天満宮(てんまんぐう)。通称:赤土天満宮、赤土鎮守様。
場所:茨城県常陸太田市赤土町2206。茨城県道29号線(常陸太田那須烏山線)と同62号線(常陸那珂湊山方線)の交差点(「金砂郷郵便局がある。)から、県道29号線を東に約750m進み、茨城県道36号線(日立山方線)への分岐の手前を左折(北へ)、約1.4km。駐車スペースあり。
当神社は元禄元年(1688年)の創祀とされ、菅原道真公を祭神とする。しかし、常陸国式内社・久慈郡鎮座の「立野神社」の論社として必ず言及される神社である。それは、内山信名(1787~1836年)著「新編常陸国誌」の地図に、式内社「立野神社」として当神社の位置が示されていることによるものらしい。鎮座地の赤土町には「立野」という小字もあることも指摘されている。榎本実著「古社巡礼」(1990年)によれば、当神社を式内社に推す背景として、一般に式内社「立野神社」に比定されている茨城県常陸大宮市上小瀬に鎮座の「立野神社」(2019年7月20日記事)の位置が古代には(久慈郡ではなく)那珂郡に属したのではないか、とするところにある。だが、古代の郡境がどこにあったのかは難しい問題で、これは水掛け論で終わりそうである。赤土町に「立野」という地名(小字)があるということも、現在の地図でみると、赤土町の南端辺りで、当神社からは結構離れている。そこで、榎本氏は、式内社「立野神社」は廃絶してしまって「立野集落の背後の山頂に祀られている「風神」の小祠が名残り」なのだろう、としている(「立野神社」の主祭神は級長津彦命で、風の神である。)。そのような小祠が現在もあるのかどうか、確かめられないのが残念。
なお、玄松子さんも当神社が式内社「立野神社」の可能性があると書いている。論拠としては、「天満宮」(天神)として菅原道真公を祀っているが、古くは「天津神」を祀っていたのではないかということ。また、「当社の鎮座地が、人家の遠い山頂であることも、天満宮を祀るような場所ではないような印象」であるとしている。しかし、前者については、元の社があったとすれば、その神を合祀していても良いような気がする(因みに、境内社として八幡・厳島・春日・別雷の4社があるとのこと。)。また、後者については、印象なので何とも言えないが、菅原道真公は今でこそ学問の神様だが、元は雷神であり、高い場所にあってもおかしくはない。それに、当神社がある場所は、「赤土圷館」という中世の山城があったとされるところ(ただし、敷地は狭いので、砦のようなものか。)で、近代の赤土村は全国に先駆けて煙草耕作組合が設立されてタバコの葉の生産が盛んであった(所謂「水府煙草」)ということで、古くからそれなりに栄えていた場所なのではないかとも思われる。
ということで、結論は出ないが、当神社を式内社「立野神社」に比定することはなかなか難しいのではないか、と思われる。
玄松子さんのHPから(天満宮(常陸太田市))
常陸太田市教育委員会のHPから(赤土町の地域資源)
写真1:「天満宮」。山の中の神社、ちょっとコワイ。
写真2:鳥居。横の建物は神輿の収蔵庫らしい。いきなり急な石段を上っていく。
写真3:最初の石段を上ると、山道。
写真4:再び急で長い石段。
写真5:拝殿。扁額は「天満宮」。境内は円墳の上のような感じで、広くはない。
写真6:本殿。ところどころ鮮やかな彩色がされている。
写真7:境内社
場所:茨城県常陸太田市赤土町2206。茨城県道29号線(常陸太田那須烏山線)と同62号線(常陸那珂湊山方線)の交差点(「金砂郷郵便局がある。)から、県道29号線を東に約750m進み、茨城県道36号線(日立山方線)への分岐の手前を左折(北へ)、約1.4km。駐車スペースあり。
当神社は元禄元年(1688年)の創祀とされ、菅原道真公を祭神とする。しかし、常陸国式内社・久慈郡鎮座の「立野神社」の論社として必ず言及される神社である。それは、内山信名(1787~1836年)著「新編常陸国誌」の地図に、式内社「立野神社」として当神社の位置が示されていることによるものらしい。鎮座地の赤土町には「立野」という小字もあることも指摘されている。榎本実著「古社巡礼」(1990年)によれば、当神社を式内社に推す背景として、一般に式内社「立野神社」に比定されている茨城県常陸大宮市上小瀬に鎮座の「立野神社」(2019年7月20日記事)の位置が古代には(久慈郡ではなく)那珂郡に属したのではないか、とするところにある。だが、古代の郡境がどこにあったのかは難しい問題で、これは水掛け論で終わりそうである。赤土町に「立野」という地名(小字)があるということも、現在の地図でみると、赤土町の南端辺りで、当神社からは結構離れている。そこで、榎本氏は、式内社「立野神社」は廃絶してしまって「立野集落の背後の山頂に祀られている「風神」の小祠が名残り」なのだろう、としている(「立野神社」の主祭神は級長津彦命で、風の神である。)。そのような小祠が現在もあるのかどうか、確かめられないのが残念。
なお、玄松子さんも当神社が式内社「立野神社」の可能性があると書いている。論拠としては、「天満宮」(天神)として菅原道真公を祀っているが、古くは「天津神」を祀っていたのではないかということ。また、「当社の鎮座地が、人家の遠い山頂であることも、天満宮を祀るような場所ではないような印象」であるとしている。しかし、前者については、元の社があったとすれば、その神を合祀していても良いような気がする(因みに、境内社として八幡・厳島・春日・別雷の4社があるとのこと。)。また、後者については、印象なので何とも言えないが、菅原道真公は今でこそ学問の神様だが、元は雷神であり、高い場所にあってもおかしくはない。それに、当神社がある場所は、「赤土圷館」という中世の山城があったとされるところ(ただし、敷地は狭いので、砦のようなものか。)で、近代の赤土村は全国に先駆けて煙草耕作組合が設立されてタバコの葉の生産が盛んであった(所謂「水府煙草」)ということで、古くからそれなりに栄えていた場所なのではないかとも思われる。
ということで、結論は出ないが、当神社を式内社「立野神社」に比定することはなかなか難しいのではないか、と思われる。
玄松子さんのHPから(天満宮(常陸太田市))
常陸太田市教育委員会のHPから(赤土町の地域資源)
写真1:「天満宮」。山の中の神社、ちょっとコワイ。
写真2:鳥居。横の建物は神輿の収蔵庫らしい。いきなり急な石段を上っていく。
写真3:最初の石段を上ると、山道。
写真4:再び急で長い石段。
写真5:拝殿。扁額は「天満宮」。境内は円墳の上のような感じで、広くはない。
写真6:本殿。ところどころ鮮やかな彩色がされている。
写真7:境内社
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