ダビデは、羊飼いをしながらエホバの創造の業に思いを巡らす人でした。戦士として武勇に秀でていただけではなく、たて琴の名手や歌の作曲家としても記憶にとどめられつに違いありません。そうしたダビデの能力は、羊の番をしながら長い時間を過ごしていた時に身に着けたのかも知れません。ダビデは新しい楽器の考案者としても名をはせていました(歴代第二7:6;29:26,27.アモス6:5)。ダビデは神エホバを愛していたため、その歌詞は、単なる娯楽という一般的なレベルよりもはるかに高尚なものとなり、神エホバへの崇拝と賛美のために献じられた古典的な名作となりました。詩編の73にも上る編の表題は、ダビデが作者であることを示しています。詩編8,19,23,29編など幾つかの編には、羊飼いとしてのダビデの経験が反映されている見て間違いありません。今日は、そのダビデが神エホバの霊感を受けて書き記した詩編27編を紹介致します。ダビデの神エホバへの信仰と寄り頼む姿勢や感謝の思いや謙遜な特質を学ぶことができるでしょう。
「エホバはわたしの光、わたしの救い。
わたしはだれを恐れる必要があろうか。
エホバはわたしの命のとりで、
わたしはだれを恐れる必要があろうか。
・・・・
わたしは一つのことをエホバに願い求めたー
わたしはそれを待ち望む。
すなわち、エホバの快さを見るため、
その神殿を感謝の思いを抱いて見つめるために、
命の日の限りエホバの家に住むことを。
神は災難の日にその隠れがにわたしを隠し、
その天幕の秘められた場所にわたしを覆い隠し、
岩の上の高みにわたしを置いてくださるからだ。
それで今、わたしの頭はわたしの周囲にいる
敵の上に高く上がる。
わたしはその天幕で喜びの叫びの犠牲をささげ、
エホバに歌い、調べを奏でる。
・・・・・
わたしの父とわたしの母がわたしを捨て去ったとしても、
エホバご自身がわたしを取り上げて
くださることでしょう。
エホバよ、あなたの道をわたしに教え諭してください。
わたしの敵ゆえに、わたしを廉直の道筋に導いてください。
・・・・・
エホバを待ち望め、勇気を出し、
あなたの心を清くせよ。
そうだ、エホバを待ち望め」。
- 詩編27:1,4,5,10,11,14 -
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