庭のランタナに黒アゲハ蝶が来て、吸蜜をしていました。
黒アゲハ蝶は9月に入ると現れるようになり、朝から吸蜜に来ています。
しばらくすると高く舞い上がってどこかに行きます。
写真を撮る時は、比較的近くまで近寄ることができますが、
花の上で、じっとしないで体をぐるぐる360度回すので、正面から撮るのは難しいです。
今日はランタナに黒アゲハ蝶とタマスダレの花を紹介致します。
庭の「ランタナに黒アゲハ蝶」
庭に咲いている「タマスダレの花」
庭のランタナに黒アゲハ蝶が来て、吸蜜をしていました。
黒アゲハ蝶は9月に入ると現れるようになり、朝から吸蜜に来ています。
しばらくすると高く舞い上がってどこかに行きます。
写真を撮る時は、比較的近くまで近寄ることができますが、
花の上で、じっとしないで体をぐるぐる360度回すので、正面から撮るのは難しいです。
今日はランタナに黒アゲハ蝶とタマスダレの花を紹介致します。
庭の「ランタナに黒アゲハ蝶」
庭に咲いている「タマスダレの花」
愛と公正(義)と知恵と力と命の源の神エホバは、ご自分の預言者イザヤを用い、そのイザヤ自身の祈りの言葉の中で、エホバ神を待ち続ける者のために行動してくださるのは、エホバ神以外にいないことを明らかにされました(イザヤ64:4,5)。
イザヤの預言的な祈りの言葉は、単なる形式的なイスラエル人の罪の告白ではありません。イスラエル国民には自らを救う力がないことを誠実に認めています。イザヤは次のように祈りの言葉を記しています。
「私たちは皆、汚れた者のようになりました。正しい行いも全て、月経の時の布のようです。私たちは皆、葉のようにしおれ、過ちが風のように私たちを運び去るでしょう」(イザヤ64:6)。
バビロンでの流刑の終わりまでに、悔い改めたイスラエル人は背教的な習わしをやめ、正しい行為をもって神エホバを頼っているかも知れませんが、依然として不完全であることには変わりはありません。そうした人々の正しい行いは称賛に値するとはいえ、贖罪という観点からすると、「月経の時の布のように」赤い、つまり汚れた衣も同然です。神エホバの赦しは、憐れみを動機とする過分のご親切の賜物です。それは人間が獲得できるようなものではありません(ローマ3:23、24)。
イザヤは前途に何を見ているでしょうか。引き続き次回にイザヤの祈りの言葉を紹介致します。
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頂きし 新米の香の 豊かなリ 今日の一句
庭に咲いている「ミニバラ」