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映画【アメリカン・ヒストリーX(AMERICAN HISTORY X)】

2008-08-07 01:46:45 | 映画
 
 
アメリカン・ヒストリーX(AMERICAN HISTORY X)
1998
トニー・ケイ(Tony Kaye)


恥ずかしながら初見の本作。
良い作品ですね、と言うのも今更感丸出しですが、良い作品です。
何が良いかと言えば、テーマを直球で描くことに臆面が全くないこと。

今更あらすじを説明するまでもないかもしれませんが、一応。
兄を誇りに思うダニー。その兄デレクは父を黒人に殺されたことからネオナチに傾倒し、その地域のリーダに。自動車泥棒を射殺したことから懲役刑になる。兄の服役中にダニーはゴリゴリのネオナチへと。3年ぶりに出所した兄デレクにはある変化が起こっていた。その変化にとまどうダニーと、兄デレクの物語。

物語の中盤のこの台詞に全て集約されています。

『怒りが君を幸せにしたか?』

人種差別をモチーフとした本作ですが、この言葉が全てに当てはまることで、本作の場合はスケールを広げた人種差別だったり宗教観だったりします。これは個人間の争いでも全く同じ。というか、その拡大が人種差別や宗教戦争や国家間の戦争(これはちょっと違うかも)です。。
そのことになかなか気づけません。わかっちゃいるが・・・、とも違う。
一時の激情に支配され理性を失う、ということともちょっと違います。
怒りをきっかけとした憎しみも同じ。


本作を観ていて思いだしたのが手塚治虫著の「ブラック・ジャック」に登場したゲラという超笑い上戸(間黒男時代のブラック・ジャックの同級生)との「笑い上戸」というエピソード。
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自分と母親をこんな姿にした人間への復讐に燃える黒男少年は常にダーツを身につけていた。いざというときに攻撃するためだ。
黒男少年は決して笑わず、憎しみこそを糧として過ごしてた。
そこに現れたのがゲラ。笑い上戸で人なつっこく、陰気な黒男にも分け隔て無く接する。
ゲラは「笑うことが出来るのは高等生物しかできないんだよ」と。いつのまにか心を通わせるようになった黒男少年とゲラ。
ある日、ゲラの家に遊びに行くと、そこには何もなかった。両親は借金を作って逃げゲラは一人で暮らしていた。両親が作った借金のため、家財道具はおろか、何もない部屋でゲラは生活していたのだ。
そこにやって来る借金取り。執拗にゲラを攻め、殴る蹴るのやりたい放題。憤慨した黒男少年は懐からダーツを取り出すも借金取りに奪われ、そのダーツでゲラの喉を突き刺してしまう。
その後、ゲラは喉の傷が原因で何年も闘病生活を送り、もちろん笑うことなど出来なかった。
医師免許を取った黒男はゲラを訪ねる。そこにはやせ細ったゲラの姿が。高度な医療技術を身につけた黒男はなんとしてもゲラを救おうと誓う。しかし死期が迫っていることを察しているゲラ。
黒尾が大学に戻った後、ゲラは病院中に響き渡る程の声で笑い続け、息を引き取った。
訃報を聞いた黒尾は思う「私も少しは高等な生き物になれたかな」
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全部書いてしまいましたが、手塚先生の原作は素晴らしく「ブラック・ジャック」の中でもトップクラスに好きなエピソードです。御一読下さい。文庫版では第12集に収録されています。
文庫版では第12集(Black Jack―The best 13stories by Osamu Tezuka 12)

さらに思い出したのが吉田秋生著の名作漫画「Banana fish」の終盤で、一人の友人を守るために全てを抛つ(なげうつ)覚悟をしたアッシュついて言及するブランカの言葉。
『あいつは憎んで覇者となるよりも、愛して滅びる道を選んだのですよ』
「Banana Fish」についてあらすじを全部言うのは面倒なので読んでください。名作です。


こういうことなんだろうなぁ。
「憎しみ」や「怒り」はある種の原動力となりうるし、それは日和った気持ちを引き締めてくれることになるかもしれません。しかし、それは覚醒剤やら興奮剤みたいなもので、取り憑かれてしまえば抜け出すことも出来ず、抜け出そうとすれば今までの分の猛烈なしっぺ返しを食らうこととなってしまい、恐ろしいほどの空虚感や孤独感を味わうこととなります。
また、意志無き者の拠り所として憎まれ役を設定しないことには団結できない性というのもあります。
上手くつきあえれば良いのですが、なかなかそうもいきません。


些細な揉め事を目にすることも希ではなくなり、新聞はそれをきっかけとしたかのような事件が見出しに踊っています。
幸せに、楽しく、穏やかに過ごすことに既に意味を見いだせなくなってしまったのか。それ自体に価値を見いだせなくなってしまったのか。
それをして幸福と言うに現実では既にユートピアでのお伽噺になってしまったのか。
『「怒り」や「憎しみ」は何も生み出さない』
何世紀言われ続けたかわからない言葉も忘れてしまうほどに、人間は貧しくなってしまったのか。

その瞬間の自分の快楽のために、自分(とその周辺)以外をを蔑ろ(ないがしろ)にすることは常識になってしまったのでしょうか。

話は随分変わりますが、ただいま平野啓一郎著の「決壊」 を読んでいます。
僅かなきっかけで決壊する善意らしきものの儚さを描く傑作。まだ読了していませんが。
恐ろしいほど的確な表現で(ありさらけ出されたくなかった)個人の抱える、拠り所を求める陰惨な性質を描いています。気味が悪いほどのピンポイントな悪意、それが決壊する危うさ方法を記しています。
読んだ方は多分この本を「預言」だと思うことに同意していただけるのではないでしょうか。
久々の読書感想文を書こうと思っているので詳しくはそちらで。



随分話しは逸れましたが、未見の方は是非。
思うところ多い映画です。


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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (juraky)
2008-08-10 03:00:29
その情報はどっかで見た。
これだけの作品を撮っておいて長編映画がこれ一本ってのも不自然な話し。

次回作のBlack Water Transit、期待。
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Unknown (NAP)
2008-08-08 17:34:23
ちょっと気になって調べてみたら、喧嘩沙汰になっていたんだな。この監督と製作側が。。。エドワードノートンのシーンが増えるように編集しなおされたんだとさ。また、ハリウッドの悪魔がやってきたってことか。マルホランドドライブの「This IS the girl.」みたいな感じだ。


よく読んで。
http://en.wikipedia.org/wiki/Tony_Kaye_(director)

トニーケイ(谷啓ではなく)の次の映画についての情報(8年も干されてた)
http://www.flickr.com/photos/20947666@N00/sets/72157601702905480/
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