神が宿るところ

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二尊山 引接院 善然寺

2010-12-17 21:12:43 | 寺院
二尊山 引接院 善然寺(にそんさん いんせついん ぜんねんじ)。本尊:阿弥陀如来。
場所:静岡市葵区新通1-2-31。県道208号線(藤枝静岡線)「本通6丁目」交差点の一本北の交差点を東に入ってすぐ。駐車場なし。
浄土宗の寺院で、大永2年(1522年)、増誉上人(善然大和尚)の開基。はじめ上清水村にあったが、駿府に移り、その後、駿府の寺町(現・「常盤公園」がある場所を中心に、東西に寺院が並んでいた。)の最も西端に移転した。寺町にあった寺院は昭和15年の静岡大火により殆どが移転したが、当寺は西端にあったせいか、元の場所に残ったようだ。
さて、式内社「中津神社」は、同項(2010年12月10日記事)で、現・「住吉神社」(静岡市葵区一番町)に比定されていると書いた。しかし、安倍川と藁科川の中洲に鎮座していたという由緒から、現在、その2つの川の合流点(川の中)にある小さな岩山「舟山」(標高43m)山上にあったという「舟山神社」が式内社「中津神社」ではないか、という説がある。確かに、大きな川の真ん中に小山があって、夏には(写真のように)草木が生い茂るので目立つし、しかも「舟山」は安倍川と藁科川の合流点にあるということで、何だか神秘的である。
元々「舟山」は静岡市駿河区向敷地側から藁科川に突き出した山の端の部分で、藁科川はここで「舟山」を巡るように蛇行していたが、後に「舟山」西側が切り離されたものらしい。独立した島になった時期は不明だが、安倍川と藁科川が合流したのは徳川家康公が「薩摩土手」を築いて安倍川の流れを変えたことによるもので、現在の安倍川の河口は本来、藁科川のものだったという。藁科川に安倍川が合流してきたので、「舟山」が切り離されたのは安倍川からの水流によるものだったのではないだろうか。
また、「舟山神社」とされるものは、「舟山」にあった「善然寺」の末寺「雲竜軒」の鎮守の弁天祠(「弁財天女社」)だったらしい。その祠に祀られた弁財天像は弘法大師作であるというが、「雲竜軒」が安倍川の増水によって享保年間(1716~1735年)に廃寺となったため、「善然寺」に移されたという。
以上のようなことから、「舟山神社」が式内社「中津神社」であることは否定されるのだが、この弁財天は、駿府の通称「ニ丁町」遊郭の遊女たちに篤く信仰を受け、「二丁町」から「善然寺」までの花魁道中も行われたという。


静岡教区浄土宗青年会さんのHPから(善然寺):http://www.jodo-ss.com/2010/09/094.html


写真1:「善然寺」。通称:赤門の寺


写真2:境内(正面の門から入ってすぐ右)にある弁財天堂


写真3:安倍川と藁科川の合流点にある「舟山」。かつて山上に小社があって、社前に「弁財天女社」と刻した石灯籠があったという。
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