神エホバは、ご自分の預言者イザヤを通して、ご自分の民が廃墟と化したエルサレムを修復することを予告されました(イザヤ58:12)。神エホバのこの予告は当時のイスラエル人にとって大きな励みになったに違いありません。
当時のイスラエルの民に与えられていた安息日(6日働き7日目は労働を休むエホバの与えた取決め。現在の1週間の基となった取り決め)は、民の身体的また霊的な福祉に対する神エホバの深い気遣いの表われっでした。イエスは、「人のために安息日は設けられた」と言われました(マルコ2:27)。神エホバによって神聖な日とされた安息日は、当時のイスラエル人に神エホバへの愛を示す特別な機会を提供しました。しかし、残念なことに、イザヤの時代には、その安息日が空しい儀式を行って利己的な欲望にふける日となっていました。ですから、この点に関しても、神エホバはご自分の民をとがめる根拠をお持ちでした。そして、この度もご自分の民の心を動かそうとして、イザヤを通し次のように言われました。
「もしあなた(イスラエル人)が安息日を守り、私(エホバ)の聖なる日に自分のしたいことをせず、安息日を最高に喜ばしい日、エホバの聖なる日、重んじるべき日と呼び、自分のしたいことをしたり無駄口を利いたりする代わりにその日(安息日)を重んじるなら、あなたはエホバのゆえに最高の喜びを味わい、私(エホバ)はあなたを地上の高い所に乗り進ませ、あなたの父祖ヤコブに与えた土地の産物を食べさせる。エホバの口がこれを語ったのである」(イザヤ58:13,14)。
安息日は労働を休み、神エホバの教えを熟考し、祈りと家族での清い崇拝を行うための日でした。当時のイスラエル人にとって、自分たちのための神エホバの素晴らしい行いについて、また律法に明示されている公正や愛について、じっくり考えるのに助けになるはずの日だったのです。ですから、この聖なる日を忠実に守るなら、イスラエルの民は神エホバに一層近づけるはずでした。ところがイスラエルの民は、安息日を悪用しており、それゆえに神エホバの祝福から切り断たれる恐れがあります(レビ記26:34.歴代第二36:21)。
とはいえ、イスラエル人が神エホバの懲らしめから教訓を学び、安息日の取り決めを尊重し、守り行なうなら、豊かな祝福が待っていました。真の清い崇拝を行い、安息日の聖なる日を忠実に守るなら、生活のあらゆる面に良い影響が溢れるほどに及ぶことになっていました(申命記28:1~13.詩編19:7~11)。イザヤの聖句は、今日のクリスチャンまた人々に取って多くの教訓を含んでいます。神エホバのご意志を学び守り行なうなら、最高の喜びを味わう豊かな祝福を受けるのです(詩編1:1~3)。
次回からは引き続きイザヤ59章を順次紹介致します。
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