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真間の継橋

2013-03-02 23:31:27 | 史跡・文化財
真間の継橋(ままのつぎはし)。
場所:千葉県市川市真間4-6-10付近。JR総武本線「市川」駅の北西約200mのところにある国道14号線沿いの「真間山 弘法寺」参道(「大門通り」)入口から、北へ約800m。駐車場なし。
現在も残る「真間」という地名は、古代からある言葉で、崖や傾斜地等を示すものという。古代には下総国府があった現・市川市国府台の台地の南側は、まさに崖下の低地となっている。古代、この低地には海が入り組んでいて「真間の入江」と呼ばれ、現・真間川はその名残りであるとされる。「真間の入江」の南側には長大な砂洲が東西に延びており、その砂洲上を古代東海道が走っていた。古代東海道側と下総国府の間の入江を渡るのに「継橋」を利用したらしい。
万葉集の下総国の歌に「真間の継橋」を詠ったものがある。即ち、「足(あ)の音せず 行かむ駒もが 葛飾の 真間の継橋 やまず通はむ」。意味は「足音をさせずに進む馬がいればいいのに。そうすれば葛飾の真間の継橋を通って、愛しい人のところにいつも通えるのに。」というところだろうか。「継橋」というのは、木の板を渡した簡易な橋のことなので、馬に乗って通ると音がしたのだろう。だから、現在の頑丈で立派な橋では「復元」とは言えない。また、継橋のあった場所も、おそらく入江の出入口付近だっただろうと思われるので、現在の真間川の江戸川への河口付近(現「根本橋」付近?)にあったのではないだろうか。因みに、上記の歌の作者の名は伝えられていないが、いつも馬に乗って継橋を通る人物であることから、国府の官吏であったのだろうと推定されている。
なお、「真間の継橋」の南、約100mのところに真間川が流れているが、そこに架かる「入江橋」の脇に、文字が消えかかっていて読み辛いが、「真間の入江」を詠った万葉歌についての説明板がある。それは、「葛飾の 真間の浦廻(うらみ)を 漕ぐ舟の 舟人騒ぐ 波立つらしも」に関するもので、歌の意味は説明するまでもないだろう。ただ、「浦廻」という言葉については諸説あって、ここでは煩瑣なので、あえて触れないが、入江をぐるりと廻ること、あるいはそのような地形をいうようだ。舟(船)の大きさはわからないが、「真間の入江」が湿地帯ではなく、波が立って舟の移動に支障があるような広さと深さがある海の入江だったのではないかと思われる。


市川市のHPから(真間万葉顕彰碑)


写真1:「つぎはし」の石碑と擬宝珠の付いた赤い欄干が印象的だが・・・(東側)


写真2:「真間の継橋」の万葉歌碑


写真3:「真間の継橋」の説明板と顕彰石碑(西側)


写真4:現・真間川に架かる「入江橋」の脇に、「真間の入江」の万葉歌の説明板がある。


写真5:「入江橋」から西側、国府台台地の端を見る。


写真6:真間川の江戸川への河口付近にある「根本橋」。「真間の継橋」はこの付近にあった?
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