2018年を迎え、多くの方々が今年も、ご家族の健康と幸福、平安を願われたのではないかと思います。直接「自由」を願い求めた方は少ないかも知れませんが、健康や幸福や平安の願いには、自由があってこそ成り立つことをご理解なさっているに違いありません。私たち、人間は男性も女性も「神の像(かたち)」に創造されていますので、愛や公正(義)がゆきわたる社会を求め、自由を希求します。
私たちは、どうすれば自由を享受することが出来るのでしょうか。聖書は次のように教えています。
「また、真理を知り、真理はあなた方を自由にするでしょう」(ヨハネ8:32)。
上の聖句が示していますように、「真理を知る」、つまり、真理を学び理解し適用するなら、「真理は」、私たちを「自由にする」と保証しています。では、人を自由にする「真理」はどこに記されているのでしょうか。それは、エホバ神が著者である聖書全巻に記されています(テモテ第二3:16)。ですから、聖書を学ぶことは真理を知ることであり、その教えは真理であり、私たちを自由にするのです。
何故、聖書の教えは私たちを自由に導く、と言えるのでしょうか。それは、神エホバは愛の神であり、公正の源の神だからです(ヨハネ第一4:8.詩編37:28)。完全な愛や公正(義)は人を束縛することなく、自由にします。さらに、神エホバは全能者、宇宙の主権者成る支配者、また万物の創造者であられるので、この方だけが真の自由をお持ちです(創世記17:1.エレミヤ10:7、10.ダニエル4:34,35.啓示4:11)。ですから、神エホバの教えの自由を学ぶことは、人は相対的な自由を学び、その自由に導かれるのです。
例えば、聖書を学ぶことによって、私たちはどのように自由にされるでしょうか。私たちは避けなければならない、人間の考えである「肉の業」の束縛から解放され、霊の実・神エホバから出る教えの実を培い自由を享受できます。「肉の業」とは、淫行、汚れ、みだらな行い、偶像礼拝、心霊術の行い、敵意、闘争、ねたみ、激発的な怒り、口論、分裂、分派、そねみ、酔酒、浮かれ騒ぎ、およびこれに類する事柄です」(ガラテア5:19~21)。一方、「霊の実」は、愛、喜び、平和、辛抱強さ、親切、善良、信仰(証拠に基づき、私たちが抱く期待・希望が保証されていること)、温和、自制です(ガラテア5:22,23)。この霊の実は愛が基盤です(コリント第一13;4~8)。ですから、聖書を学び日々の生活に適用される方々は、現在も自由を享受することができます。
更に、神の王国の良いたよりは真理であり、その神の王国は、神エホバのご意志を学び守り行なう義なる人たちを、間もなく回復される義の宿る新しい社会、地上の楽園に招き入れ、真の自由・平和を享受することができるように導きます(詩編37:29.マタイ7:21、24,25.ペテロ第二3:10~13.啓示21:4,5)。あなたも、自由を享受する方々のお一人であれば幸いです。
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冬野菜 高騰なりや 道の駅 今日の一句
長閑に泳ぐ「鴨たち(雌)」