明日、君がいない
2006
Murali K. Thalluri(ムラーリ・K・タルリ)
19才(製作開始当初)のムラーリ監督が撮った群像劇。
ちなみに、仕上がり時は21歳になってます。
ガス・ヴァン・サント監督の「エレファント」のリメイクの様な作品。イヤ、悪口ではありません。
ある日、誰かが自殺した。
その1日、同じ場所にいた数人の視点から彼等の抱える『孤独』追った映画です。
テーマは「エレファント」同様の『最も残酷なこととは・・・』でしょう。
そして本作では「エレファント」では描かれなかった、むしろそこを描くことを是としなかったガス・ヴァン・サント監督の意に反した10代の面々が内に抱えた悩みの暴露大会。
19-21歳の監督作品とは思えぬ、もの凄く良くできた映画で、テーマは監督自身の経験をもとにし、描き方もドキュメンタリー風なタッチ。
映画としての仕掛けとして時間軸をいじる。冒頭になぞかけをして、ラストで回答を表す。さらなる問題的を投げかけるラストシーン。
構造としてものすごく良くできています。
ステディカムの映像はモロ「エレファント」タッチ。交錯する時間軸もモロ「エレファント」。
けれど、ここまで追い込むのはお手本があったとしても相当な計算が無いとできません。
カンヌとサンダンスで喝采を浴びたものの、無冠。
ムラーリ監督は自身の独白を映画というフォーマットに落とし込みすぎた。
突き抜けていないのです。
この映画を通してムラーリ監督の描きたかったことは何なのでしょうか?
「持って生まれた才能とか能力なんて、僕等の持っている悩みには全く役に立たないんだ。明日、僕が生きている保証なんてどこにもない。もっと僕のことを気にしてよ。ねぇ」
子供が観たらそう思うでしょう。
「彼等はとても繊細なんだ。かつて僕等がそうだったのと同じで」
大人が観たらそう思うでしょう。
それだけなんです。
で、オマエはどうしたいんだよ?
っつうか、この世代の人間がここまで自分の悩みに押しつぶされながら生きているという描き方は正しいのでしょうか。
たまたまセンシティブな人間をピックアップしてその面を醸成しすぎただけなのか、それともアメリカではこれが普通なのか。
それならば誰も話を聞いてあげないというこの映画は一体何を告発しようとしているのか。
ムラーリ監督の自責の映画なのか。
映画としての救いの無さは悪いことではないのですが、それは「エレファント」が既に描いた世界。
モラトリアムでルサンチマンな映画の真骨頂。
とはいえ、その想いだけで作られた瑞々しさ溢れる希有な映画です。
ムラーリ監督のセンスとテクニックは素晴らしい。
お手本があったとしても、ここまでやりきるのはなかなか出来ることではありません。
アメリカンニューシネマを現在のフォーマットでやるとこうなる、という映画。
かつて「卒業」や「スケアクロウ」が描いた純粋な未来無き想いです。
しかし、ムラーリ監督のセンスは凄いです。
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