何度も、お伝えしていますが、聖書は1914年以降を「終わりの日の対処しにくい危機の時代」と警告しています。現在は、世界的にその通りの社会になっています(テモテ第二3:1~5)。そのため、多くの方々がお認めになる通り、不道徳(性的不道徳を含む)や暴力、暴虐、抗争心が絶えず生じ、不公正と物質主義が蔓延する社会となっています。人々は、人々を永続する平安と義に導く、神エホバの教えの人を益する真理ではなく、自己中心的で、経済第一主義を好み、愛が基盤の利他的な生き方を忘れています(イザヤ48:17,18)。一方、神エホバは聖書を人類のために備え、遥か昔からイザヤを通して、満足をもたらさない無価値なものに労するのではなく、私たちが、平安の道、快い道、命の道を歩み、無上の喜びを見いだすように促しています(イザヤ55:2.箴言3:13~18)。聖書のイザヤ書には、次のように記されています。
「あなた方はなぜパンでないもの(神エホバから出る人を益する真理の言葉ではないもの)のために支払いをつづけるのか。なぜ満足をもたらさない(無価値な)もののために労しているのか。わたし(エホバ)の言うこと(エホバの人を益する真理の言葉)を一心に聴き、良いものを食べ(人を益する真理の言葉を学び、それを生活に適用し)、あなた方の魂(命または体全体)が肥えたもの(真理)に無上の喜びを見いだすようにせよ」(イザヤ55:2)。
上の聖句の満足をもたらさない無価値なもの(どうしょうもないもの)とは何でしょうか。それは、神エホバから出る人を益する真理の言葉ではなく、不完全な人間の考えに基ずく、神の王国を受け継がない朽ちる「肉の業」のことです。「肉の業」とは、淫行、汚れ、みだらな行い、偶像礼拝、心霊術の行い、敵意、闘争、ねたみ、激発的な怒り、口論、分裂、分派、そねみ、酔酒、浮かれ騒ぎ、およびこれに類する事柄です」(ガラテア5:19~21)。ご承知の通り、敵意、闘争、激発的な怒り、は暴力、暴虐の業を行ないます。暴力、暴虐は、愛がなく、破壊を生み出しますので、無価値なものです。注意深く、み言葉の真理を熟考し、適用してくださる方々は幸いです。言うまでもなく、無価値なものに労するのは、愚かなことではないでしょうか。
聖書の詩編119編37節には、次のように記されています。
「無価値なものを見ないよう、わたしの目を
過ぎゆかせてください。
わたしをあなた(エホバ)の道に生きながらえ
させてください」。
無価値なことを見ることには、性の不道徳の絵や映像が雑誌やインターネットを通して入り込むポルノなどの娯楽があります。これは「肉の業」の「汚れ」となりますので、詩編作者が述べた通り見ないようにするのは有益です。そのような無価値な映像や絵は、人の心に計り知れない害をもたらします。また暴力場面の娯楽も見ないように断固決意し、無価値が娯楽から離れることが肝要です。人間は「神の像(かたち)」に創造され、無価値なものを識別する能力が備わっていますので、祈りの内に対処してくださる方々は幸いです(創世記1:26,27)。祈りによってエホバの聖霊の助けが得られます。
WWW.JW.ORG
小春日や 真理の道の 穏やかさ 今日の一句
庭に咲いている「山茶花」