沓石(くついし)。
場所:静岡県富士市今井2-7-1にある「香久山 妙法寺(こうきゅうさん みょうほうじ)」境内。JR東海道本線「吉原」駅の東、約1km。駐車場有り。
「香久山 妙法寺」は日蓮宗の寺院で、寛永4年(1627年)に「身延山 久遠寺」25世日深上人が富士市田島(旧・田島村)に創建。延宝8年(1680年)の津波によって中吉原宿とともに流失してしまったが、元禄10年(1697年)に現在地に移転、再建されたという。
当寺は通称「毘沙門さん」と呼ばれるが、それは毎年旧暦1月7日~9日に開催される「毘沙門天大祭」が有名で、50万人ともいわれる参詣客があるからで、このときに行われる「だるま市」も日本三大だるま市の1つとして喧伝されるほど有名となっている。このため、下記リンクのHPのほか、多くの資料等で「毘沙門天」を本尊としているが、正しくは鎮守神である。寺自身の創建は17世紀であるが、鎮守の毘沙門天像は、伝承では聖徳太子作といい、あるいは平安時代の作であろうとされる。ただし、毘沙門天を当寺の鎮守とした由来は定かでない。一説に富士山修験に関係があるともいわれる。ともあれ、毘沙門天は、いわゆる四天王の一尊であるが、独尊としても信仰され、武家からは軍神として、庶民からは七福神の一尊として財宝神(特に勝負事の神様)として人気があった。街道(近世東海道)沿いにあって、徳川幕府・諸大名からの庇護も篤かったという。
さて、境内に「沓石」と呼ばれる霊石がある。建築関係で「沓石」というと柱などの礎石をいうが、この石は沓(靴、くつ)の形に似た石で、足の悪い人がこの「沓石」を撫でて祈ると霊験あらたかであるという。この石は、かつて昆沙門天がインドで悪魔を蹴り上げたとき、片方の沓(靴)が脱げ、それが日本に飛んできて石になったのだとされる。
それにしても、入口の鳥居に、和風・ネパール風・インド風・中国風の建物などが混然となった、面白い寺院である。
えび天さんのHP「オリエンタルムードが漂う毘沙門天妙法寺」
写真1:「妙法寺」毘沙門堂正面の鳥居。扁額には「南無妙法蓮華経」と刻されている。旧(近世)東海道に面している。
写真2:毘沙門堂。向かって右手のインド風?の建物は本堂・錬成道場
写真3:毘沙門堂の向かって左手、ネパール風の目玉が描かれた仏塔の前に「沓石」がある。
写真4:「沓石」
場所:静岡県富士市今井2-7-1にある「香久山 妙法寺(こうきゅうさん みょうほうじ)」境内。JR東海道本線「吉原」駅の東、約1km。駐車場有り。
「香久山 妙法寺」は日蓮宗の寺院で、寛永4年(1627年)に「身延山 久遠寺」25世日深上人が富士市田島(旧・田島村)に創建。延宝8年(1680年)の津波によって中吉原宿とともに流失してしまったが、元禄10年(1697年)に現在地に移転、再建されたという。
当寺は通称「毘沙門さん」と呼ばれるが、それは毎年旧暦1月7日~9日に開催される「毘沙門天大祭」が有名で、50万人ともいわれる参詣客があるからで、このときに行われる「だるま市」も日本三大だるま市の1つとして喧伝されるほど有名となっている。このため、下記リンクのHPのほか、多くの資料等で「毘沙門天」を本尊としているが、正しくは鎮守神である。寺自身の創建は17世紀であるが、鎮守の毘沙門天像は、伝承では聖徳太子作といい、あるいは平安時代の作であろうとされる。ただし、毘沙門天を当寺の鎮守とした由来は定かでない。一説に富士山修験に関係があるともいわれる。ともあれ、毘沙門天は、いわゆる四天王の一尊であるが、独尊としても信仰され、武家からは軍神として、庶民からは七福神の一尊として財宝神(特に勝負事の神様)として人気があった。街道(近世東海道)沿いにあって、徳川幕府・諸大名からの庇護も篤かったという。
さて、境内に「沓石」と呼ばれる霊石がある。建築関係で「沓石」というと柱などの礎石をいうが、この石は沓(靴、くつ)の形に似た石で、足の悪い人がこの「沓石」を撫でて祈ると霊験あらたかであるという。この石は、かつて昆沙門天がインドで悪魔を蹴り上げたとき、片方の沓(靴)が脱げ、それが日本に飛んできて石になったのだとされる。
それにしても、入口の鳥居に、和風・ネパール風・インド風・中国風の建物などが混然となった、面白い寺院である。
えび天さんのHP「オリエンタルムードが漂う毘沙門天妙法寺」
写真1:「妙法寺」毘沙門堂正面の鳥居。扁額には「南無妙法蓮華経」と刻されている。旧(近世)東海道に面している。
写真2:毘沙門堂。向かって右手のインド風?の建物は本堂・錬成道場
写真3:毘沙門堂の向かって左手、ネパール風の目玉が描かれた仏塔の前に「沓石」がある。
写真4:「沓石」
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