我が家の庭では山茶花が終わり、椿の花が咲いてきています。
我が家の赤の椿に珍しい花びらのものがあります。
椿の品種は200種類以上あり、その中の「赤腰蓑」の一種では
ないかと思う花びらです。この椿は雄しべ,雌しべが見えません。
椿の花期は10月~3月です。
用途は鉢植え、庭植え、生垣です。
花言葉は「女性らしさ」と、紹介されています。
今日は珍しい椿の花とクリスマスローズを紹介致します。
庭に咲いている珍しい「椿の花」
庭に咲いている「クリスマスローズ」
我が家の庭では山茶花が終わり、椿の花が咲いてきています。
我が家の赤の椿に珍しい花びらのものがあります。
椿の品種は200種類以上あり、その中の「赤腰蓑」の一種では
ないかと思う花びらです。この椿は雄しべ,雌しべが見えません。
椿の花期は10月~3月です。
用途は鉢植え、庭植え、生垣です。
花言葉は「女性らしさ」と、紹介されています。
今日は珍しい椿の花とクリスマスローズを紹介致します。
庭に咲いている珍しい「椿の花」
庭に咲いている「クリスマスローズ」
イエスの教えは、当時のユダヤ人の宗教指導者や律法学者の硬直した教えとは大きく異なりました。神エホバの教えをその通り行われたイエスの教えから多くのことを学ぶことが出来ます。
イエスは、エルサレムから3キロほど離れた村ベタニヤの近くおられたようです。モーセの律法に通じたある人が質問を持ってイエスに近づき、「師よ、何をすれば、私は永遠の命を受け継げるでしょうか」と、尋ねました。
イエスはその人、つまりユダヤ人の律法学者が単に情報を求めて質問しているのでなく、むしろイエスを試そうとしていることを見抜いていました。その律法学者の目的は、イエスにユダヤ人の感情を傷つける答えをさせることかも知れません。そこでイエスは、その律法学者に自分の意見を述べさせるようにし、「律法(聖書)には何と書いてありますか。あなたはどう読みますか」と、お尋ねになりました。
律法学者は優れた洞察力を働かせ、イエスの質問に答え、申命記6章5節とレビ記19章18節から、神エホバの律法を引用し、「「あなたは、心をこめ、魂をこめ、力をこめ、思いをこめてあなたの神エホバを愛さねばならない」、そして、「あなたの隣人を自分自身のように愛さねばならない」」と、述べました。
イエスは、「あなたは正しく答えました。「このこと(エホバの教え)を行い続けなさい。そうすれば命を得ます」」と、お答えになりました。
ところが律法学者は、イエスの答えに満足しません。イエスの答えは自分にとってあまり明確ではなかったのです。律法学者は、自分自身の考えが正しく、自分が他の人を扱う点で義にかなっているという確証をイエスから得たかったのです。それで、律法学者は、「私の隣人とはいったいだれでしょうか」と、イエスに尋ねました。
当時のユダヤ人は、「隣人」という言葉は同じ民族のユダヤ人だけに適用されると考えていました。レビ記19章18節の文脈がそれを示しているように思えたのです。事実、後に使徒ペテロでさえ、「ユダヤ人にとって、別の人種の人一緒になったり、近づきになったりするのがいかに許されないことか、あなた方がよく知っておられます」と、言いました。ですから、ユダヤ人の律法学者は、自分たちから見れば、非ユダヤ人は、実際には隣人ではないので、同じユダヤ人だけに親切にしていれば、義にかなった者になると考えていました。恐らくイエスの弟子たちも同じように考えていたのかも知れません。
イエスはどのようにして群衆の感情を害さず、律法学者の見方・考え方を正すことができるでしょうか。イエスは一つの例え話しをされますが、それは実際にあった出来事に基づいていました。「あるユダヤ人がエルサレムからエリコに下って行く途中で、強盗たちに襲われました。彼ら(強盗たち)はその衣をはいだうえに殴打を加え、その人を半殺しにして去って行きました」と、イエスは状況を説明されました。
そして次のように話されました。「さて、たまたま、ある祭司がその道路を下って行くところでしたが、その人(半殺しにされた人)を見ると、(救助することなく)反対側を通って行ってしまいました。同じようにレビ人もまた、そこまで来て彼(半殺しにされた人)を見ると、(救助しないで)反対側を通って行ってしまいました。ところが、その道路を旅行していたあるサマリア人がやって来ましたが、彼(半殺しにされた人)を見て哀れに思いました」。
さて、異国のサマリア人はどうするでしょうか。次回に引き続きお伝え致します。
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よもぎ摘み 餅を作りし 母偲ぶ 今日の一句
元気な鉢植えの「パンジー」