんげん」と聞くと直ぐに「武田信玄」の名前が浮かびました・・・」と、大笑いをされました。そのことがご縁となり、このご婦人と「聖書レッスン」が始まったのです。「しんげん」と聞いて同じく「武田信玄」を思い浮かべる方は、先日も高校生の方で、同じように答えられた方がいました。その高校生の方も、学校で「箴言」の言葉を学ぶことはなかったと答えられました。では「箴言」とはどのような意味でしょうか。聖書は次のように説明しています。
「イスラエルの王、ダビデの子、ソロモンの箴言。これは、人が知恵と懲らしめを知り、真理の言葉をわきまえ、洞察力、義と裁きと廉直さを与える懲らしめを受け入れ、経験のない者たちに明敏さを、若者に知識と思考力を与えるためのものである。
賢い者は聴いて、さらに多くの教訓を取り入れ、理解のある者は、巧みな指導を得る人である。これは、箴言と難解なことわざ、賢い者たちの言葉とそのなぞを理解するためである」(箴言1:1~6)。
皆様方は、上の聖句をお読みし、どのようにお感じになられたでしょうか。このみ言葉の箴言の意味するところを熟考し、箴言を読み、適用される方々は幸いです。日本の歴史が何も記されていなかった時代に、み言葉の箴言を読み、偉大な創造者エホバのみ言葉に依り頼み、生活に適用された遥か昔の人々の心の賢さに思いを馳せると、私たちもみ言葉を学び続け、適用することの動機付けが得られます。
爽やかな 装い魅せる 百合の花 今日の一句
裏庭に実った「リンゴ」
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